Historia Norwegie
ノルウェイの歴史

ノルウェイ王について書かれた文献はアイスランド人のスノッリ・ストゥルルソンによって書かれたヘイムスクリングラ(1220年代〜1230年代初)が有名ですが、ラテン語で書かれたものも存在しており、Historia de Antiquitate Regum Norwagiensium -古代のノルウェイ王の歴史- は Theodoricus monachus によっておおよそ1180年頃に書かれた。これはハラルド美髪王からハラルド・ギッリまでを扱っている。そしてここで紹介しているのは Historia Norwegiae で12世紀後半頃のもので古代から聖オーラブまでを扱っている。各所に聖職者を思わせるような文章が見受けられるが作者は不詳である。また古い文献でヘイムスクリングラに先行するものとしてノルウェイ語で書かれたおおよそ1190年頃に書かれた Ágrip af Nóregs konunga sögum がある。 

 

ノル王の名に由来するノルウェイの地は広大である。だが聳え立つ山々、森、気温の低さからほとんどが人の入らぬ場所である。東の端は大河から始り、その大河は西から北に円を描いている。フィヨルドと崖で囲われて数え切れない岬がある。3区に分かれる人の住める地の大多数は沿岸で、次に山間部の内陸で、最も範囲の狭いのが農耕しない深い森のフィン人が住むところである。西部と北部は海に囲われ、南にはデンマークとバルト海、東にはスウェーデンのヨータランド、オンゲルマンランド、イェムートランドがある。これらの地域の人々は主に感謝をし、今やキリスト教徒である。だが北東部の多くの部族は異教徒である。彼らは角のあるフィン人でビャルミア人の2つの部族であるキリャレル族とクヴェン族である。これらの部族の向こうの地は我らには未知である。アイスランドからノルウェイへ厳しい航海をして戻った船乗りは、北極海の荒波にもまれついにはグリーンランド人やビャルミア人のもとにまで行き着いたのであった。

グリーンランドは氷に覆われた岩でこれらの地域から分断されている。この国はカトリックの信仰のもと発見され、定住され、確固たるものになった。そしてヨーロッパの最西で、大洋の大波が押し寄せるアフリカを彷彿させる。グリーンランド人のいるところから北で狩人達はスクレーリンガーと呼ばれるドワーフを見つけた。もしこれらの妖怪が武器で打たれて生き延びていると、その傷は流血せずに白くなるが、致命的な傷であると大出血をする。彼らは鉄を持たず、セイウチの牙を投げる武器にして、鋭い石をナイフとして用いている。

沿岸は10もの街があるのでデカポリスと呼ばれ、22の国からなる4つの法区がある。東にある最初の法区はヴィーケンといい、リュイャルビットという場所のデンマークとの国境から広がっている。ここには4つの国がある。第二はイューラティングスラーグで、ミーアの島までも続き、膨大な富を持つ農場があるモーレを含み、6つの国がある。長い年月を大地と接触していると木から切り取られた全ての枝や小枝は石に変わる。第三の法区はトロンドラーグである。この地には細い入り江のフィヨルドがあり、伸びる河口で8つの国を囲い込み、外側には3つあり、合計11の国がある。第四はハロガランドで、フィン人と共存している。この法区はビャルミアランドとの国境のヴェゲスタグに隣接するノルウェイの北境をなす。

北には深いフィヨルドがあり、カリュブディス、スキュラ、脱出不可能な渦を取り囲んでいる。岬はかちかちに凍り、荒波に叩きつけられた時に巨大な氷塊は海に落下する。それらが冬の極寒を作り出している。グリーンランドに向かう交易者達はしばしば不運に見舞われ、難破の危険に立ち向かわねばならない。そこには様々な種類の巨大な海獣がおり、強靭な船を粉々に砕き、乗り手らを一のみにしてしまう。それに免れた者達は溺れ死ぬのである。隻眼の凶暴なセイウチがおり、鬣を振り乱して深淵の中で溝を切り進む。またそこには船乗りに危険の前兆を示す時だけに姿を現す鯨や尻尾も頭もない木の幹のような形状で上へ下へと飛び出す巨大な生物のハフストラムがいる。ハフギューヴァやハフキッタを発見するものもいるだろう。それらは最大の海の怪物の類である。

内陸はヨータランドの国境から始る。そこは4つの法区と12の国からなり、トロンドラーグまで広範囲に渡っている。最初の法区はローマリーケ、リンゲリーケ、それに接している国々でなっている。第二の法区はテレマルクと遠方の教区である。第三はアールヴダレーンを伴うヘデマルクである。第四はロムを伴うグズブランドダーレンとその近隣の国々からなる。それは大きなドヴレフェッル山脈によって仕切られている。ヴァルドレス、ハッリングダール、グラティングスラウに服従するその他の定住地など、沿岸と山の間に広い人の住める地が広がっている。山には砂金で赤く染まる川がある。それはミョーサという大きな湖からヴィーケンの海に注ぎ込んでいる。サクソン人がそこに来た時、流れを横切る時に家畜の蹄に当たったために金の鉱石があることに気付いた。彼らはこっそりと溶かして持ち去ったのである。さらにオスロの街からそう遠くはない所に岩の下に隠された豊富な銀の鉱石があったのだが、現在は激流により遮られている。山を横切って彷徨うと、フィンマルクに入り探索することになる。

