遠い記憶

3.鳥の章


その4


「完全に、お手上げかよ」
 朝食後、ずずーっと派手な音をわざと立て、お茶を飲み干しヒコが言う。ちなみにこのお茶はサムハク茶とは違うもの。数種類のお茶が常備され、給仕の人がその中から食後に合うお茶を選び淹れてくれて、去っていった。さすが最高権力者の気遣いといったところだろうか。とはいえ、こんなところで軟禁されているのはたまったものじゃない。
「どうにかできないの?」
 何度目になるか分からない私の質問は、みんなの沈黙によって流された。もちろん私も、答えが返ってくるとは思っていない。すでに議論は出尽くされてしまっている。
 シャータからの説明は、一切無し。ただ、「当分の間、こちらにご逗留下さい」という伝言のみ。術を使い、風に意識を乗せ、周りの状況を探ろうとするのだけれど、どうもここの術士達の妨害があってうまく行かないらしい。
 そんなの力でねじ伏せちゃえ、とか、衛兵投げ飛ばして強行突破だ、とかアクション映画のような事を言ってみたのだけれど、その後を考えろとヒコに突っ込まれ、あっさりと却下されてしまった。確かにここで騒ぎを起こしても、この後の行動が厳しくなるだけだ。というか、アクション映画の部分は否定されていないんだけれど。
「問題は、何を意図して私達を軟禁しているのかが読めないってことよね」
 不機嫌な表情のまま、美幸が言う。
「昨日までは今と違って、さっさと追い出したがっていましたからね。そもそもここに呼んだのも、ポンボ・イーシィであって宗主ではなかったわけですし」
 ジハンの言葉に、昨日のシャータを思い出す。自分の知らないところで妹に勝手な行動起こされて、あからさまにむっとしていた。確かに事前の会見も、要は妹に変なこと吹き込まないでよねっていうけん制のためだったものね。って、
「そういえばさ、イーシィは何で私達を呼んだのかな?」
 すっかりあの姉妹喧嘩や美幸の扱いへの憤りなんかで、忘れていた。大体ここに来た目的って、イーシィに呼ばれてなんだよね。その割には私達、何もイーシィと話していない。
「それもそうだし、よく考えるとおかしいと思えてくる点って、他にもあるんだよな」
 手のひらでゆっくりとお茶碗を回しながら、拓也が私の後を続けた。
「ナムニがシャータと遊んでやったって昔話、イーシィが言っていたよな。その話はどこで聞いたんだろう? 侍女が話したのか、それとも直接本人からか」
 問い掛けられて、そう言えばと慌てて考えてみる。姉が叔母さんと一緒に遊んだ話なんだから、やっぱり姉本人から直接聞くのが自然だ。あの二人、喧嘩のときのやり取りからも、姉妹としての交流はあるみたいだし。
「でもさ、もしシャータ本人から聞いていたんだとしたら、余計に今回のシャータの態度は謎だよね」
 確認するように聞き返すと、拓也は一つの仮説を示してきた。
「ナムニが歓迎されなくなったのって、ここ最近の話なんじゃないかな」
「最近?」
 聞き返し、そして次に拓也の説に納得する。昔、叔母さんと一緒に遊んだと語る姉と、それを聞いて育った妹。けれどなぜか状況は一変し、今ではその叔母は家名を汚したものとして排斥されている。
 そう考えると、昨日の姉妹の険悪な雰囲気が分かる気がする。妹のイーシィだけが、叔母のナムニを歓迎していた。つまりイーシィは、ナムニの現在の扱いに納得がいっていないってことなんじゃないかな。
