注:かなり昔に作ったもので、かなりいい加減に作っているので、固有名詞などかなりいい加減なカタカナ表記になっているのでご注意ください・・・。固有名詞は一応は古アイスランド語のテキストから拾い出しはしていますが、カタカナ表記は・・・。信じないように・・・。


 ハラルドは10冬歳に父王の王国を引き継いだ。彼は強く男前で熱心であった。おじのグソルムが親衛隊隊長で王の助言者であった。ハールヴダン黒王亡き後、多くの首領達が反旗を翻した。まず手始めにガンダールヴ王が蜂起し、続いてヘイズメルクのエイステイン王の息子のヘグニとフロージの兄弟がヘグニ・カラソンを引き連れて刃を向けたのであった。ハールヴダン黒王にこてんぱんにやられたガンダールヴ王の息子のハキは兵を連れて谷の上を歩いていた。そしてハラルドに不意打ちを食らわそうとした。しかしガンダールヴ王の不遜な動きを察知したグソルム公が兵を集めてハラルドと共に攻撃に出た。はず手始めにハキを迎え討ち、ハキと多くの家来達を倒した。急いで彼らは西フォールドに向かい、そこでガンダールヴ王と戦い、ガンダールヴは激戦から逃げ出した。ヘイズマルクのエイステイン王の息子達はこれを聞き知り、戦の準備を整えた。
 そしてハラルド王とグソルム公は軍隊を連れてオプランドに向かい、ホグニ・カラソンの寝所に入った。そこにはグズブランドが寝ていた。そこに火を放ち、エイステインの息子のヘグニとフロージが飛び出して戦ったがそこで絶命した。こうして4名の首領の首を取った彼らはリンゲリーク、ヘイズメルク、グドブランスダル、ハザランドを手に入れた。最後の戦いでガンダールヴ王と戦い、彼の首を取ってひとまず終結した。
 ハラルド王はホルダランドのエイリーク王の娘のギュザに求婚するために使いを遣った。彼女は容姿端麗で気高い精神の持ち主だった。しかし彼女はそのことにそっけなく答えた。
「州より小さな王国を統べる小王に嫁ぐ気はなくってよ。デンマークのゴルム王やウプサラのエイリーク王のようなノルウェイ王には嫁いでもよくってよ。」と彼女は小指を立ててあざ笑った。
家来達はあれやこれやでハラルド王を賞賛して彼女を説得しようとした。しかし彼女の心が動く様子がないと見ると彼らは家路につこうとした。その時、彼女は言った。
「そうそう、ハラルドに伝えて置いて頂戴。「突き進みなさい。”初めて”に向かって。」と。そうね彼は大王と呼ばれるに相応しいと思うわ。」と言った。
 使者達は王にこれらの出来事をつたえた。彼らは彼女が傲慢だと罵ったが、ハラルド王は彼女の言葉の真意を読みとった。
「なぜ今まで気付かなかったのだろう。俺は誓いを立てる。オーディンがその立会人となろう。全ノルウェイを手中に収めるのだ。それまでは髪を切らねば櫛も通さぬ。大王になるか死ぬかのどちらかだ。」とハラルドが断言した。
「ご立派です、ハラルド様ぁ。」とグソルム公は拍手喝采をした。
 ハラルド王とその血族達が集結し、大軍と共にオプランドに向かった。そこを力で制圧した。命ごいをした者以外は逃亡したのであった。オルケダーレまでは力で制圧をした。そこで初めてグリーティング王と戦った。ハラルドが猟師して、グリーティング王は捕らえられて彼の家来になった。
 ハラルド王は制圧した土地では不可侵の世襲の土地を持つ者からそれを没収し、様々な法を制定し、厳守させた。ハラルド王は増税したのでヤールの収入が増え、それを聞きつけた者がたくさんハラルド王を頼ってやってきた。
 ヤールのハーコン・グリョートガルズソンがハラルド王の家来になった。その後にハラルド王はガウラダルで2人の王の首を取った。その州を手に入れると3人目の王の首を取り、その州を手に入れた。内トロンヘイムの者達が集結して4人の王をぶつけてきた。ハラルド王が勝利をして何名か殺害したが、残りは逃げ仰せた。そして8回かそれ以上の戦をトロンヘイムで行い、8名の王を倒した後に彼は全トロンヘイムを征服したのであった。
