Vilkina saga

21章・Frá Vilkin konungi.

ヴィルキヌス(Vilkinus)という王がいた。彼は常勝者で勇敢である。彼は後にヴィルキナランド(Vilkinaland)と言われるようになる国を武力と襲撃で手に入れた。ヴィルキナランドは今はスウェーデン王の支配下のスウェーデンやガウトランドと言われている。ヴィルキヌス王の権力はその国に名がつけられ、このサガではこの国と人民が最初の支配者であるこの名前にちなむぐらいに強大なものであった。だからヴィルキヌス王の名前を取ってこの国はヴィルキナランドと呼ばれ、住人はヴィルキナ人と呼ばれた。これは他の人民が到来し、その名前が与えられるまで続くのである。

22章・Vilkinus skattgildir Hertnið konung.

ヴィルキヌス王がこの王国をしばらく統治していた時、彼は軍隊を招集し、派兵の騎士と戦士の大軍団従えてポーランド(Púlínaland)に出兵して戦を行った。ヘルトニズ王(Hertnið)が彼と戦った。彼とその兄弟のヒルジル(Hirðir)がこの時、ルーシランド(Rúzilandi)(現ロシア)、ギリシャ(Grikklandi)とハンガリー(Ungeralandi)の大部分、オーストリア(Austrríki)のほぼ全土を統治していた。ヴィルキヌス王とその軍隊はすぐにルーシを征服し、全ポーランドと海まで続く人が住んでいる土地を襲撃したのである。この後、彼は軍をルーシランドに行軍させ、スマーレンズキャ(Smálenzkju)(スモレンスク)とパルテスキャ(Palteskju)(ポロトズク)もろとも非常に大きなこの町を征したのである。彼の行軍が止まる前に、彼は首都のホールムガルズ(Hólmgarð)(ノブゴロド)に馬で向かい、ヘルトニズ王の城に到達した。そこでたくさん戦いをこなしたが、その終結はヘルトニズが背走するというものであった。彼の兄弟のヒルジルがそこで戦死し、たくさんのルーシの軍隊も倒れ、たくさんの者達が賠償めあてで捕虜とされたのであった。ヴィルキヌス王はまた多くの金銀財宝を手に入れ、彼の襲撃以後、これ以上のものを手にしたものはないといわれたほどであった。
 それから2名の王間で、ヘルトニズ王が自国を保持しつづけるという合意がなされた。しかし彼は国がヴィルキヌス王の支配下になったのでヴィルキヌス王に税を納めなくてはいけなかった。ヴィルキヌス軍はルーシランドに駐在し、ヴィルキヌス王はヴィルキナランドへ帰郷するのであった。

23章・Frá sonum Vilkins konungs.

ヴィルキヌス王が軍隊を連れてバルト海(Austrveg)を抜けて東方に出兵した。船が停泊した時、王は上陸し、たった一人で森に入った。そこで1人の婦人と出会った。彼女は美女で、彼はくぎ付けになり、彼女と寝た。彼女は陸に上がる時に人型になる人魚(Sækona)であったといわれている。従ってきた彼の家来達が王を見失った時、彼らは王を森にまで探しにきた。それから王と合流し、船に戻り、出帆したのであった。彼らは陸から離れた時、一人の婦人が王の船に近づき、彼女は舳先をぐいと掴んだので船が進めなかったのであった。
王は彼女が誰か分かり、彼女に戻るように言い、何かあるのであれば国に来くれば寵愛を受けるであろうと言った。それから彼女は船を解き放ち、海のかなたに消え、王は旅を続けたのであった。
 彼が半年住まいにいた時、婦人が彼を訪ね、妊娠していると告げた。彼は十分に理解し、ある館へと彼女を案内し、男の子が生まれるまで住まわせた。この少年はヴァジ(Vaði)と名づけられた。しかし彼女はもはやとどまることをよしとせず、姿を消したのであった。そしてこの少年が育ち、妖魔の母の血を受け巨人とみまがうばかりに大きくなったのであった。彼の見た目は人間のそれとは異なっていたのである。彼は気質が悪く、これゆえに不人気で、父にはちっとも好かれなかった。彼は死ぬ前に彼にスウェーデンの12の農場を与えた。
 王にはこれとは違う彼より若い息子がおり、彼はノルディアン(Nordian)と言った。彼は力強く、最も男前で、強く、強面で、強欲で、血筋の割には賢くはなかった。このために彼は父のような名声を得ることはなかったのであった。

24章・Dauði Vilkins konungs ok ræða Hertiniðs konungs.

ヴィルキヌス王は息子のノルディアンに国を譲る前に病床についた。ヘルトニズがルーシランドでこれを知り、彼は家来達に公約を言った。それはヴィルキヌス王が死んでも自分は王であり、3人分の人生を長さがあったとしても二度とヴィルキン人には税を支払わないといった。なぜなら自分は開放されたと言った。彼は人民達に馬を取って、武装するように命じ、自らのもとに徴兵した。今こそヴィルキン人どもに報復する時であると言ったのであった。

25章・Hertnið konungr skattgildi Nordian.

