Samsons þáttr

1章・Frá Roðgeiri jarli ok Samson riddara.

サレルニ(サレルノ)(Salerni)の地で名声を馳せた騎士の話から始めよう。この伯(jarl)はロズゲイル(Roðgeirr)で、その兄弟はブルーンステイン(Brúnsteinn)と言った。伯の娘はヒルディスヴィズ(Hildisvið)で、彼女は美女で教養も豊かであった。彼女は美しく、教養があり、寛容でやさしかったので伯から溺愛され、民衆からも愛されていた。
 サムソン(Samson)という騎士(riddari)がいた。彼は騎士の中の騎士であった。彼の髪と髭はタールの如く黒く、とてもふさふさしていた。彼の体躯は巨人のように立派で、力も巨人の如くであったのだが、両手両足は長くなかったのであった。顔面は大きく、高ぶると恐ろしい形相であった。平目で眉毛は下がっていた。浅黒く勇敢な者であった。首は太く、肩幅はがっしりとして、腕の筋肉は触れるとがちがちであった。だがその手はやわらかくきれいであった。彼は乗馬や武勇に大変優れていたのである。そして彼は機敏で強かった。彼は多少眠そうな目つきであった。そして彼は富める者にも貧しき者にも気さくで、控え目な性格であった。卑しき者にみ笑顔で応えるのであった。彼は賢く、寛容で、気前もよく、必要な時には命をも顧みないのであった。彼は勇敢で、一人で複数の敵を相手し、あきらめるよりは死を選ぶ性格であった。そういうわけで彼は名声を手に入れ、皆からは親愛され、敵からは恐れられたのである。彼はロズゲイル伯に仕え、伯から大切にされたのであった。
 サムソンは伯の娘のヒルディスヴィズに大変好意を寄せていた。

2章・Samson nemr brott Hildisvið.

ある日、伯はサムソンを前にテーブルについていた。伯は卓上のいくつかの鍍金の銀の皿から一つをヒルディスヴィズに届けさせることにした。サムソンはその皿を両手で持ち、高く掲げた。そして彼は従者を従えてヒルディスヴィズに近づいた。そして従者に馬と武器と支度金を用意させた。
 サムソンは中庭に行き、城門を開けさせた。それから彼は最も高い塔に行った。そこには伯の娘が数名の侍女だけと共に食卓についていたのであった。
サムソンは彼女の女館に行き、話し掛けた。彼女は彼を歓迎し、共に食事をしようと申し出た。彼はその通りにした。
 暫くして、食卓が片付けられると、彼女は自らの宝石と手にして、父を敵に回すのは非常に困難なことであるといった。
 サムソンは伯の娘を腕に抱え、城から連れ去った。中庭の外で2頭の馬が用意され、片方には財宝が積み込まれていたのである。彼は馬に乗り上がると姫を膝において馬を走らせ、森にまで行き去ったのであった。その森は人気のない大きな森であった。彼は住いを建て、彼らは長らくそこに留まっていたのであった。

3章・Samson drap Roðgeir jarl.

ずいぶん経ってロズゲイル伯が娘の連れ去り事件の詳細を知り、大変悲しんだ、そして伯は受けた屈辱を克服してくれる者もいないとわかっていた。彼はサムソンの農場を焼き払い、農場の家畜を押収し、サムソン卿の国外追放を布告したのであった。そして国の者達にはサムソンを見つけ次第殺害するように命じた。
サムソンは自身の国外追放を知ると、彼は伯の館の方へ向かい、その途中で火付け、殺人、家畜の殺害をし、彼が来ると知るやいなや人々は逃げ出したのであった。だが彼が森に戻ると、そこで1000の兵を引き連れたロズゲイル伯と対峙したのであった。彼はそれを見るやいなや、勇敢にも突撃したのであった。彼は鎧兜の帯を引き締め、盾と剣を手にした。そしてまず一人の騎士の喉に切りつけ、それは鎧を引き裂いて肩をも引き裂き、大地にどすんと崩れ落ちたのであった。
 彼は剥き出しの剣を手にしていた。その剣は幅広で名剣であった。彼は伯の前にいる軍旗持ちをまず攻撃した。そしてその者は鎧共々切り裂かれた。真っ二つに裂けたその者の体半分が大地にどすんと落ちた。軍旗の柄も引き裂かれて大地に崩れ落ちたのであった。そしてサムソンは右手の騎士を攻撃し、真っ二つにして殺害した。ついに彼は伯の首に切りつけ、馬の首共々引き裂いたのであった。少しの間に彼は15人の騎士を殺害した。そして彼自身どころか彼の馬さえ無傷でった。生き残った騎士たちは次々を背を向けて逃げ去ったのであった。
サムソン卿は森へと馬で向かった。彼は娘のもとへ行き、しばらくそこにいた。騎士達がサレルニに戻ると、伯と15名の騎士の殺害を報告したのであった。そして今やサレルニは領主不在の状態であった。

4章・Hrakfarir Brúnsteins konungs.