 ナウムダレの北部にヘルラウグとロッラウグという兄弟王がいた。彼らは3年かけて堀を建造した。そこにハラルド王がやって来た。堀の中には十分に食糧が持ち込まれ難攻不落に思われた。堀の中に階段の上に玉座があり、ロッラウグ王が玉座に上がり座った。その足下の階段にヤールが枕を置いていた所に転がり落ちた。
「これはいかん、わしは王からヤールの位に転がり落ちたぞ。ヤールになったということは、仕える王がいるな。そうだハラルド王に仕えよう。」と無茶苦茶な論理で納得をした。
 ハラルド王はその冬をトロンヘイムで過ごした。そこに彼はラザという地所を設けた。その冬に彼はヤールのハーコン・グリョートガソンの娘のアーサを娶った。そのためヤールのハーコンは発言権を手に入れたのである。
 ハラルド王は選り抜きの親衛隊とベルセルク部隊を連れてメーレに向かった。メーレ州の王はフーンティョーヴで、その息子は「裂け目の」セルヴィであった。そしてラウムダレの王はネックヴィで、彼はセルヴィの母方祖父であった。彼らはハラルド王に刃を向けたが、敗北した。両王は戦死したが、セルヴィは逃げ仰せた。ハラルド王はそれらの2州を手に入れた。そこで王は「騒音の」エイステインの息子のメーレのヤールのラグンヴァルドを家来として迎えた。ハラルド王は彼を北メーレとラウムダレの2州のヤールに任命した。
 翌春、ハラルドは軍隊を連れて南メーレに向かった。それを知ったサルヴィが民衆を集結させ、アウズビャルナ王をそそのかして力を手に入れた。彼らはハラルド王と海戦を行った。アウズビャルナ王は戦死したが、セルヴィは再度逃げ仰せた。
 ハラルド王は南メーレにいた。アウズビャルナ王の兄弟のヴェームンドはフィルザ州を統べていた。ハラルド王はトロンヘイムに戻った。ヤールのラグンヴァルドがヴェームンド王の情報を聞きつけ、戦士共々館ごと王を焼き殺した。ベルセルクのベルダラとカリがハラルド王の家来になった。春にハラルド王はハーコン・グリョートガルソンにフィルザ州を統治させた。王が去った後にヤールのハーコンはヤールの「ちびの」アトリにソグンを放棄して以前のようにガウラルのヤールで我慢しろと言った。ハーコンはハラルド王がシグナ州を与えると言った。ヤールのアトリはハラルド王が来るまでにシグナ州とガウラルを占拠した。ヤール達は口論となり、ついに戦になった。そこでヤールのハーコンは命を落とし、アトリも致命的な傷を負って結局は命を落とした。
 ハラルド王はヴィクの商都ツンスベルグに行った。王はトロンヘイムで過ごしていたので4年降りのヴィク訪問であった。その時、スウェーデン王エイリークがヴェルマランドに座を構え、森の管区から徴税し西ガウトランドを荒らしていた。そのことをハラルド王は知ると、彼はガウト人のラニというヤールを任命した。南ではスウェーデン王に服しており、それをハラルド王は不満に感じた。ハラルド王はフォルドの農夫達を呼び出して有罪と見なした者達から罰金を取り上げた。そして冬の始まりにスウェーデン王エイリークが宴巡行でヴェルマランドに向かっていると聞き知った。
 ハラルド王もヴェルマランドに向かった。ヴェルムランドには年老いているが金持ちで有力者の農夫のアーキがいた。彼はハールヴダン黒王の家来であった。彼は両王を宴の接待を申し出た。アーキは古いが大きな館しかなかったので、新しい館を急造した。新しい館には素晴らしい壁布がしつらえられ調度品も逸品であった。古い館には逸品であるが調度品は古かった。両王がきた時、アーキはハラルド王に新しい館を、エイリーク王には古い館を勧めた。食事も飲み物もふんだんに振る舞われたが、エイリーク王は古い館と調度品に不満を感じた。終宴を迎え、アーキはハラルド王が立ち去る時にウッビという息子を家来として奉公させる申し出をした。王はそれを快く受けた。その後に彼はエイリーク王を送り出すために古い館に向かった。アーキはエイリーク王にたくさんの贈り物を渡した。王はほとんど話もせずに馬の背にまたがった。
