注:かなり昔に作ったもので、かなりいい加減に作っているので、固有名詞などかなりいい加減なカタカナ表記になっているのでご注意ください・・・。固有名詞は一応は古アイスランド語のテキストから拾い出しはしていますが、カタカナ表記は・・・。信じないように・・・。


 イングランド王アセルスタンの養い子のハーコンは父王ハラルドの死を知るとアセルスタン王が用意した絢爛豪華な船でノルウェイに帰郷した。この時、彼はハラルド王の息子達の死とエイリーク血斧王の居所を聞き知った。その後、トロンヘイムのヤールのシグルズを訊ねた。その後、シングが行われ、ハーコンを王として認めるともれなくハラルド美髪王が取り上げた世襲の土地の権利を農夫達に戻し、非課税にすると申し出た。こうしてハーコンは15冬歳に王として選出されたのであった。このことは瞬く間に広がり、多くの者達がハーコンを王として認めた。
 冬にさしかかった頃にハーコン王はおいのトリュッグヴィとグズレズと出会った。彼はエイリーク血斧王の息子達が引き起こした様々の悪行三昧を聞き知った。人々はすでにエイリークに敵意を覚え、ハーコン王に与したいと申し出ていると彼らは伝えた。ハーコン王は彼ら2兄弟に王の称号を与え、それぞれに領土と相談役を与えた。
 ハーコン王はトロンヘイムで徴兵を行い、船を手に入れた。エイリーク血斧王の息のかかったヴィークの民は彼と一戦交えようと招集されたが、エイリーク王はわずかな兵しか集めることができなかった。そして彼はハーコン王と戦える十分な兵力がないとわかると西方に向かい、オークニー諸島、スコットランドと襲撃し、イングランドの至る所を荒らした。イングランド王アセルスタンはハラルド美髪王と友情があったので、その息子のエイリーク血斧王にノーサンブリア王国を与え、そこをヴァイキングの襲撃から守るようにと申し出をした。エイリーク王はそれを受けて、妻と子供達、家来達の全てと洗礼を受けた。彼はヨールヴィークに座を設けたが、彼は夏にはスコットランド、ヘブリデース諸島、アイルランド、ウェールズを襲撃し続けた。
 この後、アセルスタン王が亡くなり、彼の死後、エドモンドがイングランド王になった。彼はノルウェイ人嫌いであったのでエイリーク王を退けてノーサンブリアに異なる統治者を任命するだろうとの話が流れた。エイリーク王はヘブリデース諸島に向かい、そこで多くのヴァイキングを仲間にしてアイルランドに向かった。この後にウェールズを襲撃した。その後はイングランドの沿岸沿いを襲撃して荒らした。その地にはエドモンド王が任命したオーラヴという王がいた。彼はエイリーク王と退治せんと出兵し、見事エイリーク王の首を取り、その他の多くの者達を殺害した。
 グンヒルドと息子達はエイリーク血斧王の死を知ると、自分達の身の危険を感じて西に向かった。そして彼らはオークニー諸島とシェトランド諸島を征服して税金を徴収した。彼らは夏にはヴァイキング行きを行い、スコットランドやアイルランドを襲撃した。
 ハーコン王はエイリーク血斧王がヴィークを離れた後、全ノルウェイを手中に収めた。彼はトロンヘイムに行き、エイリーク軍の襲撃に備えた。ハーコン王はラーザのヤールのシグルズを全トロンドロー地域に据えた。ハーコン王はエイリーク王がイングランドでたいした武力を得ることなく出た事をしり、取るに足らぬ相手と判断してヴィークに向かった。ヴィークはデーン人に襲撃され荒らされていたが、ハーコン王の到来を知るとそそくさと逃げ去ったのであった。王はそれを追い、ユトランドに向かった。ユトランドの民は集結し、ハーコン王に立ち向かったが、ハーコン王が勝利を収めた。そしてこの後にハーコン王はシェラン島に向かい、そこでも戦いを勝利して征した。この後にスコーネに向かい、そこを襲撃し、多くの罰金や税を手に入れ、そこも征した。この後、スコーネに沿ってバルト海を行き、征した。こうして彼はデーン人とヴェンド人の両方を征したのであった。