しばらくしてヘルトニズ王が大軍隊を引き連れてホルムガルズを出て、北のヴィルキナランドに向かった。ヴィルキナランドに到着した時、ノルジアン王が出てくるまで火付け、殺人、略奪そいったことを行った。それから激戦で非常に長い戦いが繰り広げられ、ノルジアン王軍が数で負けており、多くが帰郷して助け手がなかったので、ヴィルキン人達の多くが倒れたのであった。戦はノルジアン王の背走で終わり、ヘルトニズ王が勝利者となり、3日間、逃亡者達を追いかけたのであった。
 ノルジアン王には2つの選択が残されていた。王国から逃げ出すか、戦死のどちらかであった。そしてある決心をした。彼はヘルトニズ王の前に姿を現し、彼はひざをつき、命乞いをして慈悲を乞うた。
 ヘルトニズ王はヴィルキヌス王が力ずくで自らの国と自らを征したのである。まさに今それと同じことが起こっていると言った。これは復讐であるとも言ったのであった。
こうしてヘルトニズ王とノルジアン王との間で調停が行われ、ヴィルキナランド全土がヘルトニズ王の支配下に下った。そして彼はノルジアンをスウェーデンの首領としたのであった。ヘルトニズ王の王国は長らく続くのであった。
 ヘルトニズ王には2人の息子と妻がいた。長男はオーサントリクス(Ósantrix)で、次男がヴァルディマル(Valdimarr)である。彼には妾との間にイリアス(Ilias)という庶子が3人目の息子としていた。

26章・Hertnið konungr ráðstafar ríki sínu ok deyr.

ヘルトニズ王はいまや年老い、息子のオーサントリクスをヴィルキナランド全土の首領とし、王の称号を与えた。オーサントリクスは長い間そこを統治し、ノルジアン王は総督であった。少ししてヘルトニズ王が息子のイリアスをギリシャの首領にし、彼にヤールの領土を与えた。彼は大首領で、強き戦士であった。
 ヘルトニズ王が病床につき、王は最有力な首領達と賢者達を呼び寄せた。彼は王国を死後命令に応じて分配するように言った。彼は王の称号をヴァルディマルに与え、ルーシランドとポーランドの王国、東方のすべての国々の王とした。
 少ししてヘルトニズ王が崩御し、息子達が長らく統治するのである。

27章・Frá sonum Nordians konungs.

ジーランド(Sjóland)のノルジアン王には4人の息子がいた。エズゲイル(Eðgeirr)、アヴェントロズ(Aventroð)、「棒もち」ヴィドールヴ(Viðólfr mittumstangi)(mit der stange(独)「棒を持つ」から由来)、アスピリアン(Aspilian)である。彼らは巨人のごとくの強さと体つきであった。ノルジアン王が病気で崩御した時、オーサントリクス王はノルジアン王の息子のアスピリアンを首領にし、王の称号を与えた。彼は父のノルジアンが所有した領土を支配した。「棒もち」ヴィドールヴは他の巨人の頭より肩の高さが高いほどでかかった。彼は巨人の兄弟の2倍の力持ちで、気質は悪かった。これゆえに彼は信望を集めなかった。アスピリアン王は鉄の襟、腕輪、脚輪を身に付けていた。これらは硬い鉄の鎖から作られてもので、そこから長い鉄の鎖が伸びているのである。エズゲイルとアヴェントロズが太い鎖を持ち運ぶ役で、「棒もち」ヴィドールヴを引いてゆくのである。彼は戦い以外には決して放たれないのである。彼は長い鉄の棒を持っており、硬くて強力なもので、彼はそれで戦う。こうして彼は「棒もち」ヴィドールヴと呼ばれるようになったのである。エズゲイルの唯一の武器は鉄製の矛槍である。これは重たくて12人がかりでやっと持ち上げるものである。

28章・Andlát Júlíönu drottningar.

オーサントリクス王は今はスコットランドか英国と言われているスコロッタン(Skorottan)かミッタン(Mittan)の国のイーラン王(Íran)の娘のユーリアナ(Júliana)という妃がいた。ユーリアナ女王が病でなくなり、多くの民衆がその死を悼んだのであった。

29章・Ósantrix bað Odu, dóttur Milias konungs.

フンランドをこの時統治していたミリアス(Milias)という王がいた。彼は王の中の王であった。彼にはオダ(Oda)という娘がいた。彼女は絶世の美女であった。首領、王、伯といったあらゆる者達が彼女に求婚した。王は大変娘を可愛がり、誰にも嫁がせる気がなかった。
 しかしオーサントリクス王がこのことを知ると、彼は6名の着飾った騎士を遣いにやった。その手紙というのは、ヴィルキン人のオーサントリクス王が分の王、強大なミリアスに挨拶をするところから始まり、娘のオダを誉め、相応しい贈り物をするので、妻に欲しいという内容であった。それにや友情を約束するとも書かれていた。しかし断れば、軍隊を派遣すると付け加えられていたのであった。

30章・Milias varpar sendimönnum í dýflissu.

これらの騎士達はフンランドに戻った。彼らはミリアス王に謁見し、オーサントリクス王からの手紙を渡した。ミリアス王はオーサントリクス王の手紙を喜んで受け取り、読み上げさせた。オーサントリクス王は彼とは友ではなかったが、敵ではなかったので期待していた。
 しかしその返事というのは、15才の今まで蝶よ花よと育ててきた絶世の美女の娘を妻には認めないというものであった。今まで様々な高貴な者達が相応しいような贈り物をしてきており、それでも拒否してきたと言うものであった。彼女なしの生活は考えられないというわけである。そしてその手紙には力づくで何でもしようとするヴィルキン人の王の傲慢と欺瞞について非難していた。これを読んだミリアス王は家令を呼び、使者達を捕まえて地下牢に投獄するように命じた。そして王は使者達にそこでお前達の王のオーサントリクス王を待つんことだと言ったのであった。

31章・Frá Hertnið ok Hirði.

