注:かなり昔に作ったもので、かなりいい加減に作っているので、固有名詞などかなりいい加減なカタカナ表記になっているのでご注意ください・・・。固有名詞は一応は古アイスランド語のテキストから拾い出しはしていますが、カタカナ表記は・・・。信じないように・・・。

 人間が生活を営むのは丸い平らな大地で、それは大洋から大きく海が入り込みたくさんの切れ目がある。海はノルヴァスンド(ジブラルタル海峡)からヨールサランド(エルサレム)まで広がり、そしてそこから黒海に通じている。地表はヨーロッパ、アジア、アフリカの3つに分けられる。
 黒海の北には冷もしくは大スウェーデンが広がる。それは大セルクランド(北アフリカ)や大ブラーランド(黒人の住む地域)ほど大きな所と言う者もいる。大スウェーデンの北は霜と寒さで荒涼とした無人地帯が広がっている。スウェーデンにはたくさんのありとあらゆる種類のものが存在する。たくさんの国、たくさんの部族、たくさんの言葉が存在し、巨人、ドワーフ、黒人、そして様々な生物がおり、狂暴な獣やドラゴンがいる。人間の営みの縁にある山々は南に伸びている。タナイス河(ドン河)がスウェーデンを抜けて黒海に至っている。
 タナイス河の東方のアジアはアスランドもしくはアスヘイムといい、その首都はアスガルドであった。そしてその町には万物の父オーディンが住まい、そこは供犠の中心地であった。神殿の12名の神官達が供犠祭を取り仕切り、人々を裁く習慣がそこにはあった。彼らはディーアルもしくはドロットナルという。
 オーディンは放浪者で大戦士であった。彼は無敗の勝利者であったので彼に従う戦士達はオーディンは全戦全勝者であると信じていた。オーディンはいつも戦士達を戦や困難な旅に乗り出させる時、自らの手を彼らの頭に置いて祝福を与えた。そうしてオーディンの祝福はいつも戦士達と共にあったのである。もし彼らに困難が降りかかった時、彼らは「オーディン」を唱えて救いを求めたのである。
 オーディンには2名の兄弟がいた。ヴィとヴィッリである。彼らはオーディンがいない時に国を治めた。かつてオーディンが遥か遠く旅に出て国にはもうもどらないと思われたことがあった。兄弟達はオーディンの財産を分配し、オーディンの妻のフリッグを彼らの妻にしたのだ。しかししばらくしてオーディンは戻り、再びフリッグはオーディンの妻となった。
 太古、ヴァン神族という者達がおり、彼らの住む地はヴァナランドもしくはヴァナヘイムと言われていた。オーディンはヴァン神族に軍隊を差し向けた。戦は何度も繰り返され、互いに互いの国を荒らした。そして両者がその事に疲れはて話し合いが持たれた。彼らは互いに重要人物を人質として差し出したのである。ヴァン神族からは豊穣の神ニョルズとその息子のフレイ、アサランドからはヘーニルが人質に選ばれたのであった。そして彼らと共に賢者達も選ばれた。アサランドからは大賢者ミーミルが、ヴァナランドからは大賢者クヴァシであった。そしてヘーニルがヴァナヘイムにやって来た時、彼は首領として選ばれ、ミーミルは彼にあらゆることについて助言を行った。しかしヘーニルが難題に直面するシングに出席し、それにミーミルが出席しない限り、彼はいつも同じセリフを言った。「他の助言を受けよ。」と。そしてヴァン親族はアサランドの者達が欺いたのではないかといぶかしみ、ミーミルを捕らえて首を落としてアサランドにつき返した。オーディンは首を取り、腐らぬように薬草を塗り付け、呪文を唱えた。すると首が彼に話しかけたのである。
 オーディンは神殿にニヨルズとフレイを遣わし、彼らは神官になった。ニョルズの娘はフレイヤである。彼女は女神官で最初にアサランドの民に魔法(セイズ)を伝授した。それはヴァン神族に用いられていたものであった。ニョルズがヴァナランドにいた時、彼は実妹(ヴァナヘイムでは合法)を妻として、その子供がフレイとフレイヤである。近親婚はアサランドでは禁じられていた。
 彼らの王国とスウェーデンを隔てる高い山脈が北東から北西に走り、その南方にオーディンが所有する広大な大地のあるトルコの民のくにまで遠くはなかった。この時代、ローマ皇帝の権力は世界の隅々にまで及び、力で様々な民を押しつけていた。
 オーディンは千里眼の持ち主で、彼は自国が栄えることは判っていた。それゆえに彼はアスガルドをヴィとヴィッリに任せ、ガルダリーキを抜けてサクソランド(ドイツ)に向かった。そしてその地を手に入れ、北に向かいフューン島のオーデンセに身を置いたのである。そして彼は北東にゲフィオンを向かわせた。彼女はギュルヴィ(古エッダのギュルヴィ王)を訪ね、彼は彼女に耕作地を与えた。そして彼女は巨人の館に向かい、巨人との間に4人の息子をもうけた。彼女は息子達を雄牛に変身させて繋ぎ、大地を西に向かって引っ張ったので大地が裂けてシェラン島ができた。そこで彼女は暮らした。彼女の夫はオーディンの息子のスキョルドで、彼らはレイレで暮らした。