「最近って、どれくらい前なんだろうね。少なくとも四、五年前からみんなはこっちの世界に行き来していたんでしょ? 術士ならいくらでもナムニの生まれ変わりの存在を知ることが出来たんじゃないの?」
「気付いても、動向うかがうのに年数はかけるわよ、ここの家」
 美幸の解説に、ヒコが指を数えて小さく唸る。
「ってことは、とりあえずここ二、三年として、大きく情勢が変わったのって」
「宗主に、跡継ぎが生まれましたね」
 ジハンが答え、そこで会話は途絶えてしまった。
 シャータに娘が生まれたのと、美幸、というかナムニを蔑ろにすること、それとイーシィの呼び出しに、突然の軟禁騒ぎ。出来事を並べてみるけれど、なんだかどれも繋がっていそうで繋がっていなくて、接点が見つからない。そもそも二、三年前という数字も、今ここで思いついただけで確信があるわけじゃない。考えるにしても、あまりにも情報は少ないよ。
「駄目だ、分かんない。降参」
 そう言うと、壁にもたれかかってあくびをする。昨日の眠りが浅かったのが、今頃になって響いている。
「軟禁されているっていうのに、緊張感無いな」
 呆れた口調でヒコに言われ、言い訳を試みた。
「久しぶりに睡眠不足。落ち着かなかったんだよね、個室でお泊りなんて。こっちに来て初めてだったし。あと、夜中に厩舎が騒がしかったでしょ。あれでも目が覚めちゃった」
「厩舎が騒がしい?」
「一頭だけだと思うんだけど。馬がどっかから連れて来られたみたいで、結構興奮して嘶いていたでしょ」
 私の話を聞きながら、本気で不思議そうな顔をするヒコに、あれ? と思う。他のみんなの反応もうかがってみるけれど、全員訝しい表情だ。でもすぐに、なぜ自分だけが厩舎の物音を聞いたのか理解した。
「そっか。私の部屋、一人だけ突き当たりだものね。窓の位置が違うから、みんな聞えなかったんだ」
「いや、そうじゃなくって」
 なおも突っ込みを入れられ、戸惑ってしまう。なんか変なこと言っている、私?
「真子、忘れているかもしれないけれど、ここホータンウイリク宮の敷地内」
 私の様子を見かねたのか、美幸が横からヒントを与えてくれた。
「この地で一番重要な場所だけに、警備も万全。そんなところで夜中にどこからか馬が連れてこられるって、変じゃない?」
「あ」
「早駆けの伝令が到着したって可能性が、あるよな」
 ヒコの言葉に、一気に目が覚めた気持ちになった。
 夜中に到着する、伝令。一晩で待遇が変わり、軟禁されてしまった私達。結局よく分からないままの、ここに招待された理由。自分達の知らないところで、何かが動いている気がする。すごく、する。
「その馬が伝令のものだったとして、なぜ夜中に来たんだろうな。それほど緊急のものだったのか、それともただ単に人目を避けるために、夜を選んだのか」
 手にしていたお茶碗を床に置き、拓也がさらに疑問を投げかける。その表情は、厳しいものに変わっていた。
「緊急だったら、もうちょっと城内の空気がざわついていてもおかしくないでしょ。陰謀説を推すわね」
「じゃあ、伝令はどこから来たのか」
 黙りこむ、みんな。そしてゆっくりとジハンが口を開く。
「ここにいても、分かりようがありません。やはり出るしかないようですね」
「そうだな」
 拓也があっさりとうなずいた。
「とりあえず、美幸とヒコが術士達を抑えてくれるか? ジハンが二人をサポート。真子と俺が、馬を奪取する係。チャイグも厩舎だったよな」
 いや、ちょっと、あれ?