 その秋にトリュッグヴィ・オーラヴソンが西方ヴァイキング行きから戻ってきた。彼はアイルランドとスコットランドを襲撃したのであった。翌春にハーコン王は彼をデンマークやそれ以外の者達の襲撃から守らせるためにヴィークを任せた。
 その当時のデンマーク王ハラルド・ゴルムソンはハーコン王の一連のデンマークでの襲撃を不快感を覚えていた。デーンの王が仕返しをするとの噂が流れたが、それは実行されることはなかった。そしてこの不穏を聞き知ったグンヒルドの息子達はデンマーク王を訊ねた。彼らはハラルド王から援助を受けた。ハラルド王は養い子としてハラルド・エイリークソンを選び、彼を膝の上に置いた。彼はデンマーク王のもとで育てられた。エイリークの息子達は大きくなるとバルト海での襲撃を繰り返し、多大なる財を築き、腕を上げたのであった。エイリークの息子達はヴィークに向かい、トリュッグヴィ王がそれに応じた。戦は何度となく繰り返された。
 ハーコンがノルウェイ王を勤めた時期、農夫達や商人達は平和に日々を送り、収穫や漁は順調であった。ハーコン王は快活で、穏やかに話し、とても親切であった。彼は見識者で、何度も法を制定した。「賢者の」ソルレイヴの助言により、ハーコン王はグラシング法を、ヤールのシグルズとそれ以外のトロンヘイムの見識者達の助言により、フロスタシング法を制定した。ハールヴダン黒王は既述のようにヘイズスエヴィ法を制定していたのであった。ハーコン王はトロンヘイムでヤールのシグルズがフラズで準備した宴の接待を受けていた。ユールの最初の晩にヤールの妻のベルグリョートが1人の男の子を産み落とした。次の日、ハーコン王はこの赤子に水を振りかけて名付け親になった。
 オプランド王のエイステインはトロンヘイムを襲撃し、エイナ州とスパルビッギャ州を征服し、そこに息子を据えたのだが、トロンヘイム民は彼を殺害した。再びエイステイン王はトロンヘイムを征し、荒らすだけ荒らして支配下に敷いた。彼はトロンヘイムの民に一つの問いを投げかけた。
「どれ下々の者ども。王を選ばせてやる。2つに一つだ。「毛深い」ソーリか「犬の」サウルのどちらかを選べ。」と王は民に迫った。
その時、トロンヘイムの民達は自らの権利が守られると信じて犬を王として選出することを選んだ。そして彼らは3名の賢者の魔法を犬にかけた。するとあら不思議「ワン、ワン。」と王様が2度吼えたかと思ったら、
「まぁしかしなんですなぁ。」と人語を話し出したのであった。
しかしテレビのゴハン犬のように「ご飯、ごはん、ごわん、ゴ・ワン。ワン。」と人語がアヤシくなると王の新鋭達がこれはまずいとばかりに王様を肩に乗せてそそくさと運び去ったのであった。犬王の玉座がしつらえられ、塚の上に玉座が置かれた。
 ある日、狼の群が姿を現し、家畜を襲った。家畜番が狼を追い払おうと叫んだ。
「王様!狼をやっつけるんだ〜。」
するとばか正直にも犬の王様は狼の群に突撃したのだが、多勢に無勢、王様はあっと言う間に狼に一斉に襲われてばらばらに引きちぎられたのであった。
 エイステイン王はトロンヘイムの民に犬の王を与えるという屈辱以外にも多くの侮辱を繰り返した。多くのトロンヘイムの有力者達や首領達はそれに絶えかねて世襲の土地を捨てて立ち去った。ヤールのエヌンドの息子のヤムトのケティルはたくさんの人々を連れて東に向かった。彼らは森を開墾して定住した。そこは後にヤムタランドと呼ばれた。ケティルの孫はヘルシングのソーリで、彼は殺人の門でヤムタランドを去り、東に向かって定住した。そこはヘルシンギャランドと呼ばれた。ヘルシンギャランドの民はスウェーデンに近かったのでスウェーデンと交易して役立っていた。ハーコンはこのノルウェイとスウェーデンにどっち付かずの土地を取り込んだ。