「なぜお前はわしに古い館を与え、ハラルドの小僧に新しい館を与えたのだ。お前はわしの家来だろう。」と王が言った。
「我が主よ。今や閣下は年老いて折られる。そしてハラルド王は精力に満溢れている。だからハラルド王に新しい館を与えたのです。」と言った。
王はすぐに抜刀してアーキを殺害した。ハラルド王が軍馬にまたがろうとした時に、家来にアーキを呼んでくるように命じた。そして家来達がアーキの亡骸を見つけてハラルド王に報告をした。ハラルド王はすぐさまエイリーク王の後を追ったがガウトランドとヴェルマランドの国境の森まで追いつめたものの取り逃がした。これ以後ハラルド王はエイリーク王の家来を見つけるとすぐに殺害したのであった。この冬にハラルド王はラウマリクに戻った。
 その冬にハラルド王はツンスベルグに向かった。そして全ヴィングメルクを征服し、ランリーキを襲撃した。ガウト人は王に刃向かうために蜂起した。彼らはギェータ川に杭を打ち込んだのでハラルド王の船はその領土を船で進むことができなかった。しかしハラルド王もそれに懲りず、その杭に船を結わえると上陸して両岸を襲撃した。ガウト人軍がハラルド王と戦ったが彼らの多くが殺害された。ハラルド王はガウトランドをどんどんと突き進んだ。ガウトランド人のラニとの戦いを落とした他はほとんど全て勝利した。ゲータ川北部、ヴェネルの西、全ヴェルムランドを征服し、グソルム公をそこを統治させるために後に残した。そしてこの後にアーサとの間に初めて子供が生まれ、その後にたくさんの息子が生まれた。長男グソルム、双子の黒のハールヴダンと白のハールヴダン、四男シグフレズである。彼らはトロンヘイムで育った。
 ヘルザ人とリゲル人(西ノルウェイ)、アグジル人(南ノルウェイ)とテレル人(東ノルウェイ)が蜂起すべく集結した。その首領はホルダランド王エイリーク、ロガランド王スールキ、その兄弟のヤールのソーティである。アグジル王のキョトヴィ、その蒸すkのソーリ、テレマークの2兄弟のローアルドとハッドであった。ハラルド王はこの情報を得ると船で南に向かった。そして彼がスタッドに到着したとエイリーク王が知ると南に向かった。そこで戦い、エイリーク王、スールキ王とその兄弟ソーティが殺害された。ベルセルクでもあったソーリはハラルド王の船に近づいたが殺害された。そしてその後、その軍は敗走に転じ、キョトヴィ王は島に逃げ込んだ。
 この戦の後はハラルド王に刃向かうものは誰1人としていなかった。莫大な数の者達が土地を追われ、不毛の地にやむなく身を置くとなった。多くの者がヤムタランドとヘルギンギャランドに住み着いたが、そこには以前から住んでいた者達がいた。このハラルド王が統一に勤しんでいた時代、この不穏な時代にフェロー諸島、アイスランド、シェラン諸島、海の向こうの島々への移住が促進された。彼らはヴァイキングとなり様々な島々を襲った。彼らはオークニー諸島、ヘブリディース諸島に向かい、夏にはノルウェイを襲撃して多大なる被害を出した。しかし多くの者はハラルド王に手助けする家来になり、領土に定住した。
 今やハラルド王は全ノルウェイの単独王に君臨した。そしてある女性の事を思い出した。そしてギュザを妻に迎え、たくさんの子供が生まれた。長男アーロヴ、レリク、シグトリュッグ、フロージ、ソルギルスで、彼らからたくさんの子孫が伝わった。
 ハラルド王にはたくさんの妻と子供がいた。彼は次ぎにユトランド王のエイリーク王の娘のラグンヒルドを娶った。彼女は「強い」ラグンヒルドと呼ばれた。ハラルド王は彼女を娶る時に他の9名の妻を全員、子供と共に里に帰らせた。ハラルド王とグンヒルドの子供はエイリーク血斧王である。(系図