ノルウェイの国境に巨大な自然があり国を隔て、ノルウェイ人は異教徒から分けられているのである。フィン人だけがそこに住み、彼らは野生動物の肉を半生で食し、皮を衣類に用いる。彼らは狩猟に長け、単独で巡回し、いつも移動している。彼らは肩に担いで運べる革製の天幕を住まいにしている。彼らは滑らかな板を足の下に着け、鳥より早く動ける「オンドラル」という道具をナカイで雪上を山の坂を駆け抜けるのである。彼らは定着した家を持たず、どんな時でも野生動物を求めるのである。

これらの地域には熊、狼、山猫、狐、テン、カワウソ、アナグマ、ビーバーといったたくさんの動物がいる。ビーバーは猟犬に追い掛け回されるので非常に用心深く、水辺に繋がる3本のトンネルを掘っている。フィンマルクはまたたくさんのリスやオコジョがいる。これらの獣の毛皮でノルウェイ王に毎年たくさんの年貢を納めている。

フィン人の耐えられない不敬虔や、彼らが異教の邪悪な妖術を使う事を信じられないだろう。予言者かのように無学の庶民によって信仰された者達がおり、彼らは事ある毎に多くの人々にガンドと呼ばれる汚れた霊の媒体を通して予言し、これらの予言は実現する。さらに彼らはあきれた流行の服装で遠方からの魅力ある物品に魅了され、とても遠くにあったとしても不思議に隠された財宝を暴き出す。

その昔、交易に出たキリスト教徒達は数名のフィン人らと会食をした時、彼らの女主人が不意に前に倒れこんで事切れた。キリスト教徒らがこの不幸に大変な悲しみを覚えていた間、フィン人らはちっとも悲しんでおらず、婦人は死んではおらず、彼女に言葉を与える者のガンドにとり憑かれた状態であり、すぐに回復するだろうと言った。それから魔法使は布を広げ、邪な妖術を歌うために布の下で準備をし、鯨、ハーネスを着けられたトナカイ、スキー、オール付きの小舟の小さな模様で飾られた蜂の巣のような小鉢を上に広げた両手にして立ち上がった。邪な霊のトランスで雪の吹き溜まり、山の中、深い湖を旅する事ができる。長い呪文の後に、この道具一式を持ってあたりを飛び回り、ついには地面に身を投じ、黒人のように黒くなり、正気を失ったかのように口から泡を吹く。彼は大きな咆哮を上げて胃を切り裂いて、結局は自ら死においやった。次に彼らは他の妖術師に相談した。これらの者達は同じような様式で自身の妖術を行った。女主人は無事に起き上がり、それから彼は彼らに死んだ妖術使いの事を明らかにした。鯨の外見を取った彼のガンドは湖の中を素早く放たれたが、鋭く尖った棒に変身する敵対するガンドに不運にも出くわした。湖の深いところで隠れていたこれらの棒は攻撃される生物の腹を貫いた。これはまた館の妖術師の死によって示されたのである。

また、キリスト教徒たちと一緒にいたフィン人らが魚の群れを異教徒らがキリスト教徒の住居で見たようにフックで獲り始めた時、彼らは杖で一杯になった罠を深みから引き上げ、取り出すために小舟に引き上げた。これらは任意に選んだフィン人についての事である。そしてノルウェイの近隣にあるノルウェイに租税を納める島々は言い尽くせないほどたくさんある。

グラティングスラーグの近くにあるある島々は住民にはソルンド島嶼と呼ばれている。それはノルウェイとアイルランドの間はソルンド海として知られているからである。これらの海はオークニー諸島にあり、オークニー諸島は30以上の島からなり、ヤールのオルカンに由来する。島々は異なった部族で住まれ、2つの地域に分けられている。南方の島々は小王がおり、北方には複数のヤールの保護下にあり、両方ともノルウェイ王には税を支払っていない。

元来これらの島々はペント人とパパ人によって定住された。ペント人はピグミー人より少し背が高く、朝と夜に街を建造することで奇跡な景観を作ったが、臆病で地下の穴に隠れているので日中は空っぽになる。その頃は島々はオークニーとは呼ばれておらず、ペントランドと言われており、スコットランドと島々を分ける海はペントランド峡湾として未だに土着の人々に知られている。そこは大きな渦潮があり、引き潮でがっしりとした船が飲み込まれ、高潮で難破した船が打ち上げられるのである。ペント人の故郷は何も判らない。パパ人は司祭のようななりをしている事からそう呼ばれる。このため全ての司祭はドイツの言葉でパパンとして知られている。これらの島々のうち一つは未だにパペイと呼ばれている。しかし外観や文字から彼らはアフリカから来て、ユダヤ教に従っていた。