 ハーコン王は軽減なるキリスト教徒であったが、ノルウェイの民はオーディンを信奉し、供犠が行われていた。ハーコン王はキリスト教に改宗させようとしたが、多くの見識者がそれは不可能であると考え、王にキリスト教は王個人で行うべきだと説得をした。その後、頃合を見てハーコン王の親友達は洗礼してキリスト教徒になった。そして王は教会を聖別し、聖職者を置いた。シングを行い、農夫達にキリスト教を受け入れるように言った。しかし彼らは時間をくれと頼んだ。そのシングが行われ、王は農夫達にキリスト教を迫ったが、農夫達は強く反対した。緊迫状態にあった時、ヤールのシグルズが農夫達を説得した。
「ハーコン王は民を裏切りはしまい。」と言った。
「ならば王自ら供犠祭を行い、我らと共にオーディンやニヨルズやフレイや故人のために杯を空けよう。」と農夫達が提案した。
これを行わないと農夫達は王に反旗を翻すともつけ加えた。
 秋も深まった頃、ラーザの供犠祭に王が出かけた。王はいつもは供犠祭が行われている時は、異教の風習にのっとって行われている館から離れ、別棟で家来達と共に食事を取るのが常であった。しかし農夫達は供犠祭の館の高座が空席なのを避難し、王に座るように言った。ヤールは王を説得して高座に座らせた。そしてヤールは杯をオーディの名のもとに祝福し、王に手渡した。すると王はその杯の上で十字を切った。それをみた農夫達は非難した。
「王はキリストの印を切ったのではない。トールの槌の印を切ったのだ。」とヤールのシグルズが言った。
農夫達は次ぎに新たなる試練を王に突き出した。
「それでは閣下。生の馬肉を食して頂きましょう。せめてスープを口にしていただこう。」と言った。
しかし王は全く口にしなかった。
「では脂を食べて頂こう。」
しかしそれも王は拒否したので農夫達は王に敵意をむき出しにした。するとヤールのシグルズが機転を効かせた。
「閣下は貴殿らの望む通りになさる。さあ、閣下、蒸気のたつケトルのもとへ行き、その蒸気の上で口を開いてください。」とヤールが言った。
王はしぶしぶ従ったが、ケトルの持ち手に布巾をかけてその上で口を開いた。当然の事ながら、農夫達の誰1人として納得はしていなかった。
 翌冬に王のためにメリンでユール祭が準備された。トロンヘイムで供犠を取り仕切っている8名の首領達が話し合いを設けた。彼らは王にキリスト教を改宗して供犠祭に来るように王に要求するという合意を行った。一部のトロンヘイムの民は3名の聖職者を殺害し、3つの教会を焼き払った。そしてハーコン王とヤールのシグルズがメリンに到着した時、農夫達は強くでた。王に供犠を強要し、王は屈辱を感じながら行った。王はその地を後にし、ヤールのシグルズにトロンヘイムの民を武力で圧すると言ったが、ヤールのシグルズはトロンヘイムの民を責めてはいけないと説得した。
 ハーコン王にある情報が伝えられた。エイリークの息子達がデンマークからヴィークに向かっているというものであった。エイリークの息子達はヴィークを守らせるために置いたトリュッグヴィ・オーラヴソンを撃破し、ヴィークを荒らしまくっていると報告を受けた。ヤールのシグルズの取りはからいで、前述の宴で王に不満を覚えた首領達を説得し連れてきた。ハーコン王軍とエイリーク軍が対峙した。彼らはケルムトの近くで出会い、上陸してエグヴァルドスネスで戦った。ハーコン王はグソルム・エイリークソン王と戦い、グソルム王の首を取った。この後、エイリーク軍は敗走に転じた。ハーコン王はエイリーク血斧王の息子達の後を追い、東アグジルまで船を走らせた。しかし彼らを取り逃し、ハーコン王はノルウェイに戻り、エイリークの息子達はデンマークに戻った。