 冬にイングランドやアイルランドのヴァイキングが西ノルウェイを荒らしていると報告を受けた。ハラルド王は夏になると西方に向かい、襲撃した。彼はヴァイキング退治にあきた頃、シェトランド諸島に向かった。そしてそこで刃向かったヴァイキングを殺害し、勝利を収めた。次ぎにオークニー諸島、ヘブリディース諸島を襲撃し、ヴァイキングを殺害した。そしてスコットランドを襲撃した。その事を知ったマン島人達は家財をもって逃げたので、ハラルド王がマン島に到着した頃には何も手に入れるものはなかった。これらの戦いの間にヤールのラグンヴァルドの息子のイーヴァルが戦死した。ハラルド王はその報いとしてラグンヴァルドにオークニー諸島とシェトランド諸島を与えたが、ラグンヴァルドはすぐに兄弟のシグルズにそれを譲り渡し、ヤールの称号も譲り、静かに暮らそうとした。ヤールのシグルズはスコットランドの「歯の」メルブリグザを殺害し、首を鞍にくくりつけて馬を走らせていた所、「歯の」メルブリグザと呼ばれるだけあってそりゃもう見事な出っ歯であったため、ヤールの脚首に歯が当たり、そこからバイ菌が入り、ヤールはそれで命を落とした。
 ハラルド王がメーレでラグンヴァルドと宴に興じていた。その時、ハラルドの全国制覇が完成したのであった。そうして誓い通りに彼は入浴し髪に櫛を通した。そしてラグンヴァルドがハラルド王の10年間櫛が通されなかった髪を切り落とした。ハラルド王は「ぼさぼさ髪の」ハラルドと呼ばれていたが、櫛が通り手入れされた髪はそりゃもう見事で見る者全てを魅了した。そしてラグンヴァルドが言った。
「こんな豊かで、美しい髪は見たことがない。今後、閣下を「美髪王」と呼ぼう。」
誰もがその言葉が真実であると認めたのである。
 ヤールのラグンヴァルドはハラルド王の最も信頼の置ける優秀な家臣であり友であった。ラグンヴァルドの妻は「鼻骨の」ロールヴの娘のヒルドであり、彼らの息子はロールヴとソーリであった。彼には私生児の息子達もおり、ハラルド、エイナル、ロルラウグである。ロールヴは大ヴァイキングで、彼を乗せれる馬がいないほど体躯が立派であった。それゆえ彼は「徒歩の」ロールヴと呼ばれた。ロールヴはバルト海を荒らし回っていた。ついでに調子に乗ってこともあろうにハラルド王の領土内のある岸を襲撃した。それが王の逆鱗に触れ、彼はロールヴを追放した。彼は西方に向かい、ついにはフランスに到達した。そう、彼こそノルマンコンケストの偉業をなす子孫を伝える「ロロ」その人である。と、一応、ヘイムスクリングラで紹介されている。実際はこれは立証されておらず、ロロは何人か確定していない。デンマーク人は愛国心高らかに「ロロはデンマーク人」といい、別の説では「ノルウェイ人」と言われている。
 「強い」ラグンヒルドは3年間ノルウェイで過ごした後に亡くなった。彼女との息子のエイリークは身分高い子供達がそうであったようにローアルドの息子のソーリのもとで育てられた。
 ハラルド王はユール祭のためにオプランドに向かった。ユールの前日にフィン人のスヴァーシというものがハラルド王を訊ねてきた。彼は家来達に王を外に連れてきて欲しいと頼んだ。王は宴に興じていたので最初は断ったが、2度目には承諾し、彼について小川を越えて彼の館に向かった。その館にはスヴァーシの娘のスネフリーズが座っていた。彼女は王に蜂蜜酒を勧めた。王は彼女に熱いものを感じ、その晩は床を共にした。王はスヴァーシの強い勧めもあってスネフリーズを妻とし、連れ帰った。
 王は彼女の虜となり、国の事に興味を示さなかった。彼らの子供は「巨人の」シグルズ、「高脚の」ハールヴダン、「微光の」グズレズ、ラグンヴァルドの4人である。そしてスネフリーズは息を引き取ったのであるが、彼女は生前のように顔も赤みが消えず、朽ちることなく寝床に横たわっていた。王は彼女が再び息を吹き返すのではないのかと3度の冬を亡骸と共に過ごした。民はこれを心配し、賢者ソルレイヴになんとか王を説得するように懇願した。賢者は王に穏やかな口調で話しかけた。
「閣下、このような高貴なご婦人が3年間も同じ寝間着で、同じシーツで寝ているのは相応しくないことです。シーツを取り替えましょう。」と彼は言った。