ハラルド美髪王がノルウェイ王だった時代、大きな軍船でソルンド海を渡っていた最強の部族の出身のヴァイキングら、ヤールのラグンヴァルドは長らく定住していたこれらの人々をことごとく打ち負かして服従させた。彼らが安全な冬の住居を得た時、彼らは夏にイングランド人とスコット人、時にアイルランド人を襲撃に出た。その結果、イングランドで彼らはノーサンブリア、スコットランド、ケイスネス、アイルランドのダブリン、それ以外の全ての沿岸を配下にした。これらの軍団の一つは巨躯ゆえに耐えられる馬がいなかったためいつも徒歩だったために「徒歩のロールヴ」として知られるロールヴで、数名の仲間の手助けと装置でノルマンディーのルーアンの街を占領した。彼らの15の軍船が河で待ち伏せしている間、各船乗りは前もって溝を掘り、芝で隠した。溝を越えて布陣を敷いた後に進軍した。彼らがこれに気付いた時、住民らは規則正しい並びで敵に対峙した。しかし戦う振りをしている後者は船までひき返すふりをした。他以上に急いで彼らを追いかけている騎手らは、武装した軍馬は落とし穴に落ち、ノルウェイのヴァイキングらは致命的なやり方で彼らを殺した。そして街の住民が壊滅した時、その敵は抵抗なしに街に入り、完全なる支配を手に入れ、ノルマンディの名を彼らから取り入れた。

今や主権を手中にしたロールヴは伯爵の未亡人と結婚した。彼女との間にリチャードの父の長剣王ウィリアムをもうけた。このリチャードにはイングランドの征服者の私生児ウィリアム(ウィリアム征服王)ロバートという息子がいる。彼からウィリアム・リュファスと、王家に仕えるマーリンの予言により「正義のライオン」と名付けられたヘンリーが生まれた。ノルマンディー朝を興したロールヴはフリジア人を攻撃して征服したのだが、すぐにオランダの義理の息子に謀殺された。彼の仲間がオークニー諸島に王国を確立した。事実ノルウェイ王に納税するという条件で彼らの子孫の主権が今に続いている。

打ち寄せる波の中に羊の島嶼があり、それらの内の18は、その住民の母国語ではフェレイヤール(フェロー諸島)といわれている。それは農夫は豊かで、多くの羊の群れ、彼らの内の数名は数千もの羊を所有しているためである。以前はこれらの島民らは規定の回数の税をノルウェイ王に納めていた。

更に西にはローマ人によりウルティマ・チューレと呼ばれた大きな島があり、今日は多くの移住者によって住まれているが、かつては広大な自然が広がり、ハラルド美髪王の時代まで知られていなかった。その時、殺人の罪により2名のノルウェイ人のユングヴァルとヒョルレイヴが国を追われた。彼らは妻と子供達を連れ、ガルダルによって発見され、その後にオッドによって発見されたこの島を求めて大洋に出た。おおよそ50年の間に全ての区に人が住み、現在の区域に一致している。ノルウェイ人によって氷の島を意味するアイスランドと命名された。

この島の無数の山は氷河で覆われており、それゆえに島から離れた海上の船乗りはそれらの煌きに気づく事ができ、習慣的に便利な港のしるしと取られている。これらの山の中にヘクラ山がそびえ、この山の表面はエトナ火山のように震え、恐ろしい地震で揺れた時は硫黄の火の玉を噴出させる。ここでは色んな場所で温泉が湧き、それを屋根で覆った後、冷たい水で適温にして風呂に用いている。この島のある泉に一晩、羊毛か布を浸しておくと石に変わる。また曲がりくねった川の砂地からビールの味と色の泉が湧き、飲むと元気になると考えられている。

さらにこの時代に起こったと言われている出来事を語らないのはよくない。3マイルの範囲の海全体は急流のようにかき混ざり始め、大釜のように沸騰し始めた。一方、波の間から巨大な山が隆起するまで大地は炎を放ちながら底が大きく裂けた。多くの前触れになぞられ、破壊の前兆となり、無限の力が亀裂を生み、隆起を起こした。ソリヌスの世界の放浪の本では大地に穴があいている広大な地と書かれている。「大溝の泉は破壊された。」。この側により遮りがない穴は湿っぽい放出による引き起こされた風を含み、これらは嵐の息吹を形成する。大地の隠れた回廊を通って吹くこのような風は海水を引き寄せ、深淵の倉庫にそれらを埋める。同じ力により風が水を再び引き戻し、これらから潮流、洪水や吹き上げる渦が生み出される。地震も起き、蒸気や様々な炎の噴出がある。大地の口の中に閉じ込められた風の噴出は恐ろしい咆哮と共に破裂したがり、大きな建物を激しく揺らし、振るえを引き起こす。内なる強風はこのように吹き荒れ、炎と戦い、深みが中央の海で避けた時、くすぶる放射物、硫黄の炎が現れる。同じ方法で大地でゆれが起き、雲から雷が起きる。一方の深い裂け目はもう一方の稲妻と関連していると思われる。

人類はこれらの森羅万象を詳しく知っているわけではないが、それらは前兆でもなく、地殻激変前触れでもない。実に驚愕すべき進行で、理解できない全ての事柄の理解者に役立つことであり、全ての物の不変の創造主は喜び、全ての尊厳で自然と従う。我らの小さな知性のひらめきは身体の暗黒の無意識の状態により全ての側で包まれ、最も深い領域を貫くことの十分な能力がないことに気付き、闇の休みを照らす主を呼ぶ。

