巨獣

イェリングの石碑の図柄には、スカンジナビア最古のキリストの図柄が描かれており、重要な石碑となっている。また、違う面には「イェリングの巨獣」が彫り上げられている。これは恐らく、聖なるものに対する悪の象徴とみなされる。獣の図柄はマンメン様式で、イェリング様式の獣よりがっしりとしており、関節の渦巻きの図柄も特徴的である。足先は猛禽類の爪を彷彿させるものでスカンジナビア独自のデザインと言われている。鼻先は豚の鼻を長くして巻いたような図柄で、これはイェリングの様式の獣の伝統を引きついていると思われる。また、獣には帯が激しく絡み付いており、これは古くからのスカンジナビア美術への影響がある植物装飾のカロリングの「アカンタスの葉」からの影響と思われる。

このイェリングの巨獣をケルトの美術からの影響とみなし、絡みつくものはアカンタスの葉ではなく、うぶ毛で、ライオンのたてがみを意図したものとするものもいる。もしこの考えを支持するのであれば、これはスカンジナビア最古のライオンの像となる。
この10世紀末期までに数多くのデーン人がイギリスに向かっており、ケルト美術を目にしていたとは思われる。実際、略奪品としていくつかのケルト美術の工芸品がスカンジナビアに持ち込まれているのだが、ハラルド青歯王の改宗に深く結びついているのは隣国ドイツであり、当時はドイツからの聖職者が派遣されており、ブリテンのケルト美術の影響とみるよりは大陸のカロリングの影響とみなすのが妥当であろう。
この後のウルネス様式のウプランドのルーン石碑の図柄はアイルランド美術との類似性が指摘される。しかし一方的な影響か、相互的な影響かは断言ができない。アイルランドではヒベルノ・ノース美術が栄えるのだが、クロンターフの戦以後は急激にスカンジナビアの影響が減少する。

イェリングの巨獣を模したと思われるスコーネのSkårby stone 1(DR280、11世紀)が最古のライオン像との推測もある。
ライオンの図柄はキリスト教と共に輸入された。ライオンはサタンのシンボル(貪欲な唸るライオン)ともキリストのシンボル(ユダのライオン)とも理解される。

スコーネの石碑の獣の図

三つ巴

赤い部分には三つ巴(triquetra)の模様が掘り込まれている。特にキリストの回りには三つ巴の文様が4つ掘り込まれている。これは三位一体(Trinity)の象徴であろうと思われる。しかし同時に異教的なシンボルともみなされる。この時代における三つ巴の文様がキリスト教の三位一体のシンボルか、異教のシンボルか、はたまたそのどちらも示すのかということは断言できないようである。

このイェリング石碑の三つ巴に比較される石碑にTisted石碑がある。これもまた三つ巴がキリスト教の意味であるのか、異教の意味であるのかは断定できない。

三つ巴の文様は7、8世紀のスカンジナビアの金属製品に装飾として用いられ、9世紀のHemdrupの棒切れ、Mammenの斧にも存在する。恐らく異教におけるこの三つ巴の文様は保護の意味があったのであろう。

後期ノルド語碑文(過渡期の碑文)(750(800)〜900年頃)に分類されるSnoldelev石碑(8世紀後期)に三本脚のシンボル(triskele = triskelion(TRI(3)- + Gk skélos(脚) + -ion(接尾辞))とまんじ(swastika)がある。

これは明らかに改宗以前であり、異教の意味をもつ三本脚シンボルである。まんじは青銅器時代より続く太陽信仰のシンボルと思われる。また角杯を3つ組み合わせた三本脚シンボルの文様もまた「回転する太陽」で先史時代から続く伝統であろう。
恐らく、まんじや三本脚シンボルが古来よりあり、その伝統を引き継ぐものとして三位一体の三つ巴、十字架、テトラグラムが現れたと思われる。
三つ巴のシンボルは古来よりあるまんじや三本脚のシンボルからの発展で独自のデザインであるのか、はたまた元々あるシンボルに他の文化の影響を受けて三つ巴の紋章になったのかということは、やはりこれも特定は困難であろう。

(全くの余談になるのだが、この石碑は罫線が1本は太く、もう1本が細くなっている。これはメロビングとカロリングの写本でみられ、この石碑建立者はカロリングの書物を知っていたのであろうと推測する。E.Moltke)

三つ巴の文様がいつからスカンジナビア各地に存在し、それが保護等の意味合いを持つ聖なる印であったかは判らないが、ゴットランドの絵画石碑にも多くこのシンボルが残されている。700〜800年頃の石碑にその記号が記されている。異教の聖なるシンボルとみなされる。

またより古い時代の400〜600年の絵画石碑には蛇が3本組み合わされた模様が残されている。前ヴァイキング時代の鉄器時代は地中海との接触が盛んで、ギリシャ・ラテンの古代美術の影響が指摘される。しかしながらそれは多少の影響を受けて独自にデザインが発達したというもので、まったくの模倣ではない。

また、ゴットランドの絵画石碑において、青銅器時代の回転のシンボルと鉄器時代の渦巻き文様は直接の関連がなく、各時代の独自の創造であるとの推測もある。鉄器時代の渦巻きのデザインはブリテンの末期ケルト美術の一つであるキリスト教の写本との類似性が指摘される。おそらくそれら写本の伝統となったより古いケルト美術との多少の関連が示唆され、時代的にも問題がない。(ゴトランドの絵画石碑P24)

もし上記の説を支持するのであれば、ゴトランドの渦巻き文様とマン島の石碑の文様は同じ末期ケルト美術から由来するのである。

後の時代のウルネス様式のウプランドの石碑でも三つ巴の文様がある。

U937

全く関連性がないとしても、前述のウプランドの石碑に先行するマン島の石碑の初期キリスト教文化のケルト美術様式、ほぼ同時代のマン島のスカンジナビア石碑にも同じ三つ巴の意匠がある。

現在のマン島は海の神マナナンの三本脚のシンボル(トリスケリオン)を様々な部分で使用している。同じ模様がシシリー島にも伝わっている。マン島のシンボルは一説にはマン島を支配した13世紀のスコットランドのアレキサンダー3世の娘婿が当時のシシリー王であり、その影響であるといわれている。
その一方で、三つ巴のシンボルはケルト、ヴァイキングが用いたもので、10世紀にダブリンとマン島を支配した王が鋳造した硬貨にもこの印があると言われている。

注:シシリーを含め地中海の文化でよくあるトリスケリオン(三本脚シンボル)はまだ調べていません・・・またそのうち調べます・・・多分・・・。まぁ、三つ巴の意匠はどこでも思いつくものだというのが、オチだったり・・・して・・・。


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