 この戦の後にハーコン王は法を制定した。全区を「船の義務」に訳、さらに「船の義務」を様々な州に分けた。そして徴兵制度も制定した。敵の襲撃に備えて「狼煙」の義務も作り上げた。徴兵はこの狼煙によって7晩で最南端から最北端に届いたという話である。
 ハーコン王は20年間、ノルウェイの王であった。エイリークの息子達はデンマーク王からデーン人の兵を受けており、兵力は大したものであった。彼らはデンマークからその大軍と共にやって来た。彼らは北上したのだが、狼煙は上げられなかった。狼煙は東から陸沿いに行われる手筈であったが、東の者達が彼らの到来に気付かなかったからである。それに間違って狼煙を上げた場合、罰則があった。そして地主達はエイリークの息子達の襲撃時には必ず狼煙が上がると信じて疑わなかったので油断もしていたのである。やっとビルキストレンドの地所にいるハーコン王のもとにこの情報が伝わったのであったが、その時、王は使用人と客人と農夫以外には家来がそばにいなかった。そこへエイリークの息子達の動向を報告する偵察隊がやって来た。そこにいた農夫達の戦ねの熱望もあってエイリークの息子達との決戦が決議された。
 ハーコン王は9隻の船でフェーエイヤルスンドのブレザルベルグの北に停泊した。エイリークの息子達は20隻以上の船を反対の南側に停泊した。決戦の場の地形は岸の縁は若干高くなっている窪地であった。この時、ハーコン王の家来のエギルが王に話しかけた。
「私に一つの秘策があります。10人の兵と10本の軍旗を下さい。」
王は了承してそのようにさせた。彼はそそくさと一段高くなっている土手へと急いだ。王は残った兵に命令した。
「横一列に布陣するのだ。さすればエイリークの息子達の軍がいくら兵が多いといえども我らを取り囲むことはできまい。」
そして戦が始まると激戦になった。そして秘策を持つエギルは10本の軍旗をできる限り1本1本の間を広く取って立てさせた。エイリークの息子達の軍の先頭の者が土手の上でゆらゆらとたなびく軍旗を見つけた。
「伏兵だ。敵は我らの背後からつけてきたのだ。」と1人が叫ぶとエイリークの息子達の軍内に動揺が広がり、1人また1人と逃げ出した。
「わしらデーン人やし、ノルウェイ人の喧嘩には関わっとられんわい。」とデーン人はまっさきに逃げ出した。
「ちょとまて、王のわしらが逃げるが先じゃ。」とエイリークの息子達の王達もそそくさと逃げ出した。
ガムリ・エイリークソンが土手を登ると我が目を疑った。そこには10本の旗がはたはたとたなびいているだけであった。
「たばかりおったか、ハーコンめ。」とガムリ王は叫んだ。
ガムリ王はすぐに戦の笛を吹き鳴らし、軍旗を立てて布陣を敷いた。しかしそれに従ったのはノルウェイ人だけで、デーン人はそそくさと船に逃げ戻った。いまやハーコン軍の兵力が勝り、その戦はエイリークの息子達は逃げ出した。しかしハーコン王は彼らを執拗に追いかけた。エイリークの息子達が停泊場に戻ると我が目を疑った。王を残して敗走した者達がすでに船を出していた。エイリークの息子達とその家来達は皆、海に飛び込んだ。ガムリ・エイリークソン王はそこで命を落としたが、他の兄弟達はなんとか船にたどり着いた。その後、彼らはデンマークに逃げ戻った。
 エイリーク血斧王がノルウェイを去って26冬歳年目になった。その時、ハーコン王はヘルザランドにおり、ストルズのフィチュアルの宴を行った。そこにはたくさんの農夫達が客人として招かれていた。そしてある朝、食卓についているた。その時、見張りが南からたくさんの船がやってくるのを目にした。見張りは誤報を伝えると罰則があることを考慮して仲間内で相談した。
「そうだ、エイヴィンド・フィンソンさんに確認してもらおう。」と1人が提案した。
エイヴィンド・フィンソンが彼らと共に確認しに行き、直ぐに王に伝えられた。王はすぐに食事を中断して船を確認しに向かった。