 オーディンはギュルヴィの国の東に肥えた土地があると聞き、そこを手に入れた。オーディンの住まいをレグリンのそばに建て、そこに自らの民族の習慣に従って供犠の巨大な神殿を武力で手に入れたシグチュナに建造した。ニョルズはノーアチューンに、フレイはウプサラに、ヘイムダルはヒミンビェルグムに、トールはスルーズヴァンギに、バルドルはブレイザブリーキに暮らした。
 アーサ族オーディンと神官達は武術と芸術をその地に民に伝えたと言われている。オーディンは万能で、皆は彼から学んだ。彼は見た者が幸せになるような容姿であった。しかし敵にはその姿は恐ろしく映ったのである。彼は変身することができ、口が達者で抜け目なかった。彼はスカルド詩で万事を語った。北欧のスカルド詩の手法は彼と彼の神官達から発祥しており、それゆえ彼らは「歌の鍛冶屋」と呼ばれた。オーディンは戦で敵の目を見えなくさせたり、耳を聞こえなくさせることができ、敵の武器を全く役に立たなくもさせた。しかしオーディンの戦士達は武具を着けずに恐れず突き進み、狂犬か狼のように暴れ、盾にかみつき、熊や雄牛のように強かった。誰も彼らを傷つけることはできなかった。これが有名なベルセルク部隊である。
 オーディンは時折姿を変えた。その時、彼の肉体は死んだように横たわっていた。彼は炎を消したり、海を穏やかにしたり、風の向きを帰ることができた。彼は荒れ狂う海を肥えることができ、くるくるとテーブルクロスのようにたためるスキーズブラズニルという船を所有していた。オーディンはミーミルの首を持って様々な事を語らせた。そして彼は時として死者を地中から呼び起こし、吊されている者達の下に座った。それゆえ彼は「死霊や吊された者達の君主」の異名を持つ。オーディンは2羽の鴉を飼って言葉を教えた。鴉達はオーディンに様々な国を飛び回って知り得た情報を伝えた。これらの英知はルーン文字とガルド(魔法歌)で伝え、それゆえアスガルドの者達は「ガルドの鍛冶屋」といった。オーディンは最強の力をもたらし、セイズ(妖術)を理解していたのでたくさんの人間の運命と未来を理解していた。そして彼はこの技を人々に伝えたのだが、これは男達にとっては恥辱なしに扱うことができなかった。それゆえに女神官達にこの技が伝えられた。オーディンはあらゆる財宝の隠し場所を理解し、大地と丘と塚と岩が彼のためにそれを明かすための歌を知っており、その中に住まう者達に金縛りをかけて自由に入り、全財宝を手中に収めることができたのである。そしてたくさんの者達が彼から多くのことを学んだ。魔法はそれゆえに広がり、その後永続したのである。人間はオーディンと彼の12名の神官達に生け贄を納め、神々の名を口にして彼らを信じたのであった。
 オーディンはスウェーデンで寝床で息を引き取り、彼は死にゆく時に槍の穂で体に印をつけた。戦で命を落とした全戦士は彼に捧げられたのである。彼はゴドヘイムに旅立った。スウェーデンの民はオーディンはアスガルドに行き、永遠にそこで暮らすのであろうと信じた。そして新たなる「オーディン信仰」が始まるのである。
 スウェーデンの者達は戦地に向かう時、オーディンの姿を見たように感じた。オーディンはある者達には勝利を与えたが、それ以外の者達(戦死者)はヴァルハラに迎えたのである。そのどちらの運命も彼らには栄誉あることであった。
 オーディンは荼毘に伏され、その炎はとても神々しかった。煙は上に上り、天に至り、彼の共に焼かれた財産も天に届いたと信じられた。ノーアチューンのニョルズはそれからスヴェアの王となり、生け贄の儀式を支持した。この時代はとても平和で豊かな季節が続いたのでスヴェアの民はニヨルズが作物と人間に幸福をもたらしていると信じた。ニョルズの時代に神官達の多くが死に、皆は法に従って焼かれ、そして後にスヴェアの民は神官達を生け贄にしたのである。ニョルズは寝床で息を引き取り、彼の死ぬ前にオーディンのために体に印を付けた。スヴェアの民は彼を荼毘に伏し、彼の墓のそばではたくさんの者達がその死を悼んだのである。
 そうしてフレイが王国を手に入れた。彼は父のようによき季節をもたらした。彼はウプサラに大神殿を建造し、そこに主権を置いた。これは永続するスウェーデンの主権の始まりである。彼の時代「フロージの平和」が始まった。そして土地は豊かで季節も良好であった。それゆえに民はフレイに信頼を寄せた。そして民は今までよりずっと豊かになったので他の神々より多くの崇拝を得たのであった。ギミルの娘のゲルズはフレイの妻である。彼らの息子はフィヨルニルと言った。フレイには「ユング」の別名があった。その名はとても大切な名として彼の一族に代々用いられ、一族は後に「ユングリング」(ユング一族)と称されたのであった。そしてフレイは病に倒れた。病床に彼は家来達から助言を受けた。彼らは扉と3つの部屋がある墳墓を建造した。それからフレイが亡くなった時、フレイの亡骸を誰に知られることなくこっそりと墳墓に運び込んだので、スヴェアの民はまだフレイが生きていると思っていた。彼らは3年間彼を見守った。そして良好な季節と平和が続いた。
