ストックホルムにあるスカンセンには5つのルーン石碑が移設されている。それらは末期ヴァイキング時代の1000年〜1050年のもので、典型的な石碑が多い。
Transliteration : binrnauþulfrkunorhulmtislitu rito stin þinoiftiRulfkinlauhaR buantain osmuntr hiu Transcription : Biarn, AuðulfR, Gunnarr, Holmdis letu retta stæin þenna æftiR Ulf, GinnlaugaR boanda. En Asmundr hio. 訳 ビョルン、アウズルヴ、グンナル、ホルムディスはウールヴ、ボーンディ(農夫)のギンラウガ、の思い出にこの石碑を立てさせた。そしてアスムンドが彫った。 ルーンマスターのアスムンド作。彼はウプランドを中心に活躍した彫刻師の一人である。彼の手がけた約40石の石碑が現代に伝わっている。多くが1020年代〜1030年代の作である。まさに代表作の一つといえるような作品として優れているものと思われる。 |
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Transliteration : ・kiarþar+auk・ioruntr・latareisa・þisa・steina・eftir・systur・suni・sina・irnmunt:aukikiunt・ Transcription : Gærðarr ok Iorundr lata ræisa þessa stæina æftiR systursyni sina Ærnmund ok Ingimund. 訳 ゲルダルとヨールンドはおい(姉妹の息子)、エルンムンドとインギムンドの思い出にこの石碑を立てさせた。 |
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この石碑は同じ Hansta にある他の石碑 U73 と関連していると思われる。U73の石碑にはエルンムンドとインギムンドの両者はギリシャで死んだと記されている。そして相続についての記述がある。 U73 Transliteration : þisunmerkiirugareftRsuniikur hon kamþeira x at arfiin þeir x brþrkamu hnaa : atarfi x kiaþar breþrþir to i kirkium Transcription : Þessun mærki æRu gar æftiR syni InguR. Hon kam þæiRa at arfi, en þæiR brøðr kamu hænna at arfi, Gærðarr brøðr. . ÞæiR do i Grikkium. 訳 この記念碑はインガの息子達にである。彼女は彼らの相続人であるが、彼女の後に彼らの兄弟ら、ゲルダルと彼の兄弟(U72でゲルダルとヨールンドと示されている)、が彼女の相続人になる。彼ら(上記U72の石碑のエルンムンドとインゲムンド)はギリシャで死んだ。 この文章はヴァイキングの相続(まぁ、正確にはサガの相続についてかもしれないが)に興味有る方には非常に興味深い文章であろうと思います。 つまり石碑建立時に父の名がないため、故人となっており、その段階で夫婦別産制のために妻には財産がいかずに息子達に相続された。しかしながら息子らが故人となったため、息子達に子供がいなかったため母に財産相続権が移るのである。そして母が故人となった場合、母親の兄弟に財産相続権が移るため、この段階でおじのゲルダルとヨールンドがわざわざ石碑を建立し、公言する必要があるのである。 |
Transliteration : 前 : ailkufR : raisþi : stin : þansi || :at : þurfast : mag : sin || : tisa : at bruþur sia ...---u 後 tisa : kiarþ- eft-- ... sina 上 tuþruu Transcription : HœlgulfR(?) ræisti stœin þannsi at Þorfast, mag sinn, Disa at broður sinn ... Disa gœrð[i] æft[iR] ... sina ... 訳 ヘルグルヴ(?)はソルファスト、彼の父、の思い出にこの石碑を立てた。ディーサが作った(記念碑を)自身の・・・の思い出に・・・。 上部の碑文は不明なのであるが、判読の試みが行われている。右肩にある枝のルーン(kvistrun)を rþ と読みとり、右肩の碑文を -rþu であるとし、ここから碑文を [ua]rþ u[ti] tuþr [i] u[ikik]u ((彼は)ヴァイキング行きで外国で死んだ)と推測するものもある。 右肩の枝のルーンは現在では破損されているのだが、かつてのスケッチでは左下のように残されていた。 図柄は合字が使われており、ウプランドのものとは異なるデザインでソェーデルマンランドでは見かけられるデザインである。下部には死の旅と結びつく船が描かれている。船から伸びているものは恐らく錨であろうと思われる。 |
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