Ed Kyrkstigen
- U112 -


side A
Transliteration :

A : ・rahnualtr・lit・rista・runar・efR・fastui・moþur・
sina・onems・totR・to i・aiþi・kuþ・hialbi・ant・
hena・
B : runa・risti・lit・rahnualtr・huar a・griklanti・
uas・lis・forunki・


ラグンヴァルドはこれらのルーン文字をファストヴィ、彼の母、オネムの娘、の思い出に刻ませた。彼女はエドで亡くなった。主よ彼女の御霊を救い賜へ。
ラグンヴァルドはこれらのルーン文字を刻ませた。彼はギリシャにいた、軍勢の首領であった。

ラグンヴァルドは東方ヴァイキング、ヴェーリングの首領であったと思われる。ヴェーリングは元々は交易目的で東方をめざした者のことを主に指していたが、後にサガでミクラガルズと呼ばれるビザンツ帝国で皇帝の身辺警護隊、傭兵として雇われるようになる。これは後者のビザンツの傭兵としてのヴェーリングの活躍を記したもの。

11世紀。

ヴェーリングの石碑について。

side B

Eds kyrka
- U104 -


copy

original
Transliteration :
þorstinlit x keramerkiftiRsuin
faþrsinukftiRþoribroþur
sinþiRhuaruhuttilk[ir]ika
ukiftirinkiþurumoþursin
ybiR risti

Transcription :
Þorstœinn let gœra mœrki œftiR Svœin, faður sinn, ok œftiR Þori, broður sinn. ÞœiR vaRu ut til Grikkia. Ok œftiR Ingiþoru, moður sin[a]. ØpiR risti.


ソールステインはスヴェイン、彼の父、そしてソーレの兄弟、の思い出にこの記念碑を作らせた。彼らはギリシャへ行った。そしてインゲソーラ、彼の母、の思い出に。オェーピルが彫った。

これはルーンマスターのオェーピルの作品の一つで、エドの教会の門に飾られている複製品(上)である。実物(下)は1687年にカールXI世の許可のもと、もう一つの石碑と共にオックスフォードに送られた。現在はオックスフォードのアシュモレアン博物館でもう一つの石碑共々展示されている。
この石碑もまた時代的にビザンツで傭兵として働いた者を言及しているのであろうと思われる。

11世紀。


やはりオリジナルの方が重厚感があり迫力がありました。

ヴェーリングの石碑

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