「我らはいつもエイリークの息子達の軍隊より少ない兵力で戦ってきたが、これほどまでに兵力の差で戦ったことはない。誰か意見はないか。」と王は言った。
ハーコン軍1に対してエイリークの兄弟達の軍6であった。ある者はハラルド美髪王が兵の数で劣っていても戦を勇敢に行ったと王に言った。またある者はデーン人に背を見せるよりは戦で命を落としたいと言った。王は彼らの心意気に感謝し、武装した。ハーコン王は「臼に喰らいつくもの」剣を手にし、黄金の兜を被り、チェーンメイル鎧を着け、片手に槍、脇腹に盾を持った。すぐに親衛隊と農夫達を引き出して軍旗を立てた。ハラルド・エイリークソンは兄ガムリの亡き後、兄弟達の指揮を取っていた。そこには母の兄弟のエイヴィンド・スクレイヤと「船乗りの」アールヴがいた。
戦が始まる前にハーコン王は鎧を脱ぎ捨てた。ハーコン王は父王ハラルドのように選り抜きの親衛隊を抱えていた。スコールムの息子の「強い」ソーラールヴがその中におり、彼は王とよく似た体系と服装であった。そして戦が始まるとハーコン王とソーラルヴは軍旗のもとで前進し、激しく敵を倒していった。ハーコン王は簡単に識別できた。それは王の兜に日の光が差して光彩を放っていたからであった。簡単に識別できたゆえ、多くの敵がハーコン王に群がった。エイヴィンド・フィンソンはこれはまずいとばかりに帽子を手にとって王の黄金の兜に被せた。
「やや、黄金の兜が見あたらぬ。ハーコンめ尻尾を撒いて逃げおったか。」とエイヴィンド・スクレイヤが叫んだ。
「良く見ろ、私はここだ。」とハーコン王は叫んだ。
エイヴィンドは王を見つけるとすぐに攻撃した。ソーラールヴが盾を投げつけ、エイヴィンドがよろめいた。そこに王が両手で「石臼に喰らいつくもの」剣でエイヴィンドの兜に叩き下ろし、彼は肩まで頭が裂けた。すぐにソーラールヴが「船乗りの」アールヴィを殺害した。2名が殺害されるとハーコン王は激しく前進したので敵は怯えて逃げ出した。しかしそこに1本の投槍が投じられた。それはハーコン王の肩の下に突き刺さった。
「俺がハーコン殺しだ。王殺しのお通りだ。」と1人の男が躍りでた。
それはキスピングというグンヒルドの靴奴隷であった。
「お前奴隷やし、武器もってるのおかしいし。大体、こんなたくさん矢や投槍飛んでるし、誰のかわからんし。」と大勢がつっこんだ。
結局、それは誰が投げたものか判らなかった。エイリークの息子達は皆、逃げ去った。
 ハーコン王は船に乗り込んで傷を縛らせた。血は止まることがなかった。この日が暮れようとしている頃、王はぐったりしていた。王は自らの館のある北のアールレクスタザに行くように命じた。そしてハーコナルヘッラに到着した頃、王は瀕死であった。彼は友人達をそばに呼び寄せた。
「この国の平和に尽力して欲しい。私の子はソーラだけだ。息子はおらぬ。エイリークの息子達に伝えて欲しい。この国に戻って王になるのだと。」
おいおい、今までの戦いは何だったんだか。続いて王が言った。
「もし私が生きながらえることができたのであれば、この異教の地から聖地に向かおう。そして私が行った原罪を神に許しをこうのだ。しかしもしこの異教の地で我が命が尽きるのであれば、お前達が最良と思われる方法で私のために墓を作ってはくれまいか。」
 少ししてハーコン王は生まれたその場所で息絶えた。味方敵なく誰もが彼の死を悲しんだ。それほどまでに彼の死は大変なものであった。決して再びこのような良き王が生まれることはないと人々は口にした。ハーコン王の友人達は亡骸をヘルザランドのセイムに運び、大きな塚を作り上げた。彼らは異教の風習で埋葬を行ったのであるが、王の考えも組したのか王の亡骸に最高の武具を身につけさせたがそれ以外の副葬品は入れなかった。ハーコン王はヴァルハラに向かったと人々は信じたのであった。