これらが個々の進納国の島々の描写である。そして話はノルウェイを支配した君主と彼らが由来する場所に移る。

ノルウェイ王らの古代の一族はスウェーデンから由来し、ノルウェイの主な法区のトロンデラーグから始まる。スウェーデン王国の最初の統治者と考えられているユングヴィ王はフロイを息子に持つニョルドの父になる。数世紀に渡って全ての彼らの子孫らはニョルドとフレイを神として崇めた。

フロイは蜂蜜酒の樽で溺死するフョルネを生んだ。彼の息子のスヴェーイデはドワーフを追って石の中に入り戻らなかった。しかしこれは明らかにおとぎ話である。彼は寝ている間にゴブリンによって絞め殺されたヴァンランデを生んだ。これらの妖魔はノルウェイでは「マラ(夢魔)」として知られている。ヴァンランデはヴィースブルの父で、その息子達は臣下と共に生きたまま焼き殺され、彼らはより早く財産を手に入れることになった。彼の息子のドーマルディは農作物の豊穣を確かにするためにケレスに捧げられ物としてスウェーデン人らによって吊られて殺害された。

ドーマルディはドーマルを生み、彼はスウェーデンで死んだ。同様にその息子のディッグヴィは同じ地域で命を終えた。彼の息子のダグは玉座を継ぎ、彼は雀になされた事の復讐をしている間に、スキョタンスヴァドという浅瀬での戦でデンマーク人によって殺害された。彼はアルレクを生み、彼は兄弟のエイリークによって頭絡で打ち殺された。アルレクはアグネの父で、アグネの妻は自らの手でアグナフィトという場所のそばで黄金の鎖で彼を木に吊るして殺害した。彼の息子のインギャルドはベラ(ラテン語ではウルサ)という兄弟の妻に不信を抱いたので彼の兄弟によりスウェーデンで殺害された。

彼の後は息子のヨールンドが支配し不幸に幕を閉じた。彼はデーン人らと戦をし、デーン人らは彼を地元民がリムフョルデンと呼んでいるデンマークの海の入り江のオッデスンドで吊るした。彼はオークンの父で、オークンは老齢まで生き、彼の死の直前の9年間は形のある食事は取らず、乳飲み子のように牛の角からミルクを吸っていただけであった。オークンの息子のエギル・ヴェンデルクローケにはチューネという農奴がおり、彼は王国から追放された。そしてただの召使が彼の主人と8度の戦をして勝ったが、9度目に打ち負かされて殺害された。しかしながら少し後に君主は凶暴な雄牛に突き殺された。

玉座の継承者は息子のオッタルで、彼はデンマークの法区のデーン人のヤールの名前にちなむ地のヴェンデルで殺害された。彼の兄弟はファスタという。彼の息子のアディルスは偶像に供儀を行っている間、ダイアナの神殿の前で落馬した後に死んだ。彼はオーステインを生み、オーステインはヨータルに屋敷に押し込まれ、彼の家来と共に生きたまま焼かれた。白髪とあだ名された彼の息子のユングヴァルはオーセルというバルト海の島に遠征に行っている時、住民により殺害された。ユングヴァルはブラウト・オーヌンドを生み、オーヌンドの兄弟のシグルドは「天国の野」という意味のヒミンヘイドで彼を打ち倒した。彼の後は息子のインギャルドが玉座を継いだ。イーヴァル・ヴィードファドメ王への異常な恐怖のため、彼は彼の家来と共に食堂で閉じこもり、全てを焼いた。トレテルイェとして知られる彼の息子のオーラヴは長く平和な統治をし、スウェーデンで死んだ。

オーラヴはハールヴダン・フヴィートベインを生み、ハールヴダンはスウェーデンから戻った時、王としてノルウェイ人らに任命された。トーテンの国で彼は年老いて死んだ。彼の息子の屁というあだ名のオーステインは互いに接近して航行する数隻の船で2つの島の間を航海していた時、彼は他の船の桁梯によって船尾楼からたたき出されて水中に没して死んだ。彼の息子の黄金に気前のいい者で食料をけちるハールヴダンが王位を継いだ。この名の由来は、彼は家来に黄金を与えたが、その時代は家臣たちは餓えで苦しんでいたからである。彼は狩猟王グズレドの父で、グズレドは妻に裏切られた。彼女は槍で王を貫くために従者の一人を誘惑した。彼の息子の黒のハールヴダンが王国を継いだ。彼はたくさんの橇と騎手を引き連れて宴から戻っていた時、ランドという凍った湖を夜まで旅をしていた。彼は羊飼いが群れに水をやる時に用いていた裂け目にでくわし、氷の下で死んだ。