 フレイヤは神々の最後の生き残りであったので、彼女は供犠を続けたのであった。そして彼女は名声を得た。
 スヴェアの民はフレイがもはやこの国にいないことは知っていたがよい季節と平和が続いていたので、彼らはフレイの亡骸が存在する限りそれは続くと信じた。それゆえに彼らはフレイの亡骸を荼毘に伏さず、彼を「大地の神」と呼び、彼のため、よき季節のため、平和のために供犠が行われた。
 ユンヴィフレイ(フレイの別名)の息子のフェルニルが次ぎにスヴェアとウプサラの富を支配した。彼はよい季節と平和をもたらした。この時代、デンマーク王は「平和の」フロージで、彼はレイレに住んでいた。彼とフロージの間には友情があった。そしてフェルニルがシェラン島のフロージを訪れた。大祭が整えられ、たくさんの者達が遠くから招かれていた。フロージは大きな館を所有し、その中には大きな樽が作られていた。吹き抜けの館内の地階にそれが置かれ、蜂蜜酒を上から注いで混ぜたのである。とても強い酒であった。夕暮れにフェルニルは従者達と共に2階に寝床を与えられた。彼は寝る場所を求めて廊下に出た。彼はひどく寝ぼけていた上に泥酔していたので、足を踏み外して樽に落ちて溺死したのであった。
 スヴェイグジが父の後の王国を継いだ。彼はゴドヘイムとオーディンを探す旅に出た。12人の家来を連れて東はトルコの民のくにや大スウェーデンにまでたどり着いた。その旅に5度の冬を費やし、その後に国に戻った。彼はヴァナヘイムの外れでヴァナという妻を娶っていた。彼らの息子はヴァンランディである。
 スヴェグジは再びゴズヘイム探索の旅に出た。スウェーデンの東にはステインという街があった。そこには巨岩があった。ある夕暮れに彼は酔っぱらいながらあずま屋に戻った。彼がふと岩を見ると岩の下にドワーフがちょこんと座っていた。彼らは石に向かって行った。ドワーフは岩について扉に立ってスヴェグジに呼びかけた。
「オーディンに会いたいならこの中に入りな。」
スヴェグジはその言葉に従って岩の中に入るとすぐに扉が閉ざされ、彼は二度と人々の前に姿を現さなかった。
 スヴェグジの息子は「高き」ヴァンランドで、父の後の王国を継いだ。そして彼がウプサラの富を支配した。彼は大戦士で国の至る所に行った。彼は老スニャーとフィンランドで一冬を過ごし、彼の娘のドリーヴと結婚した。春になると彼は立ち去って、ドリーヴは後に残されたのであった。
「冬が3度過ぎたらまた戻る。」
そう意って彼は国に戻ったのであった。しかし冬が10度過ぎても彼は戻らなかった。そしてドリーヴは魔女フルズを呼び寄せ、そして彼との息子のヴィースブルをスヴェアに送り出した。ドリーヴは魔女フルズに魔法でフィンランドにヴァンランドを連れてくるか、もしくは殺害するかのどちらかをさせるために報酬を与えた。セイズが進行していた時、ヴァンランドはウプサラにいた。彼はフィンランド行きを切望していたのだが、家来達がそれを押さえていたのであった。そして彼が眠りについた時、マラ(夢魔)が彼を襲った。家来達が異変に気付き、王の寝所にやって来た。家来達が王の枕元に近づこうとするとマラは王の足を踏みつけ、今にも踏みつぶされようとしていた。家来達は足の方に向かうとマラは王の頭を鷲掴みにして握りつぶしたのであった。スヴェアの民は亡骸を河原で荼毘に伏した。そこには彼の石碑が立てられた。
 ヴィースブルが父のヴァンランドの後を継いだ。彼は「豊かな」アウズの娘を妻にし、彼女に3つの広大な地所と黄金の首輪を婚礼の贈り物として与えた。彼らにはギースルとオンドゥという2人の息子がいた。後にヴィースブルは妻を息子達と共に実家に送り出して離縁し、他の妻を取ったのであった。この後にヴィースブルにドーマルディという息子が生まれた。ドーマルディの継母は彼に不幸がもたらされるように魔法をかけた。ヴィースブルの息子達はそれぞれ12才と13才の時に、彼らは父王を訪れた。彼らは母の婚礼の贈り物を要求したが、王は手放さなかった。
「その黄金の首輪はお前の一族の災いとなるよ。」と息子達が王に言った。
そして彼らは館を立ち去った。そして彼らは再び魔法をかけたのであった。
その後に民衆を集めてヴィースブルに夜に不意打ちをかけ、館共々王を焼き殺したのであった。
 ドーマルディが父のヴィースブルの後を継いで王となった。彼の時代に飢饉が起こり、スヴェアの地では食糧が不足した。そしてスヴェアの民はウプサラで大供犠祭を行った。収穫を祈願して雄牛を捧げたがそれでもよくはならなかった。次ぎの収穫時に彼らは人間を生け贄にしたが、作物のできは同じか悪いぐらいであった。そして3度目の収穫時に多くのスヴェアの民がウプサラで供犠を行おうとしていた。そして首領達が話し合いを行った。