この時、オーサントリクス王に2人の身分の高い若者が謁見した。彼らはギリシャの伯のイリアスの息子の、オーサントリクス王の甥であるヘルトニズ(Hertnið)とヒルズ(Hirðir)であった。ヘルトニズは11歳で、ヒルズは10歳であった。ヘルトニズは非常に容姿がよく、勇敢な者であった。彼にトーナメント(turniment)で匹敵する騎士などいないといわれた程である。オーサントリクス王は彼を自軍の将にし、彼の父のように伯の称号を与えた。そしてヴィルキナランドの大領地を与えた。

32章・Orðsending Ósantrix konungs.

オーサントリクス王はフンランドに遣いにやった騎士達が投獄されていることを知った。彼は助言を求めて有力な首領達や賢者達と話し合った。彼は騎士達がフンランドで鎖につながれ、ミリアス王から侮辱を受けたことを伝えた。彼は徴兵してミリアス王と一戦を交えると行った。彼はミリアス王の娘を得るか、死ぬかのどちらかしかないと言った。
 一人の賢者がそれに応え、手紙と贈り物を差し出す方がよりよいと助言した。オーサントリクス王がこれを受け、より高い位の者達をたくさん送り出し、彼らには王の心が変わるぐらいのたくさんの友情と財宝を持たせた。しかし手紙は以前よりも手痛い内容であった。
王は血族のヘルトニズを呼び、彼にミリアス王にこれらの用向きで謁見するためにフンランドに行くように言った。伯はそれを了承したのであった。
 王は2通目になる手紙を彼に託した。その手紙というのはこうである。「これはオーサントリクス王からフン人の王のミリアス王へ送られたものだ。貴殿は悪しきことをし、我が使者達にひどい仕打ちをした。貴殿は我と我が使者達に屈辱を与えたのである。我は血族のヘルトニズと高貴な生まれの11名の騎士を遣いにやっている。これを受け、投獄された使者達を解放し、娘をよこすのだ。断れば貴殿の王国と命はないものと思え。」

33章・Milias varpar Hertnið í dýflissu.

オーサントリクス王はヘルトニズと11名の騎士達の旅を不足なきように準備させた。ヘルトニズ伯は南のフンランドにむけてミリアス王に謁見するために出発した。そして彼が到着した時、王は食卓についていた。彼は入城の許しを要求し、それが認められた時、彼は王に挨拶をし、使命について伝えた。彼は礼儀正しく語ったのであったが、ミリアス王はそれをむっとして聞いていたのであった。
 ヘルトニズ伯がそれから紫色の高価な布、2個の黄金のコップ、黄金で縁取られた絹の天幕を手に取り、ヴィルキナランドのオーサントリクス王がミリアス王に友情とこれを贈ったと言った。それからミリアス王が娘をヴィルキン人にはこんなものでは売り渡さないと言った。
ヘルトニズ伯はオーサントリクス王の手紙を取り、それをミリアス王に見せた。王は手紙を読み、起こって言った。手紙の内容を辛辣に非難し、なぜ6名の騎士を牢獄に入れているのか分かっていないと言った。そして甥のヘルトニズとその従者達も投獄するようにいい、オーサントリクス王自らもそれに入るのだといった。
 ヘルトニズ伯とその従者達は鎖につながれて、地下牢に入れられたのであった。

34章・Frá liðsafnaði Ósantrix konung.

この話は国中に広がり、オーサントリクス王が甥が鎖につながれて投獄されていることを知った。彼は王国の人民に命を出し、剣を持ち、盾を持ち、弓を引ける者達の全てを進軍のために召集した。彼は10000名の騎士、3000名の歩兵を集めた。アスピリアン王が兄弟のアヴェントロズ、エズゲイル、強い「棒もち」ヴィドールヴを連れてきた。彼は兄弟の中で最年長で最も強かった。

35章・Ósantrix duldist fyrir Milias konungi.

オーサントリクス王がフンランドに大軍隊を連れてきた。彼は名前を変えており、軍隊の将はシズレクであると言っていた。彼は平和裏にやってきて誰にも危害を加えなかった。彼らは略奪もせず、いつも市場で止まり、必要なものを購入していたのであった。
彼らはミリアス王に謁見しに行った。シズレクは軍隊を連れて町に馬で入っていき、そこでミリアス王が大軍隊を控えている場所へと向かった。シズレクは館に入る許可を要求し、王に急用があると言い、許可して欲しいと言った。シズレク王はミリアス王の高座の前に行き、彼は口を開いた。
「閣下と人民に幸あれ。」
「神のご加護を。で、貴殿の名前と貴殿の家柄と生まれと、旅の用向きを言いたまえ。」と王が応えた。
「我が名はシズレク。ヴィルキナランドの生まれである。オーサントリクス王が不機嫌になる前はその地の公であった。現在は王国を追われ、国にいれなくなったのである。そして私は閣下の臣下になるべくここにきました。」と彼は言った。
それからシズレクはミリアス王のひざの前でひざをついた。
「貴殿はよき戦士だ。さぞかし故国では名をはせたのであろう。なぜ王と不仲になったのだ?王国に戻り王に許しを乞えばよかろう。」とミリアス王が言った。
王は彼が誰かを知らなかったのでこんなふうに話した。シズレクはミリアス王の足の前で倒れた。そして彼に擁護してもらうように頼んだのであった。王はシズレクが国に大軍隊を連れてきていることを指摘した。そして敵対して攻撃するつもりであるなら、先制攻撃をしかけると言った。
オダ王女がなぜシズレクのような勇者が国を追い出されたのかを知りたいと言った。そしてシズレクは王には受け入れられなかった。

36章・Frá Viðólfi mittumstanga.

