英語と北欧語のなんちゃって歴史・概論


印欧語の歴史 / PIEその姿 / ゲルマン諸語 / 英語の歴史 /
 古期英語の概説 / 古期ノルド語の概説 / 古期ノルド語と古期アイスランド語の関係


インドヨーロッパ語族の定義の祖って?

英語と北欧諸語といえば「インド・ヨーロッパ語族(印欧語)」というのはジョーシキかもしれません。が、じゃぁ、その印欧語って何?となれば「はて?」なモードに突入じゃないでしょうか?。この「印欧語」が学問として一般化した祖は何かというと1786年のジョーンズ(William Jones)がカルカッタの「アジア協会」で発表した論文であり、それはサンスクリット語、ラテン語、ギリシャ語の歴史的関連を指摘したものであった。このジョーンズの研究が19世紀の史的比較言語学(historical and comparative linguistics)の基礎となるのである。
さてさくっと印欧語の学問の歴史を流したところで、言語に話を移すと、言語というのは生き物で、時代と共に変化するという必然性を持っている実にやっかいなモノである。一般的に言語変化はゆっくりと時間をかけて変遷するものである。この変化の要因となるとこれまた一言では言い切ることが出来ないもので、完全には解明されていない学問であったりします。基層言語(例えば先住民の言語)が征服民の言語に影響を与える場合や、言語接触に起因する借用、はたまた威信方言への同化など、社会的要因は実に多種多様なものであるからである。言語は生き物である。

英語や北欧語の祖先って?

上記のジョーンズ卿が提唱したのは「サンスクリット語、ギリシャ語、ラテン語がそれぞれ偶発的に発生したものとは思われない程緊密な類似性を持っている。恐らく現存しないある共通の源から発生したものであると考えざるを得ない」という事である。これが史的比較言語学への道を開いたのであった。そしてこの道を歩いた研究者達によって様々な比較研究が行われ、祖語を再建することなったのであった。地球上の多くの言語が歴史的に関連付けられ、”同一の源から分岐した同系の姉妹語としてグループ分けされるであろう”という仮説が今日一般的に受け入れられている。同系語は語族を形成する。この19世紀の比較言語学の成果によってほとんどのヨーロッパの言語とインド亜大陸までの多くの言語がインド・ヨーロッパ語族としてくくられることになる。(もちろん、バスク語や、フィン・ウゴール語、エトルリア語、トルコ語はこれには属さない。違う語族です。)そしてこの祖語である印欧基語PIE : Proto-Indo-European)を作り出すことが可能になったのである。
さてここで起こる疑問、PIEのその姿はなんですが、これはあくまでも推測であり実証不可能なことである。しかし言語学、考古学、人類学の成果にもとづいて、拡散前はウクライナからカルパチア山脈に至る南東ヨーロッパの内陸部と考えられ、その時期を紀元前3500年〜紀元前2000年と推測する説が有力である。(が、北部イランのGray Ware文化についての近年の研究により、西南アジア地域への印欧部族の進出時期は従来の通説以前の紀元前3000年と考えられるようになったので、今後の研究結果次第でその歴史は変わるであろうと言われている。)

インドヨーロッパ語族の図表を見る

ハイ、表をごらん頂いた皆様の一部に「古英語じゃないの?古期英語?」と思われた方がいるかもしれません。歴史の本や文学の本ではOld Englishを古英語としているところが多いのですが、語学の本を見てみると最近の言語学の本とかでは「古期」が使われており、「中期」とのからみもあるんで、私は「古期」を使っています。これもひょっとしたら、学派やセンセで古を使うか古期を使うかあるような気もしますが・・・。古期と書いた方が「お、こいつ語学やっとるじゃん」ってなんちゃってかましができるでショー!いや、知らんけど。(おい)

ゲルマン諸語って何?