「不作の原因は全て王にある。王をオーディンに捧げるのだ。さすれば豊作になろう。王の血で神殿を染めるのだ。」と1人の首領が熱演した。
そうして彼らは王を生け贄にしたのであった。
 ドーマルディの息子のドーマルが次ぎに王国を引き継いだ。彼は長らく統治し、平和で豊作が続いた。彼はウプサラで寝床で亡くなり、河原で荼毘に伏されて石碑が立てられた。
 彼の息子のヂッグヴィが次ぎに王になった。彼もまた寝床でなくなった。ディッグヴィの母はリーグの息子のダンプ王の娘のドロットである。
 ティッグヴィの息子のダグが父の後を継いだ。彼は賢者で小鳥の囀りが理解できた。彼は情報をもたらしてくれる雀を飼っていた。雀はいつものように飛び立った。そしてデンマークの農夫の畑に舞い降りた。農夫がそれを見つけて石を投げつけて雀を殺した。ダグ王は雀の死を知り、大軍をデンマークに差し向けて襲撃した。民衆は逃げ去り、ダグは多くの者達を殺害し、捕らえた。その後に川を越えている時、職人が河原に飛び出てきて干し草を投げつけた。それが王の頭を直撃し、落馬した。それが王の災いとなった。
 ダグの息子のアグニがその後を継いだ。ある夏にアグニ王は軍隊を連れてフォンランドに進軍した。フィン人達は大軍隊を集結させた。その首領はフロスティであった。激戦であったがアグニ王軍が勝利し、フロスティは自軍の者達と共に戦死した。アグニ王はフィンランドを支配した。彼はフロスティの娘のスキャールヴとロガを捕らえて連れ去った。それから西方に向かい森のある野原で天幕を張った。その時、アグニ王はヴィースブルの災いの黄金の首輪を身につけていた。彼はスキャールヴに求婚したが、彼女は父の葬儀の宴をして欲しいと頼んだ。そして王はそれを行った。スキャールヴが酒を飲んでいる時、彼女は首輪に気を付けるように言った。彼は寝る前に首輪をしっかりと巻き付けた。王の天幕の上には日光を遮る大木があった。スキャールヴは王が寝静まるのを確認すると王の首の周りに綱を巻いた。彼女の家来達が天幕を打ち壊して綱を枝に放り上げて王を吊し上げた。これが王の災難である。スキャールヴと彼女の家来達は船に乗って逃げ去った。アグニ王はそこで荼毘に伏された。
 アグニの息子はアルレクとエイリークである。彼らは父の後、共同王になった。彼らはいつも馬に調教していた。彼らは最高の調教師であった。そして彼らはどちらの腕が上か、どちらの馬が名馬か競っていた。ある日、彼らは最高の軍馬で家来達を引き離して走り去った。そして家来達がいくらまっても王達が戻ってこなかったので様子を見に行くと、互いの馬具で頭を殴って事切れた王達を発見したのであった。
 ユンヴィとアールヴというアルレクの息子達はスヴェアの国を引き継いだ。ユンヴィは優れた戦士で男前で、気前がよく性格も明るく、たくさんの友がいた。そしてアールヴはいつも館におり、決して襲撃には出ず、物静かで、横暴で友がいなかった。彼の母はダグリングの「強い」ダグ王の娘のダゲイズであった。アールヴには大胆で活発なベラという妻がいた。ユンヴィ王はしばしば酒を飲んで夜を過ごしていた。一方、アールヴ王の就寝は早かった。ベラはしばしば夜をユンヴィと話をして過ごしていた。アールヴがこれに不満を覚えて妻に文句を言った。
「ユンヴィを夫にしたご婦人は幸せだわ。やれやれなんで私がアールヴの妻なんだろう。」と彼女は言い返した。
そして彼女は一度ならず、度々夫に言ったのであった。ある晩、アールヴは高座に座って過ごしていた。ユンヴィは膝に剣を置いていた。そこへアールヴが入ってきたのだが、家来達は酒に酔っておりだれもその事に注意を払わなかった。アールヴ王はユンヴィに近づいてマントの下に隠していた剣をユンヴィに突き刺した。ユンヴィは立ち上がって剣でアールヴに死の一撃を与えた。両者は地面に崩れ落ちた。
 アールヴの息子のフグレイクはユンヴィの息子達が幼少なことを理由に国を引き継いだ。フグレイクは父のように戦士ではなかった。彼は金持ちであったが金に汚かった。
 ハキとハグバルズという兄弟がいた。彼らは海の王で大軍隊を抱えていた。彼らはたくさんの戦利品を手にして名をはせていた。ハキ王はフグレイク王と戦うためにスヴェアに軍隊を差し向けた。それに対しフグレイクは徴兵するとスヴィプダグとゲイガズの2兄弟が力を貸しにやってきた。ハキ王は12名の闘士を抱え、その中には「老」スタルガズがいた。会戦はフィーリスヴェッルムで行われた。戦は激しく、フグレイク軍は不利になった。そして「勝利者の」スヴィプダグとゲイガズが前に出た。彼らは1人につき6人がかりで捕らえられ、そしてスヴェア人達は敗走に転じた。ハキ王はその国を支配し、スヴェア王になった。彼は3年間そこを統治した。