 突然の方向の転換に、慌ててみんなの顔を見回してみる。けれど誰一人焦った様子は無く、当たり前のように脱出作戦へと議論が移っていた。
「荷車は諦めね」
「もったいないけどな。でもこんな時のために、貴金属は持ち歩いているんだし。買い換えればいいだろ」
 あ、あの、ちょっと、
「そんなに簡単に脱出なんて、出来るものなの?」
 慌てて口を挟んだら、拓也がみんなを代表するようにこちらを見つめ、ふっと息を吐き出し微笑んだ。
「強硬手段を最初に提案したのは、真子の方だろ?」
 久々の、王子様スマイルだ。無茶苦茶胡散臭いけど。
 すっかり四人のペースに巻き込まれ、これ以上口も出せずにただ見守る。
 何なんだ、この人達。この地で一番重要な場所だけに警備も万全。って説明しておきながら、そこを突破するための作戦練っているというのが信じられない。
「心配ですか?」
 ふいにジハンに問いかけられ、こくりとただうなずいた。
「確かに危険は伴いますからね、必ずしも大丈夫とは言い切れませんが、出来ますよ」
 大丈夫とは言い切れないって、でも出来るって、安心して良いんだか悪いんだか微妙すぎるよ、それ。
 さらに顔が引きつるのを感じながら、唾を飲み込んだ。その途端、窓がガタンと音をたてる。
「何!」
 反射的に立ち上がり振り向くと、窓の向こうに鳥が見えた。
 窓の手すりにつかまって、こちらをのぞきこんでいる鳥の仕草。緊張感が高まっていた分だけ、そんな可愛らしい姿に力が抜ける。余裕を感じるみんなと違い、こんなことに反応する自分がなんだかちょっと情けない。
「鳥? なんで」
 けれど反対に美幸は小さく息を呑むと、窓を開ける。そして慎重に、鳥を招き入れた。
 真剣な美幸の表情。拓也やヒコ、ジハンも黙って彼女の行動を見つめている。分かって見ている三人とは違い、私は訳も分からずただぼんやりと、その行動を眺めるだけだ。そして鳥は美幸の腕に飛び乗ると、何度も首をかしげてみせた。
「イーシィね。どういうことか、説明してくれる?」
「イーシィ?」
 何を言い出すんだ、美幸は。
 話しかけている相手は、どう見ても只の鳥。鳩をもうちょっと小ぶりにしたくらいの大きさで、灰色の胴体に白い羽根が美しい。
 美幸に問い掛けようかと口を開いたら、なぜか鳥から言葉が聞えた。
「どうして、あなた方はここにいるのですか?」
「しゃべった!」
 小さく叫んで、思わず後ろに一歩下がる。そんな私の反応を鳥は一瞥して、また何度か首をかしげてみせた。
「私達がここにいる理由を、知らないの?」
 美幸は私の反応を流すことにしたらしい。鳥に向かって聞き返す。
「あなた方は今朝早く、ホータンウイリクを出発したと姉から聞かされました」
 って、これ、実際の鳥の声じゃない。術を使って話している……?
「もうこれ以上あなた方を追うのは止める様、姉から諌められたのですが、他にもどうしても気になることがあって。こうして鳥を飛ばしましたが、まさかこの城の敷地内にいるとは思いませんでした。ご出発はされなかったのですか?」
「鳥を、飛ばした」
 その言葉に、一月ほど前にハダクの丘で見た雨乞い祭りを思い出す。竜を天に放つために美幸が空に放ったのは、光りの固まりのような「鳥」だった。
「実態の在る無しに関わらず、鳥を使役に使うのはエシゲ家のお家芸みたいなものだからな」
 なんとなく分かりかけてきたところにヒコの補足が入って、ようやく事情が飲み込める。この鳥を通して美幸は今、イーシィと話をしているんだ。
「私達が出発もしないでここにいるのは、あなたの姉の命令によってよ」
「そんな、姉が」
 戸惑うように、くぅと喉元で鳴く鳥を見て、黙っていられず身を乗り出す。術を使っての会話なら、日頃ジハンとだってしているんだ。人だろうが鳥だろうが、ましてや彼女がここの要人だろうが関係無い。
「ねえ、イーシィ。シャータは何を考えて、私たちを閉じ込めているの? 思い当たる点は無い?」
「思い当たる、点……」
 考えあぐねて言いよどんでいるのか、ただ単に言いたくないからなのか。さすがに鳥の表情からは読み取れない。
