注:かなり昔に作ったもので、かなりいい加減に作っているので、固有名詞などかなりいい加減なカタカナ表記になっているのでご注意ください・・・。固有名詞は一応は古アイスランド語のテキストから拾い出しはしていますが、カタカナ表記は・・・。信じないように・・・。

オーラヴ(Óláfr)は兄弟のマグヌス(Magnúss)の死後ノルウェイ(Nóregi)の単独王であった。彼は体躯も立派で、皆はこんな素晴らしいもしくは威厳のある者は今まで見たことがないと言っていた。彼は色白で、目がきれいで、きれいな形の手足であった。彼は口数が少なかった。彼は皆と飲む酒が好きで、会話が好きで、彼の統治が続く間は幸せで平和であった。
ノルウェイには王の高座は長ベンチ(langpalli)の中央で、エール(
l)は火の周りに運ばれるという古い風習があった。しかしオーラヴは宴会場を横切る長ベンチの上に彼の高座を取った最初の者である。また彼は夏も冬もストーブ(ofnstofur)があり、床を草で覆った(strá
gólf)いくつかの部屋を造った最初の者である。オーラヴ王の時代は市場の町(kaupstaðir)はノルウェイで大きく発展し、いくつかはその時建造された。オーラヴ王はベルゲン(Bj
rgyn)に市場の町を設立した。すぐに豊かな者達がそこに住み着き、そこから他の土地に商人達は出帆したのであった。彼は大きな石造り(steinkirkju)のキリスト教会(Kristskirkju)の土台を築いた。しかしほとんど建造されなかった。彼は木造の教会(trékirkjuna)を終わらせた。オーラヴ王はニダロス(Niðarósi)に大ギルド(Miklagildi)を設立し、市場の町に多くのその他のギルドを設立した。ニダロスには「町の恩恵(Bœjarbót)」という名の鐘があり、それは大ギルドの鐘であった。そこにいるギルドの兄弟達は石造りの聖マーガレット教会(Margrétarkirkju,
steinkirkju)を建造した。オーラヴ王の時代、ギルドの館と葬儀の宴は市場の町で一般になり、人々は新しいファッションで身を包んだ。彼らは脚にすばらしいホースで飾りをつけ、ある者達は黄金の環を脚に着けていた。それから男達は紐が縁について、5エルの長さの袖のある長いキルトを身につけ、細身であった。彼らはまた絹で縫われ、黄金で飾られた長い靴を履いていた。また多くのその他のファッションが華開いたのであった。
オーラヴ王はこれらの外国の習慣を宮廷に導入した。彼は食卓の前に給仕(skutilsveina)を立たせ、酒を給仕させ、食卓に着かせる者は王侯らしい者達であった。彼は食卓に蝋燭持ちの蝋燭番(kertisveina)を立たせた。元帥(stallari)のベンチは食器棚のそばで、元帥とそれ以外の首領達は高座に向かって顔を向けて座っていた。ハラルド王と彼の前のそれ以外の王達は角杯(dýrahornum)で飲むことを常とし、火のまわりの高座からエールが運ばれ、健康を祈って乾杯されるのであった。
オーラヴ王は100(120)名の親衛隊(hirðmanna)、傍らに60名の客人(gesta)、60名の家来(húskarla)を抱えていた。そして農夫達が王になぜ法が定める以上、先代の王以上に抱え込むのかと訊ねたら、自分が先代よりへたれだからと答えた。しかしたとえ先代の倍の数を抱え込もうとも農夫たちに危害は加えまいとも言った。
スヴェイン・ウールヴソン(Sveinn konungr Úlfsson)が両ハラルド(ハラルド苛烈王とハロルド・ゴドゥインソン)の死から10冬後に寝床で死去した。彼の後を息子の砥石のハラルド(Haraldr
hein)が3年間デンマークの王となった。それからスヴェインの息子のクヌート(Knútr)が7冬王になり、彼は聖人である。それからスヴェインの三男のオーラヴが8冬間王であった。彼の後を四男の善人のエイリーク(Eiríkr)が8冬間王であった。ノルウェイ王のオーラヴはデンマーク王のスヴェインの娘のイングリーザル(Ingiríðar)と結婚し、デンマーク王のオーラヴ・スヴェインソンはハラルド王の娘でノルウェイ王のオーラヴのきょうだいのインギゲルザル(Ingigerðar)を娶った。闘争を好まぬ故に多くの者が農夫のオーラヴ(Óláf
bónda)と呼んだが、平和のオーラヴ(Óláf kyrra)と呼ばれたオーラヴ・ハラルドソン(Óláfr
Haraldsson)はヨハンの娘のソーラ(Þóru Jóansdóttur)との間に1人の息子をもうけ、彼はマグヌス(Magnús)と呼ばれた。彼は容姿のいい少年で、将来を約束されていた。彼は王の宮廷で育った。
オーラヴ王はニダロスのオーラヴ王の亡骸が最初に埋葬された場所に石造りの大聖堂を建造させ、祭壇は王の墓のある場所に立てた。大聖堂はキリスト教会として崇められ、そこへオーラヴ王の祠(skrín)は移され、祭壇に置かれたのであった。多くの奇跡(jar-tegnしるし)がすぐに起こった。そして翌夏、教会の聖別の1周年(7月27日)に、そこにたくさんの人々が集った。聖オーラヴ(7月28日)の祭の前のある晩に盲目の男がそこで目が治った。そして祭の日(7月29日)に、祠と聖遺骸が運び出され、祠が教会の敷地に置かれた。長い間口がきけなかった1人の男が語りだし、それから彼は弱々しい声で神と聖オーラヴを讃える歌を唱った。3人目はスウェーデンからきた1人の婦人で、彼女は盲目であったので旅を苦労して来た。しかし彼女が神のご慈悲を心事、宴の日に来た。彼女は日中のミサのために大聖堂に入ったが、礼拝式が終わる前に彼女は40年間盲目であった両目が見えるようになった。
ニダロスではオーラヴ王の祠が通りを通って運ばれている時に、突如祠が重くなったので運べなくなった。祠を地面に置くと瞬く間に地面が割れた。そこを見ると殺害された1人の子供の亡骸が埋まっていた。その亡骸は取り上げられ、道は元通りにされた。すると祠は前のように運べる重さになったのであった。
オーラヴ王はしばしば彼の所有する財産の広大な土地にいた。そして彼がハウコボー(Haukbœ)(現在のターヌム地方のハーケビィ(ボーフュースレン)スウェーデン))の彼の土地のランリーク(Ranríki)の東にいた時に病床について死に至った。彼は26冬間ノルウェイ王で、ハラルド王の死後1年後に王として選出されたのである。オーラヴ王の亡骸はニダロスに移され、自らが建造したキリスト教会に埋葬された。彼は最も愛された王で、彼の支配下でノルウェイは豊かにより力ある国に発展したのであった。
(03/10/05)