彼の後を美しい頭髪にあだ名をつけられた息子のハラルド美髪王が継ぎ、彼は最初に全沿岸の支配を手中に収めた。外見上は統治されているように見えていたのだが、山地はまだ小王らによって支配されていた。多くの見事な思い出があるのだが、個々に述べるのはここでは手に余る。彼は73年間統治し、16名の息子を持った。最初に生まれたのはエイリークで、彼は血塗られた斧を意味するブロドクスのあだ名を持つ。二番目はハーコンで、イングランドのアセルスタン王に養子にされた。三番目はオーラヴで、4番目は熊の意味のビョルンで、5番目は巨人のシグルド、6番目はグンノルオド、7番目はグドレド、8番目はハールヴダン・ホーフォット。9番目はラグンヴァルド・レッティルベインはハデランドで女魔術師に養われ、養母のように魔術が使えた。10番目はオーステイン、11番目はヨールンド、12番目はシグトリッグ、13番目はユングヴァル、14番目はトリュッヴィ、15番目はリング、16番目はロールヴである。

年長のエイリーク血斧王は父の後、王国を継ぎ、デンマーク王愚鈍なゴルムと賢女チューラ妃の王女で冷酷で極悪なグンヒルドを妻に迎えた。グンヒルドとの間には6名の息子がおり、ハラルド・グローフェル、ガムレ、シグルド・リョーメ、グンノルド、エルリング、ゴルムである。エイリークが1年間統治し、妻の思い上がりを抑制できなかった時、ノルウェイの有力者の助言で弟のイングランド王アセルスタンの養子のハーコンにより王国を剥奪され、イングランドに避難した。彼は弟の養父に迎えられ、聖水盤で浄化された。彼は伯の地位を受け、ノーサンブリア全土を統治し、妻の邪悪なグンヒルドが台頭するまでほとんどの者らに受け入れられた。ノーサンブリアは彼女の破壊的な激情に打破できなかったので、彼らはすぐに彼らによって課された我慢できない服従から逃げ出した。そしてエイリークがスペインの領土でのヴァイキング行きをしている時、戦闘に苦しめられてそこで落命した。しかしながらグンヒルドは息子らを連れて兄弟のデンマーク王のハラルドのもとへ戻った。

ハーコンはノルウェイの沿岸の住民らによって王として受け入れられた。彼はイングランド王国の比類のないキリスト教徒の正しき作法で育てられたが、惨めな変更に耐え、永遠の王国の前に一時的な王国を重んじるという重大な迷いに落ちた。そして王の威厳の保持への関心で、彼は背教者になり、主の変わりに神々の崇拝の虜になった。彼の不朽でない王国への盲目の野望で不朽の功績から足を踏み外し、異教時代に生きた全ての王たちよりも注意深く祖先の法や民衆の法に留意した。このため彼の貴族らによって好まれ、彼の人々に貢献し、27年間、祖先から受け継いだ王国を守った。

彼の人生の終りの頃は彼とグンヒルドとその子供達とのいざこざがあった。これらの王家の攻防戦の2つは重要である。一つはノルドメーレの国のフレイの島のラスタルクラヴという場所で、そこはグンヒルドの息子のガムレとその軍の大多数が海に岬から飛び込んだ場所である。彼らは両軍に大きな損失のあったフィトヤルという町でのグランティングスラグの境界でその他の激戦に加わった。犠牲者にはゴルムとエルリングのグンヒルドの2人の息子も含まれていたが、残りは逃げた。その大逃走で、彼らの軍勢から敵の正面に槍を投げている一人の少年がハーコン王の右腕に致命的な傷を負わせた。これは天罰で神の子と敢えて縁を切ったこの者は、敵の敗戦の後に身分卑しい子供によって打ち破られた。彼がアルレクスタドの館に戻ろうと決心した時、彼は生まれた港で絶命し、その区域はハーコンの岩というハーコンシェッラという永続的な名を得た。

その後、完全に沿岸がグンヒルドとハラルド、シグルド、グンノルドの息子達に14年間服従した。彼らの支配下でノルウェイは空腹や不当に苦しめられた。しかしシグルドはヴェムンド・ヴォルブリョートによって先導されたヴォスの農夫らに民会で殺害され、一方グンノルドは有名なベルゲンの現在の場所の近くにあるアルレクスタドの屋敷でトルケル・クリュップに彼の妻に乱暴をしたので剣で刺し殺された。この殺人に対してグドレドの臣下の一人の老エルリングにより復讐された。

ハラルド美髪王の多くの息子達のうち数名は支配者になる前に死んだが2人のエイリークとホーコンは父の地所の沿岸を統治し、他の者達は山側を統治した。ハールヴダン・ホフォットはオークニーの者達に殺害されたが、魔術に手を染めているラグンヴァルド・レッティルベインは彼の父の命によりハデランドで溺れさせられたといわれている。

その兄弟のビョルンとオーラヴは名声ある子孫を残した。彼らの家系の中から同じオーラヴという名の聖なる信念を国に啓蒙した2人を排出した。ハラルド美髪王の息子のビョルンはグレンランドで養育され、そこを統治したと言われている。彼はグズレドの父で、グズレドはハラルド灰色外套王を生んだ。ハラルド灰色外套王もまたグレンランドで育ち、そこを統治した。彼はグドブランド・クーラの娘のオースタという最高の妻と結婚をした。オースタはノルウェイ王のオーラヴを生んだ。彼女の夫の死後、オースタは山出身の王のシグルド・ソウと結婚した。ハラルド美髪王の息子のシグルド・ライズ(巨人)はハールヴダンを生み、ハールヴダンはシグルド・ソウの父である。オースタは頭脳明晰で、戦略に長けたハラルドを生み、彼から栄光あるノルウェイ王家が続くのである。