「姉のことが分からないなら、まずはあなたの事を聞かせて。なぜ、私達をここに呼んだの」
「それはただ、ナムニ様にお会いしたかったからです」
 それは分かっているから、と言いかけたところに、美幸の言葉が被った。
「私に会いたかった、理由は?」
 問い掛けに鳥が小さく身を震わせ、喉元で微かに鳴く。
 美幸が、ナムニであることを肯定した。
 さり気ないことかも知れないけれど、私もやっぱり嬉しい。つい表情が緩みそうになってしまったけれど、慌てて引き締めて鳥の答えを待つ。
「私はただ、ナムニ様にお会いして、玉についてお聞きしたかったのです」
「玉?」
 とっさに私達の旅の目的であるチャガン、つまりはキョエンの玉に結び付けてしまった。けれどイーシィはここホータンウイリクとその近辺を治める術士達の最高責任者だ。彼女の示す玉といえば、当然ここのものしかない。
「玉の反応が、鈍いのです。以前より大気が安定しない時期などは、私が語りかけても反応しないことはありました。ですがここ最近は普段の状態でも、以前の半分ほどしか力が出ていないように感じるのです」
 訴える声は真剣で、可愛らしい鳥の仕草とは裏腹に、彼女の張り詰めた気持ちが伝わってくる。
「それで?」
 一方の美幸といえば、昨日の会見とはうって変わった素っ気ない口調。逆に言えばまるきりいつもの態度で、本気で聞いているのか怪しいくらいだ。けれどイーシィは気にしないのかそれとも気にならないのか、尚も言葉を続けていた。
「私は、玉の力を最大限に引き出すことが出来ません。ポンボとしてこの地の気を安定させることが私の使命なのに、それを上手く果たすことが出来ないのです。
 ナムニ様は先代の玉の最後に立会い、そして今の玉を造られた方。そんな方からポンボであった頃のお話や玉の扱い方を伺えれば、少しはこの状況が改善されるのではないかと、そう考えたのです」
 あまりにも真剣であまりにも余裕を無くした声だから、ちょっと待ってと反射的に言いそうになってしまった。
 東大陸で一番大きな斎場、キョエンで気を鎮める役目を持った玉。それを失ったまま十八年が経過しているんだ。その影響は、同じく東大陸の西端にあたるホータンウイリクにも現れている。けれど一見した限りでは、この地域は気候も情勢も安定している。それはここの玉が精一杯、気を鎮めているってことだし、イーシィだって上手く玉を扱えているってことなんだと思うのに。
「昔話を聞いたからって、それでどうにかなるわけではないでしょ。聞くのなら、玉に直接聞けばいい」
「玉は何も応えてはくれません」
「本当に?」
 素っ気ない口調のまま、美幸は真っ直ぐ鳥を見つめていた。鳥は返事も出来ずに黙ったまま。そのちょっとした沈黙に、傍で見ているこちらの方が緊張してきてしまう。
 自分の考えにはまって、自ら出口をふさいでしまっているイーシィ。そんな彼女に敢えて短いヒントしか与えない美幸。けれど美幸はそれ以上問い詰める気は無いようで、あっさりと話題を変えてしまった。
「イーシィ、他には? 気になることがあるって言っていなかった?」
 つまりはイーシィに、もうちょっと考えろって言っているようなものなんだと思う。でなければこんなに急に話を打ち切ったりはしない。
 その意図が伝わったのかどうか、鳥はぴくりと震え、質問に答えようと慌ててくちばしを左右に振っていた。
「あの、ここ最近ですが、大気の様子がおかしい気がして。なにかざわめくような胸騒ぎがするのですが、それがなぜなのかが分かりません。玉を使って探ろうとするのですが、反応が鈍くて探ることが出来ないのです」
 最後ににじみ出る、焦りの感情。
「そんな時に俺達がやって来た、と」
 イーシィの感情に触れないまま、拓也が事実のみを確認する。鳥は肯定するように羽根をパタパタと羽ばたかせた。
「実際に旅をされてきた方々なら、私よりも大気の変化に聡いと思ったのです。何か気付かれたことはございませんか」
 私も意識を切り替えて、投げかけられた問いについて考えてみる。