王がそれに了承し、彼女のシーツを取り替えさせようと寝床から起こすと、みるみるうちに彼女の亡骸は腐敗し、忌まわしい臭気と共に死体の中からウジ、ヒキガエル、蛇といった忌まわしき物どもが溢れ出てきた。そして死体が焼かれると同時に王は正気を取り戻し、再び以前の王を取り戻したのであった。
 ハラルド王はこれらの一件はフィン人の妖術使いの忌まわしき行いであると認識し、彼女との間に生まれた4人の息子を追い出した。しかし3男のグズレズの養父ティョゾールヴは王と親友であったため、王を説得し、息子達を許すように頼んだ。王はそれに同意し、グズレズを館に留めさせ、シグルズとハールヴダンをリンゲリーキに送り出し、ラグンヴァルドはハデランドに送り出した。今やハラルド王は国で落ちついてゆったりと過ごし、季節はよく平和であった。
 メーレのヤールのラグンヴァルドは兄弟のシグルズの死を知り、ヴァイキングに復讐するために息子のハッラジを西方に向かわせた。彼はヤールの称号を得てオークニー諸島に身を置いた。彼は退屈な生活とヤールの身分を捨ててこともあろうにノルウェイに向かった。この事はラグンヴァルドを不機嫌にた。そしてその姿を見た、彼の私生児の息子のエイナルが言った。
「俺は奴隷女の生まれだからこの先、栄光を手に入れる見込みなんて内。オヤジが認めてくれるなら西方の島々に向かおう。そしてノルウェイには二度と戻るつもりはない。その方がオヤジにも都合いいだろ。」と父に言った。
ラグンヴァルドはそれに承諾し、ロングシップを与えて送り出した。彼は秋にオークニー諸島にたどり着き、その時、「木髭の」ソーリと「卑怯な」カールヴというヴァイキングと対峙し、彼らの首を取った。彼はオークニー諸島に住み着いた。島には樹木がなかったので、泥炭を燃料とし、彼はそれゆえに「泥炭の」エイナルと呼ばれた。彼は醜く隻眼であったが、鋭い眼識がありヤールとなり有力者になった。
 グソルム公はヴィークのツンスベルグで多くの時を過ごし、ハラルド王のよき家臣で、ハラルド王の留守を預かっていた。その地はガウトランドとの不和が絶えなかった。かつてそこの王は既述のエイリーク・エムンダルソン王が統治し、父の後にビョルンが50年間スウェーデン王であった。彼はエイリーク常勝王とオーラヴの父で、オーラヴはスチュルビョルンの父である。グソルム公はツンスベルグの寝床で息を引き取り、王の息子のグソルムが継いだ。
 ハラルド王が40才になった。息子達の多くは成人していた。王は全州にヤールを置き、息子達には王国を与えていなかった。それが息子達の不満を募らせ、ついに「高足の」ハールヴダンと「微光の」グズレズは蜂起した。彼らはまず王のよき友であったラグンヴァルドを殺害し、グズレズはその地に留まった。しかしハラルド王がそれに激怒し、軍隊を差し向け息子を圧倒し、ラグンヴァルドの息子のソーリをその地のヤールとした。
 「高足の」ハールヴダンは次ぎにオークニー諸島を襲撃した。ヤールのエイナルはなんとか何を逃れたが、秋に島に戻りハールヴダンに向かっていった。この戦いでハールヴダンが捕らえられ、ヴァイキングの残忍な処刑方である「鷲の刑」で殺害された。この事はノルウェイのハールヴダンの兄弟達の逆鱗に触れ、ついにはハラルド王自らオークニー諸島に向かうことになった。ヤールのエイナルはハラルド王に全ての判断を委ねた。王はヤールに罰金の支払いを命じた。
 ヴィクを統治していたグソルムは軍船で出かけた時に、セルヴィがやってきて彼を殺害した。「白の」ハールヴダンと「黒の」ハールヴダンはバルト海を荒らしている時に、「白の」ハールヴダンが戦死した。ソーリに託されたエイリークはすくすくと育ち、彼はハラルド王に最も可愛がられていた。エイリークが12才の時に王は5艘のロングシップを彼に与え、彼はデンマーク、フリースランド、サクソランド、そして英国、フランス、アイルランドと遠征した。この後に東方に向かい、フィンマルク、ビャルマランドに行き、そこで彼は絶世の美女と出会った。彼女はラグンヒルドといった。彼女は2人のフィン人の妖術使いに軟禁状態の置かれていると彼に言った。彼女は彼らから妖術を学んでいた。彼らは話し合い、ついにはフィン人の首を取り、彼女を連れ去った。エイリークは彼女を妻とした。