これを「棒もち」ヴィドールヴが聞いて、彼はミリアス王を殺害すると起こって言ったが、他の2人の巨人がそれを抑えた。
彼はどすんとくるぶしが埋まるぐらいに強く地面を踏んで、叫んだ。
「なんであんたはミリアス王の足元にひれ伏した。あんたはやつより高貴なんだろう。さあ、町を破壊し、国中を火の海にしよう。それから娘を奪えばいい。」と言った。
シズレクは巨人の叫びを聞いて、彼の怒りを知った。彼は騎士を送り出し、巨人達に彼を城壁にくくりつけるようにいい、彼らはそうした。彼は強い鉄の足かせを両足につけられた。
 シズレクはミリアス王の足元に3度目のひれ伏しをしていった。そしてここにおいて欲しいと懇願した。そしてミリアス王は彼に立ち上げるように言い、国から出るように言った。外国人の軍隊を国においておくわけにはいけないと言った。もし出て行かないのであれば、血から付くでも追い出すと言った。
 アスピリアン王がこれを聞いて、怒って館内に入り、こぶしを振り上げ、ミリアス王の耳を打ったので、彼は気絶した。オーサントリクス王は飛び出て剣を抜いた。それから「棒もち」ヴィドールヴが兄弟のアスピリアンが怒ったのを知った。彼は足かせをばらばらに引きちぎった。彼は金棒を握り締めると、館に入ってありとあらゆる生物を殺害した。
「おう、どこだヘルトニズ伯よ。俺はうれしいぞ。自由になれてよ。」と彼は叫んだ。
ヘルトニズ伯がこれを聞いて、喜んだ。彼らは地下牢へ降りていった。そこにはヘルマンという一人の騎士がおり、彼は地下牢の扉を壊す程強かった。彼らは外に出て、巨人の叫び声がする方へ行った。ヴィルキン人達は莫大な人数を殺害したが、ミリアス王は逃げおおせたのであった。

37章・Oda fagnar Ósantris konungi.

ヴィルキン人達はミリアス王の娘のオダを捕まえた。そしてこの町の金目のものを分捕り、ヴィルキン人の首領のもとへ運んだ。
 彼は彼女にたとえ彼女の父がオーサントリクス王に嫁がせることを望まなくても、王のもとへ連れてゆくと言った。そして王との和睦と友情を手にいれるのだと言った。
彼女はそれはよい悪いを関係なく成功するであろうと言った。首領は純銀で1足の靴を作らせ、彼は王女をひざの上に乗せて足にそれをはめてみた。するとまるであつらえたかのように彼女にぴったりな大きさであった。そして彼は靴を脱がせると、次に黄金の靴を履かせた。それは純銀のそれよりも2倍の価値のあるものであった。
 彼女は足に触れ、天の神にオーサントリクス王の高座で足をさすれる日がくるのかどうかと嘆いた。すると王は笑って答えて、それが今であると言った。彼女は彼がオーサントリクス王その人であると分かり、彼を喜んで受け入れた。

38章・Fr&aaute; sætt konunga.

オーサントリクス王は帰路につき、王女は彼に従っていた。少ししてオーサントリクス王はミリアス王に調停を申し出た。ミリアス王が王国の半分の領土とそれに属する人民を娘に譲ることになった。オーサントリクス王はオダと結婚を望んだが、義父であるミリアス王の領地を減らすことは望ます、ミリアス王存命の間はそれを放棄するとし、ミリアス王亡き後は妻のオダと共にそれを受け取ると申し出た。こうして調停が行われたのである。
 オーサントリクス王は盛大な婚礼の宴を準備した。この後オーサントリクス王は自身の王国を支配し、ミリアス王がフンランドを統治した。オーサントリクス王と彼の妻の間の娘はエルカと名づけられた。彼女は絶世の美女で、気品にあふれ、申し分のない女性であった。

39章・Upphaf Attila konungs ok lát Milias.

オシズ(Osið)という王がいた。彼はフリジア(Frísland)を統治していた。彼は有力な首領で、財産はたくさん保持していた。彼には2名の息子がおり、長男がオルトニズ(Ortnið)で、次男がアッチラ(Attila)であった。アッチラは若かりしころより大きくて強く、馬に乗らせれば一流の騎士で、気前がよく、賢く、大志を抱いている者であった。彼は大戦士であった。彼が12歳の時、オシズ王が彼を全首領の頭にした。アッチラしばしば軍を率いて老齢で弱った上に手助けする息子は一人としていないミリアス王の領土まで馬で出陣した。アッチラは彼の王国で大打撃を与え、多くの町が彼の手に落ちた。
 この時、ミリアス王は死に至る病に陥った。彼は首領達を招集し、秘密裏に会議を行った。彼は彼の後を継ぐ息子がいないことを嘆き、娘をヴィルキナランドの北に嫁がせ、彼の義理の息子のオーサントリクス王も王国を引き継がせるにはあまりにも遠くにいたのである。しかしオシズ王の息子のアッチラ卿はしばしば王国におり、そしてたとえ彼がオーサントリクス王がそれを全て、アッチラからそれを守ろうとも、彼は王国はオーサントリクス一族の手を離れるであろうと思った。
こうしてミリアス王は病で命を亡くすことになった。王は平和的で気前がよかく、彼は統治時代に法を重んじだので、彼の死をフンランド中が泣いた。

40章・Attila sverr at vinna Húnaland.