19世紀初頭の比較研究の重要な発見は、ゲルマン諸語が印欧基語(PIE)から分岐した後に受けた一連の」規則的子音推移である。この法則はグリムの法則とも呼ばれる、第一次子音推移である。これは英語学をやっている人にはひじょーに重要な事なんですが(当然のようにレポートを書かされる)、ややこしいし語学をやっていない人には興味ないことなんで、さっくりとその内容は流します。この変化過程は順次3段階を踏んで進行したと思われ、音の衝突が起こり、同音異義語を生む結果となる。変化は数世紀にも渡った。この時期を確定するのは不可能であるが、若干の証拠から紀元前5世紀にはまだ発達の段階で、初世紀までには完了したと推測されている。そしてこの後にも言葉は生きているのでどんどんと進行し、古期高地ドイツ語は第二次子音推移をも経る。
さてなんのこっちゃな状態で次に突入するのであるが、ゲルマン語の特徴に話を向けます。ゲルマン諸語が分岐する以前は原ゲルマン人はユトランド半島、スカンジナビア半島の南部に居住していたと推測され、第一次子音推移が生じたゲルマン基語(PGmc : Proto-Germanic)を用いていたと推測されている。

東ゲルマン語の資料は現在死滅したゴート語である。ゴート族は3世紀までにヴィスラから黒海までに散在した。ウルフィラス(311〜383年)により4世紀に翻訳された新約聖書は北欧のいくつかのルーン文字碑文を除き、最古で最高の記録である。(これは世界史で習ったハズだぁ)。
北ゲルマン語は現在のフィンランドを除く北欧諸語の元である。最古の資料は3〜8世紀のルーン文字碑文や若干のフィンランド語に借用語として入ったものである。いずれもノルド祖語(Proto-Norse)期のものである。(私はノルドというとマニアな方以外は判りにくいと思い、わざと北欧語と書きます。決してノルドという単語を無視しているわけじゃないです・・・)。これは英語にも影響を与えたものである。ヴァイキング時代に発達した古期ノルド語(ON : Old Norse)はエッダやサガといった文学の母である。
西ゲルマン語は前述の第二次子音推移を受けた高地ドイツ語とそれを経なかったそれ以外に分けられる。高地ドイツ語は古期高地ドイツ語(OHG : Old High German, 〜1100年)、中期高地ドイツ語(MHG : Middle High German, 1100〜1500年)、近代ドイツ語(Modern High German, 1500年〜)に時代分けされる。

英語の歴史って?

英語は西ゲルマン語に属し、第二次子音推移を経なかった言語である。英語はラテン語やフランス語などの影響を受けながら大きく変化した言語であるが、基本的にはゲルマン語である。これは古期英語を見れば一目瞭然である。
英語はゲルマン人であるジュート族、アングル族、サクソン族がブリテン島に侵入し、定住した5世紀半ばごろに始まり、3つの段階に分けられるといわれている。
1)古期英語 (OE : Old English) 〜1100年
2)中期英語 (ME : Middle English) 1100〜1500年
3)近代英語 (Mod E : Modern English) 1500年〜

古期英語って?ヴァイキング襲撃って?ノルマンコンケストって?