 ハラルド王が50才になった頃、息子達は力を誇示し、ヤールを追い出して、王の名を語り居座っていた。次第に国は荒れてきた。ハラルド王は大シングを行い、息子達に王の称号を与えた。息子の直系が王を継ぎ、娘の直系はヤールを継いだ。どんどんと国が子孫達に分けられて細分化した。ハラルド王自身はミットランドで暮らしていた。エイリークは最も栄誉を受けていた。ハラルド王の息子達は小王としていたが、その地位に甘んじているわけではなく、父の後を継ぐことを望んでいた。ハラルド王自身はエイリークに自らの後を継いで欲しいと考えていた。ハラルド王とエイリークの親子はいつも一緒にいた。スネフリーズの息子のラグンヴァルドは妖術を学び、ハラルド王の嫌う妖術使いになった。王は彼に妖術を捨てるように命じた。しかし息子がそれに逆らったので、王はエイリークを向かわせて多くの妖術使いと友に殺害させた。
 ヴェストフォルドのツンスベルグを支配していたのはハラルド王の息子のビョルンである。彼はヴァイキング行きをせずに交易していたので「交易者の」ビョルンと呼ばれた。彼にはグズレズという息子がいた。エイリークが軍船でその地へきて、ビョルンにたかった。彼は今まで通りに彼に何も渡さなかった。しかしエイリークには食糧が必要で、必死に頼んだが望みかなわず立ち去った。その夕方にエイリークは酒を飲んでいたビョルンを襲撃しその首を取った。こうしてこの地の民にエイリークは酷く嫌われることになったのである。
 冬にエイリークはメーレに行き、そこでもてなされた。それを「黒の」ハールヴダンがききつけると軍隊を連れて行き、その館を取り囲み、エイリークを殺害せんとしていたが、エイリークは館の外におり森に逃れて窮地を脱した。エイリークはハラルド王のもとへ戻り、事の次第を伝えた。王は激怒し、ハールヴダンを退治せんと向かったが、彼ら両者のよき友であり、優秀な詩人の「金くその」グソルムが仲を取りもち、両者は和解した。
 ヤールのハーコン・グリョートガルズソンはハラルド王不在時のトロンヘイムの統治者であった。彼の後を息子のシグルズが継いだ。彼と共に「黒の」ハールヴダンやシグレズといった息子達がハーコンに養育された。彼らはほとんど同じ歳であった。ヤールのシグルズは「沈黙の」ヤールのソーリの娘のベルグリョートを妻にした。彼女の母はハラルド美髪王の娘のアーロヴである。
 王が70才になった時、モルスト一族のソーラとの間に子供を妊娠した。彼女は聡明で、王の侍女であった。その時代、身分の高い子息子女は王に仕える習慣があり、それが王への忠誠を誓う形になったのである。彼女はハラルド王のもとで子供を生みたいと望み、ヤールのシグルズの船で北上したが、岸で赤子を産み落とし、ヤールのシグルズが彼の名付け親となり、自らの父の名を取ってハーコンと名付けた。
 イングランドを支配した王はアセルスタンといった。彼の使者がハラルド王を訊ねた。使者達は見事な剣を王に手渡した。
「アセルスタン閣下はこれを受け取るように申し出ております。」と使者達が言いながらハラルド王に剣を手渡した。
「貴殿はこの剣を受け取った。ゆえに貴殿はアセルスタン閣下の家来となりました。」
ハラルド王は今まで誰にも仕えたことはなかったので、これを侮辱とみなし激高しかけたが、今まで冷静に事を運んできた事を思い出し、使者達を無事に送り出した。
 しかしハラルド王もこの侮辱を受けたままではおられず、彼はハーコンと共に親友の「吊りズボンの」ホウクをイングランドに向かわせた。ホウクはアセルスタン王に謁見した。ホウクはハーコンをアセルスタン王の膝に乗せた。