 気付いたことなら、沢山ある。大災の影響で、打ち捨てられた集落。以前は緑の草原だったはずの砂漠。キョエンの玉が復活する事を望み、少ない食料を分けてくれた人達。全部、気を安定させることが出来ずに生じた結果だ。けれどざわめくような胸騒ぎとそれは、ちょっと違う気がするんだよね。
「イーシィのそれって、もうちょっと絞り込めないの? 場所とか、具体的にどんな感じとか」
 尋ねると、しばらく動きを止めて鳥が考え始めた。もちろん考えているのは実際のイーシィの方なんだけれど、こうして話しているうちになんだか鳥の姿に馴染んでしまっていた。鳥に動きが無くても、だんだんと雰囲気だけで分かるようになっている。
「特に昨日からなんですが……。オボ山に沿って北側あたりで何かを感じます。けれどそこに意識を飛ばしても、何も視えません」
「何も視えない?」
 ここの術士達の妨害を受けている私達とは違い、イーシィは好きなだけ力を発揮できる立場の人だ。そんな彼女が「視えない」ってどういうことなんだろう。
「単純に、見ることが出来ないってこと?」
「いいえ。景色を視ることは出来ます。気の流れも安定している。けれど、何か違う気がする。何かそこに意志の力を感じるのです」
「宗主には話したのですか?」
 ジハンの問い掛けに、鳥は素直にうなずいた。
「姉は、ポンボ職である私が動くほどのことでもないであろうと。私にはすべき仕事が沢山あるのだから、他の術士達に調べさせておけばよいと助言をしてくれました。確かに確たるものがあるわけではないのです。けれど、このまま人任せにしておくのもまた違う気がして」
「だから自ら鳥に意識を乗せ、オボ山に向かっているはずの俺達と合流しようとした」
 再度確認するように、拓也がイーシィに問い掛ける。
「さすがにいきなりこの斎宮を抜け出すわけにも行きません。とりあえずは鳥の姿で、途中まででも旅に同行させていただければと」
 そう話す鳥に、昨日のイーシィの姿が重なった。シャータの制止を振り切って、美幸に駆け寄ってきた。結局直ぐに引き離されて会見は終わってしまったけれど、あの時も今もイーシィの行動は一貫している。裏表の無い、真っ直ぐな気性のお嬢様。何を考えているのか分からない姉シャータに憤りを感じる分、イーシィの力になってあげたいと思う。思うのだけれど
「肝心の私達がこれじゃああね」
 つい自嘲気味に言ってしまった。これから力づくでの脱出が始まるという状況で、例え鳥といえどもここの最高権力者を連れまわすことなんて、さすがに出来ない。
「イーシィ。さっきも話したように、今の私達はあなたの姉に軟禁されている。これについて思い当たる点は、本当に無いの?」
 美幸の質問に、鳥は首を振る。
「姉はご自分の考えや政務について、私には何も語ってくれません。特にここ数年はその傾向が強いのです」
「数年って?」
 イーシィが現れる直前にしていた会話を思い出す。直ぐに行き詰ってしまった疑問だけれど、当事者の一人であるイーシィは何と答えるのだろう。
「そう、ですね。……具体的には二年前、姉に娘のツェンバイが生まれてからになります」
「やっぱり、そこからなんだ」
 流れに当てはまったのでついうなづいたけれど、決して謎が解明されたわけではなかった。
「世継ぎが生まれたのに、宗主の態度が以前よりも神経質になるというのは、穏やかではないわ。エシゲ家に何が起こっているの?」
「まだ、何も。姉は多分、これからの事を恐れているのです。ツェンバイはあまり体が丈夫ではなく、まだ二歳だというのに何度も生死の境を潜り抜けております。ツェンバイに何かあったら、エシゲ本家の血筋が途絶えてしまう。姉はそれを極端に恐れ、彼女を表に出すことはありません。そしてつい漏らしたご自身の一言で、先走った家督争いなど起きぬようにと、本心を表すようなこともなくなりました。以前はもっと、私とも打ち解けて話して下さったのですが」
 最後はつぶやきとなって途切れた言葉を誰も追わず、その場に沈黙が満ちた。イーシィのお陰で新たな情報は手に入ったけれど、それをどう整理していけば良いのだろう。夜中の伝令と、シャータの態度の急変。それと世継ぎへの不安に、イーシィの感じている「意思の力」。これらに共通するものは?