6世紀末に聖オーガスティンの伝導と、続く世紀におけるキリスト教の浸透と共に、まずノーサンブリア地域に高い水準の学問が栄えた。しかしこれは8世紀に衰え、マーシャ地域が協力となる。しかしこれらの文献ははい、その予想通り、ヴァイキングの襲撃により、いわゆる野蛮人によって焼き尽くされて後世に伝えられないという結果となるのである。
しかしこれもかの有名なアルフレッド大王によって一転する。大王はヴァイキングからウェセックスを守り、学問に熱心であった。彼自身により、または彼の指導のもとにより、ラテン語文献の英訳を行い、国民の教化に勤めると共に、年代記の作成も着手した。この有名な「アングロサクソン年代記」は大王没後も続けられ、この写本は言語学上も非常に重要な文献となるのである。
このことにより10世紀〜11世紀の西サクソン語方言が古期英語の標準文語として確立していくのである。
一旦、大人しくしていたヴァイキングであるが、彼らは再び980年ごろから襲撃を再開する。(これぐらいの歴史に興味ある方、私のヘイムスクリングラを見てみてね〜(といってもサガは2次以下の資料だけどね)以上、手前味噌でした)。1016年にはついにデンマーク人のクヌートが英国に君臨することとなる。アルフレッド大王の没後1世紀以上経つ間に、アングロ・サクソンとこれらのヴァイキングとの融合が進み、いつもの事ながらヴァイキングはさっさと自国の言葉を捨てて征服地に合わせて融合していった。同じゲルマン語であるので、融合はより容易いと思われる。しかし言語面では古期ノルド語の影響が英語に残るのである。しかしながら古期ノルド語は日常語としての導入であったからか、文献には借用語が姿を現さないのである。
さて、この後、英国は劇的に動くのである。クヌート大王没後、サクソン王朝が復興し、フランス・ノルマンディー育ちの懺悔王エドワードが王位に就くのである。そしてかの有名な1066年のフランス・ノルマンディ公であった、後のウィリアム征服王により英国が征服されるのである。(このあたりはハラルド苛烈王のサガにあります)。これがかの有名なノルマン人の英国征服(Norman Conquest)である。この征服の結果、公文書はラテン語で記され、上流宮廷人の話し言葉はノルマン人のフランス語(NF : Norman French)となった。英語は支配者階級に顧みられなくなったのである。ここで大量に英語にフランス語が入ってきたのである。
ノルマンディー公ロロ(ロロについてはデンマーク人、ノルウェイ人などと諸説あります。サガではハラルド美髪王のサガででてきます。)で有名な、ノルマンディーも元々はヴァイキングによって定住された地で(ヴァイキングの襲撃に耐えられなくなったフランク王国の王から割譲される)、ヴァイキングはここでもいつもながらのように、さっさと自国の言葉を捨てて移住先の言葉を使うことになる。どうどう、ヴァイキングってすごいでしょ?(なにがって・・・?)
ここでよく話されるたとえ話、英語で生きた豚はピッグで、肉になるとポーク。牛は生きているとカウで、肉になるとビーフ。なんでかといと、生きた家畜を扱うのは非支配者階級であるので、ピッグやカウといった英語を使う。そして調理し、肉となった料理を見るのは支配者階級のノルマン・フレンチを話す人たち。彼らはそれをポーク、ビーフという。だから同じ動物でも生きている時と肉になった時で単語が違うのである。はい、豆ちしき〜。
これらに関して言えることは、上流階級は言語に関して保守的で、知識階級であり、民衆は何事も簡略化する傾向を持つ。その上、ゲルマン語は語頭に強い強勢を持っている。こうして、屈折体系の水平化が中期英語期に急速には進行することになるのである。
コレ以後の英語の歴史は私のサイトではあまり関係がないんで、略させて頂きます〜。

英語の語彙について

ということで、現代英語にどれだけ借用語が入っているかというと、C.L.Wrennによって使用頻度の高い1000語の語源を分類した表があります。
古期英語よりの本来語 61.7%
フランス語から 30.9%
ラテン語から 2.9%
北欧語から 1.7%
借用混成語 1.3%
語源不明なもの 1.3%
低地ゲルマン語及びオランダ語から 0.3%
中期英語の時代にフランス語から借用した語は10,000語を上回り、その75%が今も使われている。アングロ・サクソンがブリテン島に住みつきだした5〜6世紀において、もっぱらゲルマン語系の語彙からなる英語が、幾世紀も経て、様々な歴史を経て、様々な人の往来を経て今の姿となったのである。幾世紀もの異文化との接触により、英語はその語彙を大きく変えたのである。

古期ノルド語?古期アイスランド語?