「何のつもりだ。」と王が訊ねた。
「ハラルド王陛下は貴殿に王の侍女の息子を育てよと命じております。」とホウクは答えた。
アセルスタンはこれに激高し、少年の引っ張り剣を抜いて殺害しようとした。
「貴殿は膝に座らせたではないか。」とホウクが言った。
アセルスタン王がホウクをにらみつけた時に彼は続けて言った。
「貴殿が望めばその子の首はとれよう。だがハラルド王閣下の息子達全ての首を取ることはできまい。」
こうしてホウク達は立ち去った。この当時、他人の子供を育てるというのは身分高き者のすることではなかったので、ハラルド王は非常にこの事を喜んだ。こうして2名の王は自らの面目を保ったのであった。
 アセルスタン王はハーコンに洗礼を施し、よい教育、礼儀作法、あらゆる王らしいことを学ばせた。王は誰よりも彼を可愛がったので皆が少年のことを知っていた。後に少年は「アセルスタン王の養い子」と呼ばれた。彼は武勇に優れ、体格も立派で、容姿もよく、賢く、キリスト教徒であった。アセルスタン王はハーコンに名剣を与え、彼はそれでひき臼を断ち割った。この剣は後に「ひき臼に噛み付くもの」と呼ばれた。それはノルウェイにもたらされた剣の内、最高の名剣であった。彼は死ぬまでその剣を手放さなかった。
 ハラルド王は80才になった。足下がおぼつかなくなり、政事から離れ、宴巡行にもでなくなった。彼はエイリークに玉座と王国と支配権を与えた。しかしその事に他の息子達が快く思わなかった。「黒の」ハールヴダンは全トロンヘイムの座についた。トロンド人は既述のように「農夫(もしくは商人)の」ビョルン王を敬愛していた。その兄弟のオーラヴが彼の死後、ヴェストフォルドを継ぎ、息子のトリュッグヴィと共にビョルンの息子のグズレズを養育し、子供達はほどんと同じ歳であった。ヴィクの人々はエイリーク王の権力を嫌い、オーラヴを王として選んだ。2年後に「黒の」ハールヴダンが突然死した。それは王母グンヒルドが雇った魔女に毒を盛らせて殺害したとまことしやかにささやかれたのであった。
 ハラルド王がエイリークに単独王の権利を与えたてから3年が過ぎた。彼は隠居し、ロガランドかヘルザランドで過ごしていた。エイリーク血斧王とグンヒルドはハラルド美髪王が名付けた息子をもうけた。ハラルド美髪王は娘達をヤールに嫁がせ、そこから分家がたくさん生じた。
 ハラルド美髪王はロガランドで寝床で息を引き取り、ハウグの塚に埋葬された。ハラルド美髪王は強く、気前がよく、家来の面倒見もよく、優秀な者であった。若かりし頃には優秀な強き戦士であった。
 王母ラグンヒルドの夢占いの通りになった。根本が赤い大木の夢見である。幹が素晴らしい緑色であったのは、王国の反映を示し、木が白かったのはハラルド王が長生きをして白髪になることを示し、木の枝の広がりは全土に広がる彼の子孫を示し、彼の血筋からノルウェイ王家が由来することを示していたのである。
 ハラルド王の死後、エイリークはミットランドからの収入を得た。一方、オーラヴはヴィク、シグルズはトロンドローから収入を得ていた。エイリーク血斧王は父王ハラルドのように単独王になることを欲し、全ての兄弟王を殺害せんと探し回っているという噂が流れた。そしてオーラヴとシグルズは協力し、エイリークと戦ったが、エイリークが勝利し、オーラヴとシグルズの両者は共に戦死した。エイリークはヴィクに向かった。それを聞きつけたトリュッグヴィとグズレズはオプランドに逃れた。
 エイリークは大きく、容姿もよく、強く、大戦士で、常勝で、激情家で、残酷で、恐ろしく、寡黙であった。その妻のグンヒルドは絶世の美女で、賢く、魔法に長け、口も達者で、ずるく、残酷であった。彼らの子供は皆容姿もよく優秀な戦士であった。ガムレ、グソルム、ハラルド、ラグンフレズ、ラグンヒルド、エルリング、グズレズ、「奴隷商人の」シグルズである。