オシズ王の息子のアッチラがミリアス王の崩御を知り、彼は召集し、友がかけつけた。彼はフンランドへの遠征と襲撃について長らく語りフンランドをどのように襲撃してミリアス王の国にある町の数々を攻略するかを説いた。それから彼はフンランドを手にいれるまでは父王の国には戻らないと宣言した。彼の演説は大喝采を浴び、彼は今までの血族のだれよりも力を手に入れるたのである。

41章・Attila varð konungr í Húnalandi.

アッチラは軍隊を統べる王として容認され、家臣たちは彼に王の称号を認めたのであった。彼はその見返りに彼らに正義と法を約束し、さらに彼はミリアス王の全領土ともどもフンランドを武力で手にいれるまで国には決して戻らないと約束したのであった。ミリアス王にはヴァルテルボルグ(Valterborg)という首都があるのだが、アッチラ王はスサ(Susam)に彼の町を立ち上げた。これは現在はゾエスト(Susakk)と呼ばれている。彼は王の中で最も富のあるものであった。オーサントリクス王がアッチラ王がオダ女王の領土とその父のミリアス王がそれ以前に保持した王国を力ずくで手にいれたので、ヴルキナ人は長らく敵意を抱くことになるのである。しかしアッチラ王はフンランドに属する全王国を保持したので、オーサントリクス王はそれらの地域から一切納税を受けることができなかった。
 そしてアッチラの父のオシズ王が亡くなり、彼の王国は兄にオルトニズが引き継ぎ、彼はフリジア王となった。彼にはオシズ(Osið)という一人息子がいた。彼はアッチラ王に彼を差し向けた。オシズは最も勇敢な者であった。アッチラ王は彼にたくさんの騎士を統べる彼の軍隊の首領にした。王国はこうして長らくその姿を維持するのであった。

42章・Attila konungr bað Erku, dóttur Ósantix.

ある日、アッチラ王が血族のオシズを呼び寄せ、オーサントリクス王に謁見すると使命を伝えた。彼の使命は娘のエルカ(Erka)を妻として差し出すように要求するというものであった。アッチラ王はまたこのたびにつかせる2人目の首領を選んだ。彼はロゾールヴ(ルゾールヴ)(Roðólfr)で、彼はアッチラ軍のたくさんの騎士を従える公であった。彼は20名の心身共に優れた騎士を選び、それぞれに豪華な衣装をつけさせた。壮麗な旅路が計画されたのである。
 オシズとロゾールヴはヴィルキナランドに到着した。そしてスウェーデンのオーサントリクス王に謁見し、アッチラ王はいまだ敵であると伝えた。オシズは伝え終わると、アッチラ王がエルカを妻に迎えたがっているとさらに付け加えた。もしこれを受け入れなければ、この国に害を及ぼすであろうと伝えた。オーサントリクス王は彼らに好きなだけ、国に滞在するがいいと言った。
 しかしオシズとロゾールヴが命が達成していないと分かり、彼らは帰郷したいと望んだ。彼らが馬を走らせている間、話し合いをし、彼らはエルカが比類なき絶世の美女であるといった。そしてオーサントリクス王の違う娘のベルタが2番目であると言った。
 それからオシズとロゾールヴは帰郷し、アッチラ王に事の次第を伝え、オーサントリクス王がしぶっていると伝えた。

43章・Sendiför Roðingeirs markgreifa.

アッチラ王がバカラル(Bakalar)という町を統べている辺境伯ロジンゲイル(markgreifa Roðingeir(辺境伯というのは私が勝手に訳しました。実際はマークは坪みたいな単位で、土地の単位で、それが土地自体をあらわし、デンマークのマークやフィンマルクのマルクとなります。これが森等も意味することもあり、単純にこんな単語、かっちょえい?とやってしまいました。後でこのオヤジの描写が入って訂正が入ったらすません。指輪物語のようにマークの〜とした方がかっこいい?))に言付けを送った。彼はアッチラ王の領土内で最大の首領であった。辺境伯ロジンゲイルはアッチラ王のもとにやって来た。王は彼にオーサントリクス王のいる北へ向かい、娘のエルカをアッチラ王の妻として承認させるようにと命令した。そしてもしオーサントリクス王がそれを拒むのであれば、フン軍は戦準備が整っていると伝えろと言った。
 辺境伯ロジンゲイルはヴィルキナランドにやってきた。彼は60名の騎士と多くのその従者を引き連れていた。彼は名声を馳せ、彼は非常に気前がよく、全ての国々で最も人気のある首領であったので、道中訪れた場所はどこででも大変歓迎されたのである。彼がヴィルキナランドへ到着した時、彼はオーサントリクス王に謁見した。王は彼を暖かく迎え、最高の宴が準備され、多くの友人が集まったのであった。

44章・Viðræ&eth:a Roðingeirs ok Ósantrix konungs.