北欧各国で見つかる2〜6世紀のヴァイキング時代以前のルーン石碑、いわゆる標準ゲルマンルーン文字で刻まれた石碑にはゲルマン基語にちかいものを現代に伝えるのであるといわれており、それには方言的差異は見られない。これがノルド祖語(原始ノルド語ともいう)である。8世紀後半の後期ノルド祖語までには、語尾母音脱落、ルーン文字の簡略化(24文字から16文字への減少)が行われることになる。1000年ごろからはラテン文字の文献も現れるようになり、ここには古期ノルド語(Old Norse)が保存されることになるのである。古期ノルド語はヴァイキング時代(800年頃〜1050年頃)の北欧人共通言語であるが、1000年頃から、次第に方言を発達させることになるのである。そして東ノルド語、西ノルド語が生まれることになる。

古期ノルド語(ON : Old Norse)=古期アイスランド語(OIcel. : Old Icelandic)とされていることに疑問を感じた方はおられませんでしょうか?それはなぜかというと次のような理由からである。
874年頃にノルウェイを脱出した人々によってアイスランドの定住が始まります。それはなぜかというとハラルド美髪王のサガに書かれているような感じで、オダル(世襲制の不可侵の土地)の没収を迫られた者たちが王に従うことをよしとせずに新天地を求めたからである。アイスランドは島国で孤立しており、言語のタイムカプセルとなる。そしてこういった地理的条件から移住当時の古期ノルド語の古い特徴を保存したまで現在にまで至っていると考えられている。その上にアイスランドにはサガやエッダといった文学が花開きそれがたくさん保存されている。それゆえに古期ノルド語の研究は一般的には古期アイスランド語を通じて行われるのである。ハイ、皆様、オッケーでしょうか〜?私はなるべくサガやエッダ(もちろん古期アイスランド語で書かれたもの)からの言及の場合、単語とかね、は必ず古期ノルド語とは書かずに古期アイスランド語と記すようにしています。なんとなく・・・まぁ、一つの自己満足です・・・。
他の国々に目をやると、古期ノルウェー語(Old Norwegian)、古期デンマーク語(Old Danish)、古期スウェーデン語(Old Swedish)は14世紀以後、共通のまた独自の特性を発達させている。

主な古期ノルド語、古期アイスランド語の文献

古期ノルド語の資料として最古のものはデンマークの国立博物館に複製が展示されている(ホンモノは盗難にあって存在しない。文献からの復古)4世紀のガッレフュースの角杯と3世紀のノルウェイのエヴレ・スタブの槍の穂などのルーン刻文である。
その後は12〜13世紀の古期アイスランド語の文献となる。それは以下のようなものである。
Skaldic poems(スカルド詩。9世紀以降のケニングを用い技巧を凝らした宮廷詩ともいえるもの)
the Elder Edda 古エッダ 古詩集 1220〜1230年頃集成
the Poetic Edda 歌謡エッダ 900〜1050年頃に作られた神話詩、英雄詩、箴言詩
散文(神々や王侯達を主題とする歴史、物語)
古期アイスランド語
Íslendinga sgur  アイスランド人のサガ(1200年頃〜)
Konunga sgur  王たちのサガ(12世紀後半〜)
Snorra Edda  スノリのエッダ<新エッダ、散文のエッダ>(1230年)
Grágás  鵞鳥の書<法律書>(12世紀中頃)
Íslendingabók  アイスランド人の書(12世紀中頃)
Landnámabók  植民の書(12世紀中頃)
Fyrsta málfræði ritgerðin  アイスランド語文法<作者不詳>(12世紀中頃)
他の言語
Ólafs saga helga  聖オーラヴ王のサガ(1250年。西ノルド語)
Nóregs kononga tal  ノルウェイ王の物語(13世紀中頃。西ノルド語)
Gesta Danorum  デンマーク人の事績(15世紀、言語は14世紀のもの。東ノルド語)
これ以外にも他の言語の文献は法律書などで存在するものの、圧倒的に古期アイスランド語が多いために古期ノルド語の研究=古期アイスランド語の研究となるのは避けられないことになるのである。

注・素人が遊びでいちびってやっているページですので、ご使用の際にはご注意を

資料・毎度の「新英語学辞典・研究社」と授業で使った教科書。


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