 ユンヴィの息子はヨルンドとエイリークである。この時代中ずっと彼らは軍備に力を入れていた。ある夏に彼らはデンマークを襲撃し、ハロガランドの王のグズラウグと戦った。グズラウグ王が捕らえられて戦が集結した。彼らはストラウメイラル岬に彼を連れて行き、そこで吊し上げた。彼の家来達は王のために塚を急造した。
 ヨルンドとエイリークはこれで名を上げた。彼らはハキ王が選り抜きの戦士を送り出したと報告を受けた。彼らはスヴェアに向かい、徴兵した。スヴェアの民はユングリングの者が来ていると知るとそこへ向かった。彼らはハキ王にずっと少ない兵力で戦いを挑んだ。その戦でエイリーク王は戦死した。ヨルンド王は船に逃げ戻って逃げ去った。ハキ王はこの戦いで深手を負い、命がそう長くないと自覚した。王は死者と武器を船に乗せて薪を積み上げさせた。その上にハキ王が横たわった。その時、王は瀕死か死んでいた。炎が入れられ、船は燃え盛りながら海へとゆっくりとあの世に旅だったのであった。
 ユンヴィ王の息子のヨルンドがウプサラ王になった。彼はしばしば夏に襲撃に出た。ある夏に彼はデンマークに進軍し、ユトランドを辺り構わず襲撃した。秋になると彼はリムフィヨルドにいた。そしてそこも略奪していた。そこはハーレイグのグズラウグ王の息子のギーラウグがヨルンドと戦うために来た。ヨルンド軍が負けて船外に飛び出たが、捕まって絞首台に引きずり出された。これが彼の死である。
 イェルンドの息子はアウンとアーニでスヴェアの民の王となった。彼は賢者で大供犠者であったが、戦士ではなかった。この時代デンマークのダン王は年老いていた。そしてその後に息子の「平和の」フロージ、その後にハールヴダンとフリーズレイヴという彼の息子達が登場した。彼らは大戦士であった。ハールヴダンはスヴェアのアウン王に軍隊を差し向けた。幾度となく戦い、ハールヴダンが全てに勝利した。そしてついにアウン王は西ガウトランドに逃亡した。彼は25年間ウプサラ王であった。ハールヴダン王がウプサラにいた時の25年間をガウトランドで過ごした。
 ハールヴダン王が病死して塚に埋葬された。そして60才になるアウン王がウプサラに再び王として君臨した。彼は長寿を祈願して供犠を行い、オーディンに息子を生け贄に捧げて60年の延命が約束された。その25年後フリズレイヴの息子の「大胆な」アーリが軍隊を向けた。彼らは幾度となく戦ったがアーリが全勝した。そして再びアウン王が逃亡し、西ガウトランドに向かった。アーリは「老」スタルガズに殺害されるまで25年間王として君臨した。アーリの死後、再びアウン王が戻り、25年間統治した。それから大供犠祭を行い2度目の息子を生け贄にした。彼は7人の息子達を生け贄にして歩けなくなるまで長生きした。それから彼は8人目の息子を生け贄にして延命したが寝たきりであった。さらに9人目を生け贄にして生き長らえたが、もはや彼は牛の角から飲み物を取るほかなかった。アウンには1人の息子を残すのみとなった。彼を生け贄にしようとした。しかしついにスヴェアの民は王を止めて供犠を行わせなかった。するとすぐにアウン王は息を引き取った。彼はウプサラの塚に埋葬された。
 「老」アウンの最後の息子はエギルといい、彼がスヴェア王になった。彼は戦士ではなかった。彼の奴隷はチュンニといい、「老」アウンの税の徴収人であった。チュンニはアウン王が死ぬとその財産運び出して埋めて隠した。エギル王はチュンニを特別扱いせず、他の奴隷達を同じように扱った。するとチュンニはこれをよしと思わず奴隷達を引き連れて逃げ出した。彼は埋めた財宝を人々に与えて首領になった。彼らは森に広がり、住民を襲い、略奪した。エギル王はこれに対し軍隊を差し向けたが反対にチュンニ軍に襲われてたくさんの家来を失った。そしてエギル王は敗走した。この地方でチュンニが手に入れた全ての品物を仲間に分け与えた。
 再びエギル王は軍隊を差し向けたが負けて敗走した。エギル王とチュンニは8度戦い、チュンニが全勝した。エギル王はシェラン島の「大胆な」フロージのいるデーンの地(デンマーク)に逃げ込んだ。
「力を貸して欲しい。もし王国を手に戻すことができれば、スヴェアの税を貴殿に譲り渡そう。」とエギル王が言った。
そしてフロージから軍隊を借りてスヴェアに向かった。チュンニは戦死し、エギルが再び玉座についた。デーン人達はみな自国に戻った。エギル王は毎年フロージ王にたくさんの高価な贈り物をしたが、税は支払わなかった。しかしエギルとフロージの間には友情が保たれていた。チュンニの死後3年間彼は統治した。
 スヴェアで供犠に用いられる雄牛が大きくなりすぎて危険な獣にまで成長した。雄牛は森に逃げ込み、その森の災いになった。エギル王は狩りが上手く、いつも彼は森に狩りに出ていた。そしてある時、雄牛と森で出くわした。雄牛は王に突進した。王は槍を突進する雄牛に向けたが逸れてしまい雄牛の角は馬の腹部に深々と突き刺さった。馬はばったりと大地に倒れた。王は振り落とされたがすぐに剣をもって立ち上がり雄牛に向かったが、雄牛は王の胸部に角を深々と突き刺した。そして家来達がかけつけて雄牛は殺害されたが、王はしばらくして絶命した。