数日してロズゲイル伯の兄弟のブルーンステイン王(konungr)が集会(þing)を召集し、兄弟の所有していた王国の所有権を主張した。ブルーンステイン王は軍隊を引きつれて数日かけてサムソン卿を探し出したのだが、サムソン卿は王の所有地に入り込み、火付けや殺害を葉たらしていた。このフェーデは2年もの間続いていた。
 王はかつて自らサムソン卿(riddari)を探すために100名の騎士を連れて騎乗した。しかしそれはかなわなかった。ある晩、王は森の外れにある城に向かい、夜を過ごした。
夜もふけ、サムソン卿がそこにたった一人でやって来た。城門は硬く閉じられていたので、門番はぐっすりと寝込んでいた。彼は馬を降りて、どうやって侵入するか思案した。城の隣には貧しい者達の住む小さな村があった。彼はそこにある一軒の家に入ると火をつけ、火を手にして、それを城に投げ入れた。すぐに火事は燃え広がり、門番が飛び起きて、警告の笛を吹き鳴らした。
 軍隊が王の元に集められた。王は武装するとすぐに馬に乗り、城を後にした。6名の騎士が彼に従った。そして森に脱兎のごとく逃げさた。たくさんのルーズ笛が吹き鳴らされ夜通しガチャガチャと音がしたので、、誰もが1部隊がやってきて城に火をつけたと思っていた。そして城の住人達は丸裸で逃げるほかなかったのであった。その夜、サムソン卿は夜明けまであらん限りの災いをもたらしたのであった。

5章・Samson drap Brúnstein konung.

王は長らく森の中を馬で駆け抜け一軒の屋敷に到着した。そこには一人の婦人が立っていた。王はそれが血族の姪のヒルディスヴィズと判り、彼女にあれやこれやと尋ねた。彼女はここに住んでおり、サムソン卿が昨夜出ていって行方知れずと伝えた。そしてまた王になぜこんなところにこんな時間にいるのかと尋ね返した。王は昨夜に襲撃を受けてたので森をさまよっていると答えた。王は100人の兵を抱えていたが、そのときは6人の騎士しか護衛につけていなかったと言った。それを聞いて彼女はそれはサムソン卿がしたことで、彼はたくさんの屈辱をもたらしたと言った。すると王は彼女の勘違いで、30ものトランペットが一度に吹き鳴らされたので襲撃は部隊で行われたのだと返した。しかし彼女はすぐに事実はわかると答えた。
 王はサムソン卿が馬で駆けて来るのを目の当たりにした。馬の踝を返し、剣を抜いた。サムソン卿はブルーンステイン王を攻撃し、兜と頭を引き裂き、剣は両肩までぐさりと刺さった。2度目の攻撃は騎士に向けられた。そうして彼らを殺害するとサムソン卿は町に向かい、これらの話を伝えたのである。こうして今や彼は最強の者になった。サムソンは娘のもとへ行き、森の中に住む必要はなくなったと伝えた。今や敵無し、最強者であると話した。
彼らは金銀財宝を積みこみ、出発した。

6章・Samson fann Þéttmar ok tekinn til hertoga.

彼らが進んで行くと、12名の騎士と出くわした。立派な軍馬に騎乗し、幅広の盾、兜、槍で武装していた。サムソンは彼女に彼らを知るかどうか尋ね、彼女は知らないと答えた。サムソンもまた彼らが身に着ける者に見覚え有れど、騎士には見覚えがなかった。一人目は赤の盾と黄金の獅子の軍旗を持っていた。この紋章はサムソンの父と兄弟のセートマルのものであり、その赤い盾は自身のものであった。それゆえに彼は彼らが身内であると考えた。
 サムソンは彼らに素性と、何をしているのかと尋ねた。騎士の指揮官が、サムソン卿に会うことが目的で、ここまで長い旅をしたと言った。そしてサムソン卿の今までの事情も知っていると言い、彼らの血族ゆえに彼に手助けをしたいと申し出た。指揮官はサムソン卿のおじのセートマルであった。そしてその部隊は彼の2人の息子と血族で構成されていたのである。そしてサムソン卿はこれらの申し出を快く受けたのである。
 彼らは森を抜けて、ブルーンステイン王の統治する町にたどり着いた。その町の者達はサムソン卿の到来を知るとすぐに逃げ出していたので町はひっそりとしていた。そして領主不在であった。
賢者達が会合を行った。彼らはサムソン卿を受け入れた。そしてサムソン卿の目前に騎士たちが行き、膝をついて、頭を下げ、彼に忠誠を誓った。サムソン卿は町を手に入れ、その領主となった。そして彼が公(hertoga)になることが同意されたのである。

7章・Samson varð hertogi í annarri borg.