「鍵は全部シャータが握っている気がするんだけれど、シャータに聞いても教えてくれないよね」
 そう言いながら試しにみんなの顔を見てみたら、全員に素直にうなずかれてしまった。
「かといって強行突破を決行しても、疑問は解決しないだろうしな」
 伸びをしてヒコが言う。さっきまであれだけ盛り上がっていたというのに、今ではすっかり誰も動こうとしない。けれど流れる空気はどこか不穏でふてぶてしくて、なんだかイーシィが現れる直前までのものと同じだ。さりげなく身構えながらみんなを見ていると、ふと思いついたように美幸がイーシィに話しかけた。
「そういえば、術士が私達を見張るために配置されているけれど、イーシィは知っているの?」
「術士達が?」
 不意に告げた事実に動揺する鳥を見て、美幸の目がすっと細まる。
「それでは、夜中に到着した伝令のことは?」
「いえ……」
 多分そんなことではないのかなと思っていたことが、当たっていた。イーシィの反応は予想がついたけれど、一方の実雪やみんなの考えていることが分からない。
「シャータはポンボであるあなたの力を借りずに、何か事を起こそうとしている。それが何であるか今の段階では分からないけれど、とりあえず私達はそれに巻き込まれてしまった。さっきまで全員でここを逃げようと思っていたのだけれど、それは得策ではないと思うの。もっと情報が欲しい。それはイーシィ、あなたも同じでしょ」
「ええ。それは」
「それならば、協力をして」
 有無をも言わせぬ迫力でそう言うと、美幸は私達をさっと見た。
「この中から二人でいい。ここから一旦出させて。期限は明日の夕方まで」
 言い切る美幸に圧され、そのまま了承するように思えたイーシィだったけれど、さすがにただ流されることは無い様だった。しっかりとした声で、冷静に聞いてくる。
「ここを出て、二人だけで何をするつもりなのですか」
「まずは情報収集だろうな。伝令がどこから来たのか。そして、オボ山の北側には何かあるのか」
 拓也の言葉に鳥が考え込むように目をつむる。そしてしばらくした後に、くぅと鳴いて息を吐き出した。
「分かりました。姉や術士達には気付かれぬよう、街へと移動させましょう」
「それだけでは直ぐにばれてしまうわ。二人が帰るまで、身代わりを作って欲しいの」
「身代わり?」
 大切な交渉の場ではあるけれど、意味が通じずまた一人取り残される。ヒコと目が合ったので困った顔をしてみたら、「幻みたいなもんだよ」とだけ解説された。やっぱり全然分からない。
「そうですね。作りましょう」
「ありがとう。それじゃあ、ここを出るのは拓也。それと」
「俺も行く。閉じ込められるのは性に合わない」
「では、ヒコの二人で」
 手際よくここまで話が進んだけれど、なぜか鳥は急に落ち着きをなくし、そわそわとしだした。
「あの、ごめんなさい。身代わりなんですけれど」
 妙に弱気な口調でイーシィが話しだす。
「男性が二人でないと、駄目でしょうか」
「駄目って?」
「普段、私の周りには女性しかいないので、男性複数体を動かすのに必要以上に集中力が要るのです。こちらに集中するあまり公務に差し障りが出るのも、ちょっと」
 その言葉に、幻のような身代わりはイーシィの意思で遠隔操作も出来るんだということを理解した。でも、男性が駄目ってことは女性しかいないってことで、ここに女性って美幸と私しかいないわけで。……あれ?
「仕方ないわね」
 ふうっとため息をつくと、美幸は私を真っ直ぐに見据えた。
「街に偵察に行くのは、拓也と真子。よろしくね」
「って、私ーっ?」
「この状況で私がここから居なくなったら、何かあった時にまずいでしょ」
 さっくりと答えられ、確かにと納得する。
 いや、でも、みんなにくらべれば只の一般人。術士でもない素人なのに、いいの? 私で!