宴は3日間続き、辺境伯ロジンゲイルは王にフンランドの国からやってきたその用向きを伝えた。「辺境伯ロジンゲイル殿、貴殿は優れた首領だ。だがアッチラ王が強引に娘を要求するのは尋常とは思えん。彼の父王のオシズ王は小王にすぎず、家柄も我らの血族のルーシほど高貴ではない。こんなところに我が娘をやるとお思いか。速やかに立ち去られよ。そしてアッチラ王に我が娘エルカを妻にする望みはないと伝えよ。」とオーサントリクス王が応えた。
 辺境伯ロジンゲイルは、アッチラ王が大戦士で、多くの勇敢な騎士を抱えており、戦にも長けていると伝えた。そしてもし要求が受諾されなければ、戦になり、勝利する見込みはないであろうと伝えた。
オーサントリクス王はこれに対して、おとなしく帰ることはちっとも恥ではなく、アッチラ王に来るならこいと伝えよと言った。アッチラ王なぞ恐れるに足らないと言った。
 それからロディンゲイルは出発し、オーサントリクス王は彼に贈り物をした。彼はアッチラ王のいるスサに戻り、事の次第を伝えたのであった。

45章・Frá hernaði Attila konungs.

アッチラ王がこれを知ると、彼は王国中で徴兵をした。そしてアッチラ王はスサを馬で出発し、5000騎の騎士とたくさんの兵を連れ、北のヴィルキナランドに向けて出陣した。彼は行くところはどこででも火をつけて襲撃をしたのであった。
 巨人のアスピリアンが軍を従えて彼らに向かってきた。そこで激戦が起こった。ヴィルキン人達は戦い、500名の戦死者を出した。それからアッチラ王がそれを破ってヴィルキナランドに入った。巨人のアスピリアンと兄弟のエズゲイルは東に逃げ、「棒もち」ヴィドールヴと兄弟のアヴェントロズはオーサントリクス王のもとへ逃げ込み、アッチラ王はたくさんの動産と戦利品を手に入れたのであった。
 オーサントリクス王はアッチラ王が王国を襲撃していると聞くと、軍隊を召集し、迎え撃ちに向かった。彼は南のユトランドに入った。一万騎の騎士とたくさんの兵を引き連れ、アッチラ王を迎えた。しかしアッチラ王がフンランドに馬で戻り、オーサントリクス王は全軍を連れてそれを追った。アッチラ王がデンマークとフンランドにまたがる森に入った時、彼は天幕を張り、オーサントリクス王がフンランドに入ってくるのを待った。

46章・Frá herbragði Roðólfs hertoga.

「良い騎士の」ロゾールヴ(Roðólifr inn góði)は森に偵察に出た。そこでオーサントリクス王が軍隊を止めて野営の準備を整えているのを見た。すると彼はアッチラ王のもとへ戻り、3百騎の完全武装の騎士を集め、森に戻った。そしてオーサントリクス王の身辺警護者と戦った。彼は12名の彼ら全員を殺害し、オーサントリクス王の野営地に入り、戦の笛を吹き鳴らし、馬も人も来る敵を殺害した。ロゾールヴと一行は軍隊に大打撃を与えた。彼は森に戻った。彼の一行は誰も深手を負わなかった。一方。オーサントリクス王軍は500名の命が失われた。
 ロゾールヴ公はアッチラ王軍に戻り、事の次第を報告した。アッチラ王は報酬を与え、彼に富を約束した。この後、アッチラ王はスサに戻り、オーサントリクス王軍はしずしずと国に戻ったのであった。

47章・Roðólfr hertogi fór til Vilkinalands.

アッチラ王がスサの館にいた時、ロゾールヴ公は彼を訪ね、300名の騎士と費用を遠征のために要求した。アッチラ王はその理由を尋ねた。すると彼は3年の後に戻らねば死亡したとみなして欲しいと言った。こうしてロゾールヴ公は出発し、北のヴィルキナランドへ向かった。彼らは無人の森に入り、野営をした。夜にロゾールヴ公は家来を集めて、この暗い森が無人で、公道がないと話した。彼は彼が戻ってくるまで家来達にここに残るように言った。そして必要なものを与えた。そしてもし自分が3年のうちに戻らねばアッチラ王のもとへ戻り、死亡したと伝えて欲しいと言った。
 この後、彼はフードを被ると、馬に乗ってヴィルキナランドへ言った。そして北欧ではシグルズ(Sigurð)であるジークフリート(Sigifrið)と名前を変えた。

48章・Sigurðr réðst til hirðar Ósantrix konungs.