少ししてサムソン公が500名の騎士を連れてたくさんの人が住み、とても豊かな町に馬ででかけた。彼は家来数名を町に使わせ、無条件降伏を要求した。
町の者達がこれを知ると、話し合いがおこなわれ、サムソン公のそれまでの生立ちが人々の間で話し合われ、彼が敵無しであるとわかった。誰もサムソン公に逆らおうと言い出しはしなかった。こうしてサムソン公は無条件で開けられた城門から軍隊を引き連れて入城した。そして集会が召集され、ここでサムソン公に城砦の権利と王の称号全て町の者達は譲渡したのであった。
しかしサムソン公はサレルニの中央に軍旗を立てるまで、王やそれ以外の称号は欲していないと答えた。彼はこの町に5日間滞在した。

8章・Samson gefit konungsnafn í Salerni.

サムソン公が2000名の騎士とそれ以外のたくさんの家来を連れてこの町から出た。彼らはサレルニに向かった。彼はサレルニに使者を送りだし、たとえどんな困難が待ち受けようともこの町を彼が支配するであると伝えさせた。そしてサレルニの町の者達は会合を召集して話し合いが行われた。
ついにサムソン公が町の前に姿を現した。町の者達は武装して町の外に出た。そして彼らは全ての軍旗、家財、楽器、ありとあらゆる物を持ち出した。そして公の軍隊が到着した時、彼らは町の者達が無条件降伏しているのを目にした。公は彼らに感謝した。町の者達は公を町に招き入れた。この日、彼は王の称号とブルーンステイン王のものでった城と財産を手に入れた。町の者達は彼の家来になり、人質を差し出した。サムソン王は王国を統治するのであった。

9章・Frá sonum Samsons, Erminrek ok Þéttmari.

サムソンには息子ができた。エルミンレクと名づけられた。彼は成長し、容姿もよく、強かった。王は息子をかわいがった。サムソン王は王国をどんどんと広げていった。彼はどんどんと出兵し、西方の王国やその他の地をどんどんと支配下にした。
 サムソン王は2人目の息子をもうけた。おじの名前を取ってセートマルと名づけた。この少年はすくすくと育ち、父の様に大きくたくましく育った。彼は切れ者で、腕っ節もたち、父のような気性であった。サムソン王は今や年老い、息子のエルミンレクは成人し、セートマルは12歳であった。
ある日、サムソン王が高座に座り、その前にエルミンレクが立っていた。王は彼に自身が武力を持って征服したスペイン(Spania)の有力な20の町を統治する王の称号を与えた。そして王自身は自らの力で様々な国を手に入れてきたので、息子に精進するように言った。するとこれを次男のセートマルが聞いて、父の元へ行き、兄に王国と権力を与えたが、自分は騎士の息子達と共に育ち、栄誉がなかったと言った。そして彼は権力と称号を要求した。
王はこれを聞いて、言葉を失った。彼は激怒し、自室に行ったのであった。

10章・Samson Býðr út her.

サムソン王は館の高座に座っていた。館には首領達がたくさんおり、ベルベットの壁掛けがかけられていた。最良の食器、赤と白の真新しいワインがおかれ、食卓を飾る布は金銀で装飾されていた。王の前には赤い黄金の大きな杯を持った3人の小姓がおり、それぞれは高価な宝石がはめ込まれていた。
 太陽が窓ガラス全てに降り注ぎ、館は光で満ち溢れた。そこでは様々な遊興が行われていた。サムソン王は手を持ち上げて話し出した。自身は20年の間玉座に座り、平和の守護者であり、王国を縮小することはなかったと言った。そして部下にも恵まれたのだが、今や自らの毛ははとのように白くなれどもからすの様に黒々とは決してなりはしないと言った。自身の兵は赤と黒であったが、今やそれらも白いと言った。
「おまえ達の剣は血で染まり、戦いで刃こぼれしていた。今や赤錆がこびりつき、おまえ達の鎧もさび付き、盾はずたずただ。俊足の軍馬もいないというのに。どの騎士も腑抜けだと言うのに。わしは玉座にいようとも、年を取りすぎた。わしが死ぬときはおまえの名声も朽ち果てるのだ。だがわが家来達を我が国中に遣わそう。3ヶ月の間に戦の準備を整えるだろう。そしてそれから全首領達が家来共々我がもとに終結するだろう。」とサムソン王は語った。

11章・Skattkrafa Samsons ok svör Elsungs jarls.

