Uppsala, Kvarteret Torget
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U938 -

Transliteration :
hulfastrlitrisastinlatihulkaifaþursinukþorbiorn

Transcription :
Hol[m]fastr let rœisa stœin at Igulgœi[R], faður sinn ok Þorbiorn.


ホルムヴァストは彼の父イグルゲルとソルビョルンの思い出にこの石碑を立てさせた。

この石碑は1910年に広場であった、修道院跡で発見されたもので、O.V.Friesenは署名はないものの、ルーンマスター(彫刻師)オーピルの作品であると推測している。
11世紀。

Uppsala, Svartbäcksgatan
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U937 -

Transliteration :
x þiakn x auk x kunar x raistu x stana x aftiR x uaþr x bruþur sin x

Transcription :
Þiagh ok Gunnarr rœistu stœina œftiR Verðr, broður sinn.


ティエグンとグンナルが彼らの兄弟のヴェーデルの思い出にこの石碑を建立した。

1875年にスヴァートベックスガータンで発見された。同文の石碑がもう一つ、ウプサラの東部のフンボー教区で発見された。この石碑はフランシスコ修道院の建材としてウプサラに運ばれたものであろうとされている。
11世紀。

三つ巴の文様は北欧では珍しいものの、デンマークなどでも発見されており、スカンジナビア系が移住したマン島のマンクス・クロスにはこれと同じ文様が多く見られる。(ケルト文化では三つ巴は少なくない)。
三つ巴の文様について

Uppsala, Kvarteret Torget
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U939 -

Transliteration :
forkuþr ukbrunilitukera merkiatikulfast faþur si-

Transcription :
Forkuðr ok Bruni letu gœra mœrki at Igulfast, faður si[nn].


フォルクンとブルーネは彼らの父のイグルヴァストの思い出にこの記念碑を立てさせた。

このルーン石碑もまた建材として用いられ、フランシスコ修道院があった川の東方で発見されたものである。
署名はないものの、有名なルーン彫刻師オーピルの作品とされている。
11世紀。

Uppsala, Kvarteret Torget
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U940 -

Transliteration :
・ihul・auk・þurkiR・litu・rita・stain・iftiR・kitilfastr・faþur・sin・hialbi・sal
kilauh hont
riþ・runaR・ubiR

Transcription :
Igull ok ÞorgœiRR letu retta stœin œftiR Kœtilfast, faður sinn.
Hialpi sal. Gillaug ... and(?).
Reð runaR ØpiR.


イグルとトルゲルは彼らの父のケッティルヴァストの思い出にこの石碑を立てさせた。(神よ)魂を救いたまえ。ギッログ hont。オーピルがこのルーン文字を監修した。
11世紀。

この石碑もフランシスコ修道院のあった川の東部から発見されたものである。碑文の彫刻の手も下手であり、言葉も仕損じている。語中のhontは意味が不明である。オーピルが直接手を加えたものではなく指南したものであろうとされている。
11世紀。

Uppsala, Ärkebiskopsgården
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U943 -

Transliteration :
biaurn x auk x ... ain x atir x -[ka] ... ant +

Transcription :
Biorn ok ... [st]œin œftiR ... and.


ビョルンと・・・思い出の石碑・・・の魂の。

1910年代の大司教の館で発見されたと思われる。大部分が破損しているため不鮮明である。
11世紀。

Morby, Lagga sn.
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U489 -

Transliteration :
khululitkirabro fr antkilauatotursinuk sumatiulfrybiR risti

Transcription :
Gullaug(?) let gœra bro fur and GillaugaR, dottur sinn [aR] ok sum atti UlfR. ØpiR risti.


グッログはこの橋をウールヴの妻の彼女の娘のギッログの魂のために建立させた。オーピルが刻んだ。

このルーン石碑はもともとウプサラのラッガ教区東部に建立されていたのだが、1729年にウプサラに移設された。1867年のパリの万国博覧会で展示するために移動された3つの石碑のうちの一つである。(オーピルの作品はイギリス・オックスフォード大へなどいくつか輸出されている)
橋の建立はしばしばルーン石碑で言及されており、やっかいな地形に橋を建設することは魂の浄化に効果があったと思われていると推測される。
11世紀。

ウルネス様式

Uppsala, Domkyrkan
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U932 -

Transliteration :
A:muliu ... -------- ... -ita stin þinoaftiRsuarthþa sin osmuntrinkialt

B:mulaukuni ... a -- ih ... -astrau ----- ... -þ -- h litustin þinoaftiR suarthaf - ... k - suþrbi

Transcription :
A:Muli ... [r]etta stœin þenna þenna œftiR Svarthaufða, broður sinn. Asmundr. Ingiald. - Muli ok ... ok Ig[ulf]astr(?) ok ... þ[au]n letu retta stœin þenna œftiR Svarthauf[ða by]gg[i i] Suðrby.


A:ミューレ・・・この石碑は彼の兄弟のスヴァルトホーヴデの記念に建立させた。
B:ミューレと・・・とイグルヴァストと・・・彼らはこの石碑をスヴァルトホーヴデの思い出に建立させた・・・ソーデルビィに。

このルーン石碑は19世紀半ばに大聖堂の壁面から取り出された。この石碑はルーン彫刻師のオースムンドとインギャルドによって彫られたと思われる。
11世紀。
       

Orby, Rasbo sn.
(Nu i Universitetsplanteringen)
- U1011 -

Transliteration :
A:uihmutrlitagua・stain・atsigselfonslyiastrmonoguþia[l]bi sialuihmuntar・styrimons

B:uihmuntr・aukafiriþ:eku merki・at kuikuan・sik・

Transcription :
Vigmundr let haggva stœin at sik sialfan, sløgiastr manna. Guð hialpi sial VigmundaR styri manns. - Vigmundr ok Afrið hioggu mœrki at kvikvan sik.


ヴィグムンドは、人々の中で最も長けた、自らの思い出にこの石碑を彫らせた。神よヴィグムンド船長の魂を救いたまえ − ヴィグムンドとアヴィリズがこの記念碑を刻んだ、彼が存命の間に。
11世紀。

下記のサイトに詳しくこれらの石碑について論じられいます。

jinn さんのサイト内 ルーンの頁 / jinn's mediaevalia より

別に結託しているとか、ギルド結んでいるとかではなく・・・情報は多く得た方がいいかなーみたいなぁー。


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