彼がオーサントリックス王に出会うまでの話は語られていない。彼が王の館に到着した時、彼は入館の許可を要求した。すると一人の目の弱った老人が現れ、フードを着ていたので顔は見えるか見えないかであった。王が到着した時、ルゾールヴは足元へひれ伏し、オーサントリクス王に許しを乞うたのであった。オーサントリクス王はそれに対して、どこからきてどこに行くのかを訪ね、話し振りはまるで敵のようだと言った。するとルゾールヴ公は自身はフンランドに血族がいる、その地の者であるといった。そして以前の自分は強かったが、今は国を追われていると言った。そして自らの名前はシグルズであると言った。するとオーサントリクス王が確かにフン人であると言い、オーサントリクス王軍の500名の戦死者を出させた張本人のアッチラ王の家臣のルゾールヴ公にそっくりだとも言った。そしてルゾールヴ公をもしひっつかまえたら、つるし上げてやるとも付け加えた。シグルズはそうではないといい、自身はミリアス王の家来で、3人の兄弟がいると言った。彼らのうち1人はアッチラ王につるし上げられ、もう一人は剣で殺害され、もう一人は大怪我をさせられたと言った。そして自分はアッチラ王の家来を100名殺害し、5つの王の農場を焼いたと言った。こうしてフンランドを追われることになったと言った。すると王はそれは勇敢なことで、報復に値することで、それゆえにここに滞在するがいいと言った。さらにもし言っていることが事実であれば、ヤールの領土と、望む権力を与えようとも申し出た。シグルズは王の軍に所属したいと申し出た。王はそれをこころよく受け取った。そして彼は2年間、ここに留まった。しかしこの間は彼はエルカ王女と話す機会はなかった。

49章・Bónorð Norðungs konungs til Erku.

スヴァヴァから来たノルドゥング王がオーサントリクス王を訪ねてきた。彼は有力な王で、オーサントリクス王の娘のエルカに求婚しに来た。これはヘルトニズ伯とその兄弟のヒルズに支援されていた。ノルドゥングは彼らの親友であった。オーサントリクス王は申し出を快く受け取り、娘さえよければそうしようと言った。彼はノルドゥング王を滞在を壮大で物惜しみなく接待したのであった。エルカ王女は一般の者が入ることない城に住んでおり、40名の高貴な次女を仕えさせていたのであった。 オーサントリクス王は友人のシグルズに話し掛けた。
「貴殿は2年の月日をこの王国で過ごした。貴殿は見識もあり、よき戦士でもあり、信用がおける。貴殿に頼みたいことがある。娘のエルカのもとへゆき、ノルドゥング王がエルカに求婚しており、それを受け入れるようにと言ってきてくれまいか。」
オーサントリクス王とノルドゥング王はこれが行われる時、城壁の外側に座っていた。

50章・Sigurðr mær fundi Erku konungsdóttur.

シグルズはエルカのもとを王の伝言を携えてやってきた。そして彼は城の戸口を開くように言った。王女は父の伝言だとわかり、彼を招き入れてその内容を尋ねた。彼女はシグルズが賢い男で、今までこんな者を見たことがないと誉めた。それに対してシグルズはこの国には王妃を一介の男が訪ねる風習もなければ、王の許しなしに行われないことであるといった。そして王が今までそれを許さなかったとも言った。そして彼は内緒話があると彼女にいった。エルカは姉妹のベルタに席をはずして欲しいと言った。するとシグルズは我々2人が庭に行きましょうと言った。なぜなら王は城壁のに座っており、王は話は聞こえずとも我々の行動が見れるであろうからと言った。するとエルカはなんと賢明なんだろうと感心をした。そして得るかはベルタに果実園に行くための2個の座布団を取ってくるように言った。

51章・Sigurðr flutti bónorð Attila konungs.

それから彼らは外に出て、立派な木の木陰に座った。オーサントリクス王とノルドゥング王はをれを見ていた。人払いがされ、シグルズが王女に、自分のフードを取って、自身の姿を見て欲しいと言った。自身はノルドゥング王はおろか、オーサントリクス王や人々の目を欺いていると言った。そして目の前の彼女にさえ偽りの姿を見せていると言った。そこで彼は、自らがルゾールヴ公で、アッチラ王の配下であると明かしたのであった。そしてアッチラ王の求婚の申し出のために来ていると言った。そしてアッチラ王が彼女を迎えるにあたり、多くの騎士を与え、立派な城、金銀財宝、きらびやかな衣装、多くの従者などの奉仕をもって迎えると伝えた。そして最後に彼の妃になると、世界一の王妃になれると言ったのであった。 するとエルカは起こって怒鳴って言った。妹のベルタに向かって、彼がシグルズではなく、アッチラ王配下のルゾールヴ公で、欺いていたと言った。そしてこのことを父上に伝え、すぐにこの500名の自軍の兵を殺害した男を殺害するようにと伝えて欲しいと言った。そして最後にこの男は即刻、つるすべきだと言った。 ルゾールヴ公はそれに対して、そんなことよりもアッチラ王の妃になるほうがよっぽどいいと言った。そして妹のベルタは自身の妻にしようと言った。 ベルタはエルカに、ベルタを信じてきたこの男を欺くべきではなく、望むがままに出発させるがいいと言った。そして彼女が以前、フンランドの王妃になり、アッチラ王の妃になると神に願わなかったかと訪ねた。そしてそれがいま成就されるのに、なぜこの者を欺くのかと訪ねた。そしてエルカがフンランドの妃になり権力を得ることになり、自らもついていくと言った。 ベルタが話す前に、ルゾールヴ公は立ち上がり、エルカが父王に伝えるのを阻止するために準備をしていた。そしてエルカは、ルゾールヴ公に自らはアッチラ王の妃となり、ベルタが彼女の妻になろうと言った。そしてそのしるしとして彼に黄金のリングを与えるといった。 オーサントリクス王とノルドゥング王が彼女がルゾールヴにリングを与えるのを見た。そして彼らは彼女がノルドゥング王の要求を彼女が受け入れたと思い違いをした。

52章・Heimför Norðungs konungs.