サムソン王は1通の手紙を書いて、6名の騎士を送り出した。その手紙には有力者で長い髭をたくわえたエルスング伯(Elsungr)への言付けが書かれていた。そしてその言付けとは税の要求で、貢物として娘を息子の妾として差し出す様にというものであった。そして娘には60人の貴婦人と高価な衣装、一人につき2頭の馬と一人の従者を連れた60人の騎士をつけるようにと命じた。そして60羽の調教された鷹、60匹の訓練された黄金の首輪とエルスング伯の髭で作った綱を着けた名犬を差し出す様にも言った。もしこれに従わなければ3ヶ月以内に戦の準備を整える様にとも付け加えられていた。
 騎士達は老エルスング伯のいるベルン(ベローナ)(Bern)という町に向かった。彼らは伯がテーブルについている時に到着した。彼らはサムソン王の手紙を差し出した。
伯は手紙を読んだ。彼は読み終えると、顔を赤らめ、騎士に怒鳴りつけた。
「わしを年寄りだと思ってばかにしよって。やつもずいぶんとえらくなったもんだ。やつに逆らえば城は壊され、騎士達は首が飛ばされ、わしは死ぬのだろうと言うんだな。」
 伯は騎士達を連れて行き、手紙を持っていた者は城の一番高いところに吊るしたのであった。他4名は首を切られ、6人目は右手を切り落とされ、国に送りつけられた。それから王は石との壁と堀で要塞を強化した。弩を全ての城の城門に設置し、彼は騎士を配備した。
 サムソン王との戦について国中で討議が行われた。生き残った騎士はサムソン王のもとへ戻り、全てを報告した。王はこれを聞くと、何も無かったのごとく動かなかった。

12章・Frá orrostu ok falli Elsungs jarls.

3ヶ月が過ぎて、徴兵が行われた。サムソン王は3名の王、たくさんの公、15000名の騎士、数え切れない程の兵を引き連れて町から出発した。軍隊はエルスング伯の領土に向かった。彼らが丸2日馬でかけて行った。北にある山を越えてスヴァヴァ(Svava)と東のハンガリー(Ungaria)の向こうからやってきた10000名の騎士と大軍隊を引き連れたエルスング伯と会いみまえた。戦が始まり、それは大激戦になり多数の死傷者がでた。
 サムソン王は息子のエルミンレクと幼いセートマルを引きつれて馬で参上した。寒そう王は激しく戦い、その鎧と馬は敵の血で染まっていた。彼は剣を振りまわし、その音は軍隊中に響き渡った。
 エルスング伯はサムソン王が自軍に多大なる損害を与えているとわかった。そして彼はサムソン王が倒れ、この戦が終結するであろうと怒鳴った。そして馬を急き立て、サムソン王との一対一の決闘を行いに向かった。伯はサムソン王の盾に上から打ち付け、持ち手まで裂いた。2打目は肩に攻撃して、鎧を引き裂き、大怪我を負わせた。サムソン王は反撃して伯の首筋を攻撃し、首を跳ね飛ばした。サムソン王は伯の首を取り、エルスング伯の家来達はそれに気がついて戦意を喪失した。戦は終わり、エルスング伯の家来達はサムソン王と息子たちが征した。
 この後、サムソン王はベルンまで軍隊を引き連れて向かった。エルスング伯の国の町と城を守ろうとしる者などいなかった。王がベルンに到着した時、町の城門は全て開け放たれており、町の住人達はエルスング伯の所有していたあらゆる財宝を差し出し、服従したのであった。

13章・Dauði Samsons konungs ok frá sonum hans.

サムソン王はベルンで壮大な宴を行い、この祭で彼はエルスング伯の娘のオディリアム(Odiliam)を息子のセートマルに与えた。そして彼にベルンとエルスング伯が統治した領土と王の称号を与えた。彼はアーキ(Áki)という彼の息子にフリティラ(Fritila)(ヴェーリングはフィズサエラ(Friðsælu)と呼んだ)という町を与え、彼に公の称号を与えた。彼の母方の血筋は区別されなかった。このアーキはアメルング達の守護者と呼ばれた。彼は偉大な首領であった。
 サムソン王とエルミンレク王はサムソン王が死ぬまで軍隊を南のローマ(Rómaborgar)に移動させた。エルミンレク王は父王が所有したものを全て手に入れ、ローマまで進軍し、武力でローマの最良の地を手に入れた。彼はプルのたくさんのそれ以外のたくさんの有力な町を手に入れた。彼はギリシャ海から山まで大部分を手に入れ、王の中の王に上り詰めた。彼は人望も厚く、平和的に余生を過ごした。


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