ハラルド美髪王の息子のオーラヴはトリュッヴィの父である。このトリュッヴィ少年はローマリーケで養育され、そこを最初に統治し、山出身の美人のアストリドと結婚した。彼がヴィーケンを支配下にした後、彼はいとこのエイリークの息子らと協定を結ぼうとした時、ランリーケ近くの小さな島でいとこのエイリークの息子らにだまされ殺害された。この地は「トリュッヴィの山」というトリュッヴァロイルといわれる。しかしながら多くの者達はこの狡猾な殺人が行われたのは異なる方法で行われたと主張する。というのはその終りにランリーケの者達は不快な独裁に絶えられず、シングを招集し、表面上の王国の公の利益のため、そこで王を賄賂を贈られたサクセ、スコッレ、スクリョーヤといった数名の重臣の手によって不誠実に殺された。どちらにしろ島に名前があるのはトリュッヴィがそこで殺害されたということである。

妊娠したアストリドが3隻の船で付添い人を連れてオークニー諸島に向かっている時、将来の王のオーラヴを生んだ。彼はついにノルウェイにキリスト教の教えを享受させたのである。

グンヒルドの息子達の死後、「悪意ある者」と称した冷酷な気質のハーコンという男が束縛を解かれ、全ての首領をまず排除し、スウェーデン人に納税する者達を打ち倒した。彼は権限からはヤールが妥当であったが、王のように振る舞った。彼の父はシグルドで、母は「沈黙の」トーレの娘のベルグリョートで、メーレとハロガランドのヤールの家系である。彼は偶像崇拝に熱心であったが強い戦士で、多くの取り巻く地域を打ち倒して広く権力を伸ばした。

しかし彼はオークニー諸島で父のいない子が生まれた事を聞き、王権をもぎ取るためにその子を襲撃する準備をした。彼の母はヤールのたくらみを知った時、彼女は主の慈悲により(と私は信じている)、彼女はトロルヴ・ルセスケッグの保護に彼を引き渡し、彼は養子としてスウェーデンに連れて行かれた。トロルヴは全ての受けるべき扱いで彼を養育し、彼の懐で子供を育て、最大の危険を通じてトロンデラーグの農夫らを乗り越えた。

彼がスウェーデンに来た後に、しばらくいた後に事実はエストランドに向けてであるが、ロシアに向けて出帆した。トロレヴがオーセルの沖で帆を広げた時、彼の乗組員はヴァイキングに邪魔され、ヴァイキングらは彼らのうちの数名を戦利品として取らえ、他を殺害した。この少年の養父は殺害されたが、若いオーラヴはエストニア人に奴隷として売られた。彼はオーラヴという一人の血族によって買い戻され、その血族の男はロシア王の徴税の命を受けて使節として送り込まれていた。そしてオーラヴ少年はロシアで彼のもとでかくまわれて数年を過ごした。

彼は12歳頃にホルムガルドの市場の中央で養父の復讐をした。オーラヴは王に養子として迎え入れられていたため、王の耳にすぐに入った。彼は若くしてバルト海沿岸のヴァイキング行きをし、これらの地域に住む異教徒らに恐れられた。この素晴らしい海の彷徨い人は神の道を踏み外した。彼の艦隊はヴェンド人の要塞のヨムスボルグで越冬するために加わったノルウェイ人、デーン人、ヨータ人、ヴェンド人にの流入により膨れ上がった。彼はフリースランドに向かい、そこからフランダース、そしてイングランドに向かった。これらの誤り導かれた略奪の間、彼はスコットランドで信じられない武勲を立て、アイルランドで容赦をしなかった。

しかし万物に祝福を与える創造主は主の深い思いやりの通じて主から遠ざけられて服従していないこのヴァイキングに奇跡的にやって来て、これまで主は死の影に覆われてたのが永遠の光のローブを来たという方法で主の訪れで彼は導かれた。この者が人々に凶暴に暴れまわっていた時、イギリスのはずれで彼は小さな島で神に仕える隠者を訪れ、従者と服を入れ替えてその者を試した。その隠遁者はすぐに王のなりをした従者を認識し、王の下へとすぐに行くように言った。このヴァイキングの首領はすぐに神の代弁者であると疑わなかった隠者のもとへ行った。彼の口からしばらくして実現する多くの未来の出来事が述べられた。

「そなたは名声ある王になるであろう。熱心にキリストの敬虔な従者になり、貴殿の子孫に大きな利益になろう。貴殿を通じて無数の人々は敬虔なるキリスト教になるであろう。もし私の予言が正しければ、貴殿はこのしるしを受けるであろう。明後日、貴殿が下船した時、貴殿は浅瀬に連れて行った牛の群れをひそかに見張ると敵が待ち伏せしているのがわかるだろう。だが貴殿が従者を失った時、貴殿自身は生死の境をさまよい、間一髪で貴殿は貴殿の盾で船まで運ばれるであろう。一週間後、天は貴殿を癒し、そこから貴殿が戻った時、貴殿は命の泉で沐浴をするであろう。」