シグルズは立ち去り、王達ももとへ向かった。ノルドゥング王は、彼にうまくいったと誉めた。そしてその報酬に伯の身分を約束しようといった。それに対してシグルズは、彼女は1年間どこにも嫁がないと言った。そして彼女は彼に黄金のリングと共にその決心を明かしたと言った。そしてリングを見せて証拠とした。 ノルドゥング王は、なにやら勘違いをして、1年後に彼女が妻になると思い、シグルズに感謝をして、帰路についたのであった。

53章・Sigurðr fekk brottfararleyfi.

オーサントリクス王は友人のシグルズを呼び寄せ、シグルズが玉座の前に来たときに話し掛けた。
「貴殿がきてはや2年になる。貴殿は立派な騎士で、故国でもそうであったのだろう。貴殿を家臣と軍隊、防衛の長としよう。」と王はいった。
シグルズは、自身はアッチラ王に報復をしておらず、アッチラ王は今やぬくぬくと暮らしていると言った。そしてアッチラ王に報復しに行き、彼をオーサントリクス王の家臣にしようと言った。アッチラ王は自らより強い戦士で、よい騎士であり、王に仕えるに相応しいと言った。するとオーサントリクス王はいい考えだとのんきに答え、彼に生き残って大怪我を負っている兄弟のアリブランドともどもここに戻り、仕えるがいいと言ったのであった。

54章・Sigurðr nemr á brott Eruku.

ルゾールヴ公が部下の騎士達のいる森に行った。部下達は言われたとおりにして待っていた。彼はアッチラ王の甥の若いオシズを連れていた。彼らは二人ともオーサントリクス王のところに向かった。シグルズは玉座のに行き、王に頭を下げた。そして王に快く挨拶をし、王は快く迎えた。王はシグルズにどこにいっていたのかと尋ねた。すると彼は弟のアリブランドが今そばにいて、王が彼を立派な者だと認識するだろうと答えた。そしてシグルズと弟の両者を王国の大首領にするであろうといった。 しかし彼らの7日間の滞在中のこと、王が寝床に行き、シグルズとアリブランドが自らの馬がいるところへ行った。彼らはすでに武器と支度金を携えており、彼らはエルカ王妃のいる城へ馬で向かった。彼らが城の前に来た時、エルカがベルタを連れて彼らのもとへ来て、彼らと共に出発したいと言った。彼らはできるだけ夜の間に人目に触れないように行き、それから昼も夜も馬を駆ったのであった。

55章・Eftirför Ósantrix, umsátr ok heimför.

オーサントリクス王が彼らの背信行為に気づき、彼は武装した騎士を引き連れて、一日中、彼らの後を追った。王もルゾールヴ側も全速力で進み、ルゾールヴは自らの部下達と合流した。そして部下達はてっきりルゾールヴが死んでいると思っていたので、大変喜んだのであった。彼らはフンランドに向かったのだが、オーサントリクス王は彼らを軍隊を引き連れて追っていた。そして追いついたので、ルゾールヴと彼の配下は逃げれないと分かった。彼らはファルスト森にあるマルクステインという城に馬で入城した。 オーサントリクス王は全軍を持って城に向かい、野営した。だがルゾールヴはアッチラ王にこのことを知らせるために2名の部下を送り出した。部下達がスサのアッチラ王を尋ね、王にルゾールヴがこの使命をどのように遂行したのかを伝え、今、どんな状況に陥っているかを伝えたのであった。王は兵を招集し、ホルンというホルンは皆吹き鳴らさせ、一日中、彼らがファルスト森に到着するまで、圧倒的兵力を集めるために部下を送り出したのであった。 ルゾールヴとオシズはオーサントリクス王と数日間戦い、たくさんの首を討ち取り、時折、城から馬で出てゆき、時折、城壁から攻撃したのであった。アッチラ王到着前に彼らは40名の配下を失い、オーサントリクス王は100名の兵を失った。しかし城は強固であったので、オーサントリクス王は牙城を崩すことはできなかった。 彼の偵察隊がアッチラ王が無敵軍隊を引き連れてきており、王が野営地を破壊し、王国に戻ったと報告をしたのであった。

56章・Brúðkaup Attila konungs ok Erku.

オーサントリクス王が馬で逃げ去り、ルゾールヴは部下達に武器と馬を取り、アッチラ王のもとへ行くように命じた。そして彼らはそうしたのであった。彼らは平原でアッチラ王と会った。王は4万以上の騎士を伴っていた。 ルゾールヴはオーサントリクス王の娘のエルカをアッチラ王に引き渡した。喚起にあふれた会合が行われたのであった。アッチラ王は全軍を引き連れて国に戻り、スサに帰郷した。少しして王はエルカとの婚礼のための盛大なる宴の準備をし、王はルゾールヴにオーサントリクス王の娘のベルタを与え、この夫婦にフンランドのたくさんの領土を与えたのであった。この宴は盛大に祝われ、ふんだんに振舞われ、7日間続いたのであった。 そしてアッチラ王は妃エルカと共に国を統べた。彼らの息子はエルプとオルトヴィンである。この後、フンランドとヴィルキナランドの国間の関係は悪いもので、アッチラ王と、ヴィルキン人のオーサントリクス王とルーシのヴァルディマール王との間に戦が度々起こり、互いに傷つけ合っていたのであった。こんな状況がしばらく続くのであった。


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