 エギルの息子のオッタルがその後を継いだ。彼はフロージには友好的ではなかった。フロージは約束した税を要求して使者を送りだした。
「スヴェアの民はデーンの王になど今まで税を支払ったことはない。そしてこれからもだ。」と王はきっぱりと言った。
フロージは軍隊を連れてスヴェアに向かい、さくさんの民衆を殺害して襲撃した。彼らは住居を焼き周り、それは大害となった。
 翌夏、彼はバルト海を荒らしに出かけた徒こり、オッタル王はフロージ王が不在であると聞き知った。すぐに彼はデンマークに向かい、略奪した。フロージ不在時に最高権力者であったヴェットとファスティというヤールがスヴェア王の略奪を知るとすぐに軍隊をそこに向かわせた。すぐに海戦になり、スヴェア軍が有利にみえたが、デーンの民が次から次へとやってきてきりがなかった。この結末はオッタル王の戦死である。デーン人はその亡骸を運んでくぼみに投げ入れた。そして鴉や獣に死体を引き裂かせた。彼らは鴉を捕まえてスヴェアに送りつけ、オッタル王はこれ以下だと言った。
 オッタルの息子のアジルスがその後を継いだ。彼は長らく統治した。彼もまた夏を襲撃で過ごしていた。ある時、彼は「強い」アーロヴとして知られる妃を持つゲイルティョヴ王が支配するサクソランドに向かった。その時、王は不在でアジルス王が襲撃し、家畜と奴隷達を引き連れて行った。その奴隷の中にイルサという美女がいた。アジルス王はイルサが賢女であったので他の奴隷とは区別した。皆は彼女をひいきした。王は彼女を妻にした。
 その時、ハールヴダンの息子のヘルギはレイレを統治していた。彼は圧倒的な数の兵をもってスヴェアに向かった。彼はイルサを捕らえて連れ帰り、彼女を妻にした。彼らの子供は「杭の(背高)」ロールヴである。ロールヴが3冬歳の時、アーロヴ妃がデンマークにやって来た。彼女はイルサに夫のヘルギ王が彼女の実父でアーロヴが実母であると告げた。そしてイルサはスヴェアのアジルスのもとに戻り、彼女は死ぬまで妃であった。ヘルギ王は戦死し、この時8才の「杭の」ロールヴがレイレ王になった。アジルス王はノルウェイ出身のウプランド人のアーリ王と長らく戦っていた。彼らはヴェネル湖で戦った。アーリ王が倒れてアジルスが勝利した。
 アジルス王は最高の軍馬を所有していた。その一頭はスレングヴィという名馬であった。それ以外の馬は戦死したアーリ王から取り上げたものでラヴンと言った。そしてそれから彼はその他のラヴンを飼育しており、それをハロガランドのゴズゲスティ王に贈った。ゴズゲスティ王はその馬を乗りこなすことができず、ハロガランドのエムズで落馬して絶命した。アジルス王は女神の供犠祭の時に神殿の周りを馬で回っていると馬がひっくり返った。王は頭を石に打ちつけて絶命した。そこに彼の塚(ガムラウプサラの古墳)がある。
 アジルスの息子はエイステインといい、続いて王国を支配した。その時代に「杭の」ロールヴはレイレで死んだ。デーン人とノルウェイ人の両国はスヴェアを襲撃した。
 ニャルズ島のホグニの息子のセルヴィはこの時、バルト海を荒らしていた海の王の名前である。彼はユトランドに莫大な財産を持っていた。彼はエイステイン王はスヴェアに向かった。そこでセルヴィ王が奇襲をして屋敷を取り囲んで家来ともども焼き殺した。それからセルヴィはシグチューナに向かって、王の称号と人質を要求したがスヴェアの民が軍隊を集結させた。戦は11日間にも及んだ。セルヴィ王が勝利し、スヴェアの民が彼を殺害するまでの長い間、彼はスヴェアに君臨した。
 エイステイン王の息子のユンヴァルはそれから王になった。彼はスヴェアの国がデーン人とバルト海の民に荒らされていたので軍船で対抗しに向かった。デーン人と和平を結び、バルト海の襲撃に備えた。ある夏、彼は軍隊を連れてエイストランドに向かい、ステインの街を襲撃した。そしてエイストランド人が軍隊を引き出し、戦が始まった。ユングヴァル王が戦死し、塚に埋葬された。
 ユングヴァルの息子のエヌンドが王国を引き継いだ。彼は父の敵を討ちにエイストランドの向かった。秋には国に戻った。彼の時代は季節もよく、収穫も多かったので、彼は民から好かれていた。スウェーデンには多くの森があり、荒れ地は広くそこを越えるのは骨の折れる仕事であったので、彼は道を整備した。道ができ、人々がたくさんやってきて大領地ができあがった。彼は「道の」エヌンドと呼ばれたのであった。