予言通りに実現した。祝福されたオーラヴと彼の戦士の大多数は洗礼をし、ヨハンネス司教とその司祭のアイスランド人への布教のために派遣されるタングブランドを連れてノルウェイへと航海した。彼もまた主の数名の従者を連れていた。偉大な神の計り知れない慈悲によりノルウェイ人らは改宗し、オーラヴを王とし、一方、33年間支配していたヤールのハーコンは国から追い出された。彼の奴隷のカールクはガウルダーレンである晩に残忍にハーコンを殺害し、褒美目当てにオーラヴ王に首を差し出したのだが、公の裁判でつるし首にされた。しかしヤールのハーコンの息子のスヴェインとエイリークはデンマークに逃げて、そこで彼らはスヴェンド王に快く迎えられた。

その間、オーラヴは大王として沿岸に住んでいた同胞全てをまとめ、もし司教が彼の精神の剣でこれを成し遂げられない時、地上の武器を用いたオーラヴは主の王国hと高貴な者やそうでない者、赤子をその胸と灰色の髭へと捕虜を導いた。このような効果的な方法で、5年の間にシェットランド諸島、オークニー諸島、フェロー諸島、アイスランドといった全ての属国をキリストへ向かわせた。一万の魂によって増した神の凱旋車と主のふんだんに与えられた開放でうめられたキリストの戦車は、順路に向かい、パラダイスという我らの故郷に戻るまで大地の終りにまでいく力強い軍馬のように、この素晴しい支配者によって引かれる。

オーラヴはデンマークのスヴェンド王の姉妹のチューラと結婚した。彼女は以前に彼女の意と反してヴェンド人の首領に婚約させられていた。しかしスヴェンド王が姉妹に持参金として持たせたシェラン諸島を手中にしたので、オーラヴ王はデーン人に敵意そ指名し、トレンデラーグやグラティングスラーグから彼の有力者らの努力により集められたかなりの軍船の集結を命じた。彼自身はヴィーケンから軍勢をつれてきた後、デンマークとノルウェイの国境で他の者らを待った。グラティングスラーグからそのうちのいくらかが到着したした時、この乏しい武力で王は軍隊の残りがすぐ後を追ってくると期待して計画した旅を開始した。しかし彼らの国に国境地帯をいやおうなしに通っている時、特に彼らの首領が同行していない時、彼らは再び帰路についた。彼らの支配者が彼らが侮辱していると判った時、彼はヴァイキング行きに彼らが極めて忠実に同行すると思ったので、ヴェンド人のもとへ行き彼らに兵を提供するように頼もうとした。それにもかかわらず、彼がシェラン島へ近づいていた時、敵は彼を妨害し、彼は狼に対峙した羊のように待ち伏せ襲撃をされた。スヴェンド王が彼が強い艦隊で着ていると知るとすぐに、義理の息子のスウェーデンのオーロヴ王とヤールのハーコンの息子のエイリークを招集した。

スヴェンドが最初に11隻のオーラヴに30隻の船で攻撃をした。だがノルウェイ人の王の船は80席あった。この船は蛇の頭の彫り物が舳先と船尾にあり、長蛇と呼ばれていた。全ての漕ぎ手席が使われた時は160名の武装した兵を収容できる。また舳先の隣の20席に40名の司祭がいたのだが、彼らは戦に不慣れで、武力よりも祈りで影響を与えていた。それにもかかわらず、長い戦闘の後に彼の船が次から次ぎへと打ち破られた時、スヴェンドは相当に不名誉に仲間のもとに戻った。それから彼の義理の息子オーロヴは同数の船でオーラヴを攻撃したのだが、損失を出して不名誉にも敵に背を向けた。最後の陣営のエイリークは11隻で攻撃をし、最初に勝利をあげた。彼の父の死と自身の背走を覚えていたので、彼は激しく攻撃をした。しかしオーラヴはこれらの厚かましい敵に抵抗した。再び元気を取り戻し、岩、槍、その他の飛び道具で敵と戦った。それにもかかわらず、ついに敵は船に乗り込み、誰も抵抗できずに切りつけられて殺害された。オーラヴ王だけが船尾で立っていた。

戦が終結した時、彼の生死は判らず、武具を着たまま海中に没したと言う者もいる。しかしある修道院でずっと後に彼を見たと言う者もいる。どのようにして陸まで泳いでいったのか、自身で泳いでいったのか、小舟で運ばれたのか、天使のような精霊の手助けによるものかどうか、実はそこで溺れたのかどうかは判らない。このため疑わしい偽りの説明を与えるよりは不確かな事は語らない方がいいだろう。

しかしながら彼の妻は夫の死をとても悲しんで死んだのである。後に全てのノルウェイの支配はスヴェンド・トヴェスケグによってヤールのハーコンの息子らにあるとしたのである。14年間、彼らは同じ王国をヤールとして統治し、祝福を受けたオーラヴが苦労して計画し、ヨハンネスが水を引いた神の聖なる教会はほとんどこれら2名によってもたらされた。

この時代、ハラルド・グレンスケの息子のオーラヴ(後の聖オーラヴ)はロシアで名声を得ていた。彼は世襲の土地を奪われたので、ヴァイキング行きをする必要があった。相当な大きさの軍船に囲まれたので、彼はホルムガルズの町で冬を過ごし、夏に彼は決して略奪をするバルト海を取り囲んで住んでいる全ての異教徒に厳しくすることを決してやめなかった。彼は完全にオーセルの人が多い島の広範囲を圧し、そしてそれから彼がロシアに住んでいたのと同じぐらい長くの間、多額の税を彼に納めたゴトランドやエーランドといった地域を同様に荒らして圧したのであった。クーラランドの領域内でクーラランド人を殺害しつくした後に再び、彼は大勝利で名声を手に入れた。

この後、彼は故郷に戻る準備をした。彼がデンマークに到着した時、デンマーク王スヴェンドの招待で、彼ら両者はスヴェンドの息子クヌートや従者らと共にイングランドに向けて出版した。この最高の聖なるヴァイキングのオーラヴによる攻撃全てで、彼らは彼の好戦的な器用さによって勝利を収めた。ついにエセルレッドを領土から追い出し、スヴェンドは短い間だが全イングランドを手中にした。わずか3ヶ月後に彼は命を落とした。クヌートが故郷に戻った時、デーン人らは彼を王にした。

オーラヴがブルターニュ人を打ち負かしている間、スペインの各地を圧し、彼の征服のための祝福された名をその地に残した。それから彼はデンマークに戻り、仲間によって大きな尊敬をもって迎えられた。彼らの間にこれら2人は兄弟の誓いの契りをした。しかしクヌートは父の死でイングランドから不名誉に逃げてきていたので、彼はすぐに大軍を引き連れて戻ろうと決心していた。彼はイングランド征服に協力すると約束した同盟者のオーラヴ、そして彼に伴う同名の義兄弟を強く急き立て、彼はその半分を彼らにもたせようとして。そして彼らは船団の中央で共に快走し、順風を受けて3日後にヤルマウスの港に到着した。素早く彼らはロンドンに向かい、そこでエドムンド王がその時に滞在しており、彼の父のアセルレッドは彼から弱められていた。
彼が敵が到着した事を知るとすぐに王は街人を招集し、彼らにテムズの上に橋を作るように命じ、川を敵が自由に通行できないようにしようとした。エドムンドが近隣で軍隊を召集している間、彼らは直ぐに実行した。大きな戦の雄叫びをあげて船に接近している間に、デーン人らはもう片側の彼らの部分は全力を尽くして守っていたので、防柵に対抗するためにあらゆる手を尽くし始めた。丸一日戦った後、クヌートは努力が無駄になり、戦士を多数失ったと判った時、オーラヴは自身と家来を勝利のために悲惨な危険に身をさらした。11隻の船を取り、大胆に漕いで、彼とその家来は橋の要塞を攻撃した。防護する盾の屋根によって防護をしたので、彼らは防御者の装置を破り、最高の勇敢さでついにはこれらの致命的な危険の中央と突破した。全軍は最高の賞賛の歓呼と勝利の名声を持って街を突破したこの最高の勝利戦士のオーラヴに報いた。

ロンドン奪取の後、彼らは9ヶ月以内にエドムンド王との5つの激戦をした。その結果はエドムンドとクヌートの両支配者が疲弊し、次のような同意を結んだ。両者が生きている間、この島を共同統治し、生き残った片方が島全てを支配する。しかしその1ヵ月の統治後、エドムンドはこの世の光を奪い取られた結果、クヌートが全王国の主人となった。彼は故人の同志の母のエルウィーフと結婚した。彼女は彼のスヴェンドとハルデ・クヌートの2人の子供をもうけた。彼は彼の支援者と最強に承認した同意を彼は完全に取り消し、尽力への報酬に失望した彼の兄弟と彼の同盟者と別れさせた。

彼の出発の時、ノルウェイのオーラヴはスウェーデンのオーラヴの姉妹のマルガレータに求婚した。彼は彼女を深く愛し合った。しかし彼女の兄弟のそそのかしで、彼女はロシア王のヤロスラウ王としぶしぶ結婚した。この事は挙げた3名の統治者の間の不和の種となった。養父の助言でマルガレータの分別のある姉妹に先だっての婚約の解消で断絶した結びつきを最も適切に修復させなかった。オーラヴは結婚生活で彼女と後に結びついた。

2隻の大きな商船でイングランドから帰還し、オーラヴはグリームケル、ベルナルド、ロドルヴ、ジークフリードの4名の司教を連れてノルウェイの故郷に戻ってきた。
(07/2/13)


当たり前の話ですが原文のラテン語からやっていませんし完訳でもありません。原文のラテン語は見ましたが単語すら拾っていません。いつもながらの急ごしらえのところがあり、怪しいところがかなりあります。日本語はこれが精一杯でした・・・。お気づきの点があればは気兼ねなく突っ込んでください・・・。

なぜこれを選んだかというと、Historia de Antiquitate Regum Norwagiensium や Ágrip af Nóregs konunga sögum やモルキンスキンナ、ファグルスキンナ等はあまり内容的に大差がなくこりは!と思うものがなかった。これは出だしの博物学などはおもしろげだったので取り上げました。それだけです。



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