 「道の」エヌンドにはインギャルドという息子がいた。フィアズルンダランド王はユングヴァルで、彼にはアールヴとアグナルという息子がいた。彼らはインギャルドと同じぐらいの歳であった。スウェーデンにはたくさんの小王がいた。「道の」エヌンドがテューンダランドを支配し、そこにウプサラがあった。真冬に大供犠祭が行われたくさんの者達がきた。そこにユングヴァル王が6才の息子達を連れてきた。
 歳が近い彼らは「戦ごっこ」をして遊んでいた。いくらやってもインギャルドがアールヴに勝てなかったので、彼は泣いた。そこへ乳兄弟のガウトヴィズがやってきて、養父の「盲目の」スヴィプダグのところに連れていった。この話を聞いて彼は少年のために狼の心臓を食べさせた。その後、インギャルドは誰からも恐れられる者になった。
 成人したエヌンドはガウトの息子の「寛容な」ガウトレク王の息子のアルガウト王の娘のガウジルドに求婚した。アルガウト王はそれに承諾して娘を送り出した。
 ある秋、エヌンド王は親衛隊と共に町を進み、ヒミンヘイズという場所にやって来た。そこは細い谷で大雨が積雪を痛めつけていた。雪崩が岩と飛ばし、エヌンド王と従者が下敷きになった。
 エヌンド王の息子のインギャルドが王になった。スヴェアにはたくさんの小さな国があり、たくさんの小王がいた。インギャルド王は父の葬儀の宴を行おうとしていた。彼はウプサラに大きく立派な館を建て「7名の王の館」と名付けた。彼はヤール達と有力者達を招待した。この葬儀の宴に血族のアルガウト王、アグナルとアールヴの息子連れのフィアズルンダランドのユングヴァル王、ネリーキのスポルスニャッル王、アーチュンダランドのシグヴェルク王がそこに来た。しかしスズルマンナランドのグランマル王はこなかった。用意された7つの高座のうち1つが不要になった。
 その晩、インギャルド王は家来達に命じて6人の小王を館共々焼き殺した。そして彼は6人の小王の王国を手に入れた。
 グランマル王はこれを知り、自らの命を危ぶんだ。ユルヴィングと呼ばれたヒェルヴァルズ王はその夏に軍隊と共にスヴェアにやってきた。これを聞き知ったグランマル王は彼を客人として迎えようと家来を送り出した。ヒェルヴァルズは申し出を受けて宴にやってきた。ヴァイキングは客人がいる時は同志で酒を酌み交わすのが常であった。そしてグランマル王は娘のヒルデグンにエールを運ぶように言った。彼女は絶世の美女であった。
「幸あれ、ユルヴィングに。「杭の」ロールヴの思い出に。」と彼女はヒェルヴァルズ王の前で言った。
彼女はそれから杯を半分空けて、ヒェルヴァルズ王に手渡した。彼は彼女と酒を酌み交わしたいと言ったが、彼女はそれはヴァイキングの風習ではないと言った。しかし彼は彼女を説得し、彼女はその横に座った。次の日、彼はヒルデグンに求婚し、グランマル王はこのことを妃のヒルドと首領達に伝えた。それは祝福された。グランマル王に世継ぎがいなかったので、彼はそこに留まった。
 同じ秋にインギャルド王はグランマル王軍と戦いたいと望んでいた。これを聞き知ると東ガウトランドのヘグニ王とその息子のヒルディが彼のもとにきた。ヘグニはグランマル王の義理の父である。インギャルド王は武力をもって進んだが、仲間の首領達が一斉に逃げ出したので立場が悪くなり、酷く負傷した。その後にインギャルド王とグランマル王の間には平和がなかった。これが長らく続き、両者の間を取り持ったものが話し合いをもうけた。インギャルド王、グランマル王、ヒェルヴァルズの3名が生きている限り平和を守るとの約束がなされた。
 翌春にグランマル王はウプサラの夏の供犠祭にでかけ、そこで命はそう長くないと予言を受けた。
 翌秋にグランマル王とヒェルヴァルズはシリ島に客人に会いに行き、宴に出席した。その時、インギャルド王が軍隊を連れて夜襲し、館共々彼らを焼死させた。それからヘグニ王とインギャルド王は不仲であった。
 インギャルド王には2人の子供がいた。アーサと「きこりの」オーラーヴである。インギャルドの妃のガウジルドは西ガウトランドの養父ボーヴァに少年を預け、ホーヴァの息子の「おさげの」サクシと共に育った。インギャルド王は12名の小王を欺いて殺害したので「悪しき心の」インギャルドと呼ばれた。その娘のアーサはスカニアのグズレズに嫁がされた。彼女は父のように気性が荒く、彼女は兄の「遠征者」イーヴァルの父のハールヴダンと夫のグズレズの死を招いた。
 「遠征者」イーヴァルはおじのグズレズの死後スカニアの地に踏み込んだ。大軍をスヴェアに向かわせた。インギャルド王はその時、レニンギの宴に参加していた。そしてインギャルド王はそのことを聞き知ると、彼に立ち向かう武力はないと判断し、彼とアーサは家来達を泥酔させて館に火を付けて壮絶な死を遂げた。
 「遠征者」イーヴァルは全スヴェアを支配下にした。彼はまた全デンマーク、サクソランドの大部分、バルト海沿岸、イングランドの一部を手に入れていた。彼の一族から単独支配権を手中に収めるデンマークとスウェーデンの王が由来する。
 インギャルドの息子のオーラーヴが父の死を知るとすぐさま出発した。彼は森を切り開き領地を作り上げた。彼らはそれをヴェルマランドと呼んだ。スヴェアの民がそれを聞き知ると彼を「きこりの」オーラーヴといって揶揄した。オーラーヴはソーレイヤル出身の「金歯」ハールヴダンの娘のセルヴェイもしくはセルヴァという妻がいた。ハールヴダンはソーレイヤルを開墾した「老」セルヴァの息子のセルヴァの息子のセルヴァの息子である。「きこりの」オーラーヴの母はガウジルドで、その母はネリーケ王の「邪目の」オーラーヴの娘のアーロヴである。オーラーヴとセルヴァにはインギャルドとハールヴダンの2名の息子がいた。ハールヴダンはソーレイヤルでおじのセルヴァに育てられ、「白い足の」のハールヴダンと呼ばれた。
 大勢の者達がイーヴァル王によって追われた。彼らは「きこりの」オーラーヴがヴェルムランドにいい領地を持っていると聞くと、そこに押し寄せた。許容量が越えたため、飢饉が起こった。オーラーヴが供犠を行っていなかったので、飢饉が起こったのが原因と民はみなし、王を館共々焼死させ、オーディンへの生け贄とした。しかし見識者達は飢饉は許容量を越えたために引き起こされたものであり、王を咎められないと理解していた。
 彼らは助言を受けて西のエイザスコーグに向かい、ソーレイヤルに出た。彼らはセルヴァ王を殺害し、「白い足の」ハールヴダンを捕らえたが、後に彼を王に選抜した。彼はソーレイヤルを支配下にし、ラウマリーキを制圧した。
 「白い足の」ハールヴダンはウプランド人の王でヘイズメルクを支配した「苛烈の」エイステインの娘のアースと結婚した。その子供はエイステインとグズレズという2人の息子がいた。彼は年老いソートンで息を引き取り、ヴェストフォルドに運ばれ、埋葬された。
 ハールヴダンの兄弟のインギャルドはヴェルマランド王になり、ハールヴダンの死後、ヴェルマランドを支配した。
 「白い足の」ハールヴダンの息子のエイステインはヴェストフォルドの王のエイリークの娘のヒルドを妻にした。エイリークの父のアグナルはシグルドリッグ王の息子である。エイリーク王には息子がおらず、「白い足の」ハールヴダンが存命の時に亡くなった。エイステインと父のハールヴダンはそして全フォルドを手に入れた。その時代、ヴェルヌにスキョルドという王がいた。彼は大妖術使いであった。エイステイン王はヴェルヌに向かいそこを略奪した。スキョルド王が岸にやって来たとき、すでにエイステイン王は出帆した後でフィヨルドを越えていた。そしてスキョルドはマントを取ってゆらゆらと仰ぐと風が起こった。そして波が起こり、風が吹き、帆具が王を直撃し海に投げ出された。これが王の死である。家来達は亡骸をボッレに運び塚を作った。
 エイステイン王の息子のハールヴダンは父の王国を引き継いだ。彼は「黄金には寛容であったが、食物に物惜しみする者」と評されていた。彼はヴェストメルム王のダグ王の娘のリーヴと結婚した。彼が亡くなり、ボッレの塚に埋葬された。
 ハールヴダンの息子のグズレズが王国を引き継いだ。彼は「堂々たる」グズレズや狩人王と呼ばれた。彼の妻はアールヴヘイムのアルヴァリン王の娘のアールヴヒルドである。彼らの息子はオーラーヴである。そしてアールヴヒルドが息を引き取ると、彼は西アグジルの「赤髭の」ハラルド王の娘のアースを妻に迎えたいと頼んだ。ハラルドはそれを拒んだ。しばらくしてグズレズ王は大軍を連れてアグジルに向かった。夜にハラルド王の館に向かった。ハラルド王がそれに気付き迎え打った。そしてハラルド王と息子のギルズが戦死し、アースは連れ去られた。
 彼らの間にハールヴダンが生まれた。ハールヴダンが1才の時に、グズレズ王は旅に出た。船を停泊させて酒を飲んでいた。暗くなった頃、王は船外に出てはしけを歩いていた。すると1人の男が飛び出て追うを槍で貫いた。その男はすぐに殺害されたが、それはアース妃の召使いであった。
 オーラヴは父の王国を引き継いだ。彼はアールヴゲイルが全ヴィングルメルクを支配し、そこにアールヴゲイルが息子のガンダールヴに統治させたので、彼はヴェストフォルドだけを支配していた。ガンダールヴとその父はしばしばラウマリーキに向かい、征服した。
 ウプランド王の「強者の」エイステインの息子はヘグニといった。この時、彼はヘイズメルクとソートンとハザランドを支配していた。それからヴェルマランドもグズレズの息子達から手放され、ヴェルメル人達はスヴェアの王に税を払い始めた。オーラーヴはグズレズが死んだ時、20才であった。それから兄弟のハールヴダンが彼とともに王国を共同統治した。オーラーヴは西半分、ハールヴダンは東半分を手に入れた。オーラーヴはゲイルステズムに主権を置き、足を病んで亡くなり、埋葬された。
 オーラーヴ王の息子のレグンヴァルドは、父の死後ヴェストフォルドの王であった。彼は「華々しい者」と言われていた。