二人の会話

第一部  二人の関係


その二

 駅から出て商店街を抜け、ここから住宅街になるという境目にちょっと大き目の公園がある。入学式のあとに二人で写真を撮ったのは、この公園の桜の下でだ。季候がうまくあって、満開の桜の下で写真を撮ることが出来てよかったとお母さんが喜んでいたのをおぼえている。
 公園には入り口が四つあって、中を突っ切るとそれぞれの入り口から別の地区に出やすい。小学二年生になりしばらく経ったその日、私はこの公園で待ち合わせをして、真由美ちゃんのおうちへ遊びにいく予定だった。

 ベンチに座って公園の東側入り口を見つめていると、そこに何人かの男の子の集団がやってきた。見覚えのあるその顔は三組の男の子たちで、その中には俊成君も混じっていた。
 久しぶりの俊成君。私はこのとき初めて、俊成君とここ最近顔を会わせていないことに気が付いた。
 最後に話したのは、いつだっけ?相変わらず『くら澤』での食事会は我が家には欠かせない行事だし、商店街を通るたびにおじさんやおばさんとは挨拶をしている。だからかな? 本当に今まで気が付かなかった。この中で、ぽっかりと俊成君が抜けている。
 今更ながらの事実に驚いてぼんやりと俊成君を見つめていたら、その視線に気が付いたようでふいに彼が振り返った。

 遠目でもはっきりと分かる、俊成君の顔。真っ直ぐに私を見つめると、ちょっと驚いたように目をしばたかせる。
「久しぶりだね、俊成君」
 気が付くと私は彼に駆け寄って、話しかけていた。
「あずちゃん」
 保育園から直接俊成君の家に行くと、出迎えてくれるあの笑顔。当たり前のようにそれを期待していたのに、俊成君は戸惑うようにつぶやいて、ちらりと後ろをうかがった。
「倉沢、サッカーどうすんの?」
 その視線と同じタイミングで、後ろから問いかけられる。
「先、始めていて」
 そう言うと俊成君はすっとベンチに向かって歩き出した。私も慌てて歩き出すけれど、なんだか予想もしていなかったこの流れについていけず混乱する。
 私、俊成君が他の男の子と遊んでいる姿を見るのは初めてかもしれない。保育園のときはいつもお互いの家を行ったりきたりしていたから、他の友達が入ることがなかった。
「あれ誰?」
「一組の宮崎だよ」
 三組の男の子たちに背を向けて歩いていくけど、彼らの声は良く聞こえていた。思わず周りの存在を忘れて俊成君に話しかけてしまったけど、彼らにしてみれば驚くよね。自分達の仲間の一人めがけて、別のクラスの女の子がいきなり話しかけているんだもの。
 私と俊成君は生まれたときからの友達だけれど、俊成君の友達を今現在やっている彼らにそれは関係無いんだ。
「あの、邪魔しちゃって、ごめんね」
 最初の戸惑ったような表情が気になって、背中に向かって謝った。でもその途端、俊成君が振り返って力強く否定する。
「別に大丈夫だよ」
 その表情がようやく期待していたものだったことにほっとした。けれど私の心は落ち着かなく、遠巻きに私たちを見ている俊成君の友達や、じきにやって来るだろう真由美ちゃんが気になってしまう。
「今日はどうしたの?」
 俊成君の自然な問いかけに答えようとして、自分が少しずつ緊張していることに気が付いた。
「友達と、待ち合わせ」
「じゃあ、公園では遊んで行かないんだ」
「うん」
 話しかけたのは私のほうなのに、なぜだろう、うまく会話をすることが出来ない。自分の知らない友達に囲まれてこれから楽しく遊ぼうとしていた俊成君が、なんだか自分の知っている俊成君じゃなくて別の子のように感じてしまった。
「学校に入ったら全然あずちゃんとも会わなくなっちゃったから、よくカズ兄ちゃんとユキ兄ちゃんにどうしたんだって聞かれていたんだ。でも、お店には来ているんだよね」
「うん」
「ばあちゃんも寂しがっていたよ」
「あ、でも、この間おばあちゃんとは商店街で会った」
「そうなんだ」
 途切れる会話。俊成君の顔がちょっと困ったようになって、私も余計に焦ってしまった。
 どうしよう。何も考えずに俊成君に話しかけたから、何を話したら良いのか分からない。……いっそこのまま、「じゃあね」って言って立ち去ったら駄目なのかな。
 焦れば焦るほど私の表情はむっとしたようになって、反対に俊成君はますます困ったように私の顔をのぞきこんだ。
「あずちゃん、どうしたの?」
「お前、あそこでサッカーしているのと同じグループ?」
 突然横から声がして、びっくりした私は顔を上げた。その途端、その声の主と目が合ってしまう。
「ああ。宮崎奈緒子の妹か」
 人の顔をじろじろと眺め、面白そうに笑うその表情に思わず一歩あとずさる。
 この人、お姉ちゃんの同級生だ。確か大西って名前で、四年生の中で一番暴れん坊で意地悪なの。時々公園に来て、下級生をいじめて泣かすから気を付けろって、お姉ちゃんが言っていた。
「俊成君、行こう」
 私はそっと俊成君の腕をつかむと、ゆっくりと歩き出した。
「俺、お前のほうに聞いてんだけど。トシナリ君」
 鼻で笑いながら話すその言い方に警戒心が沸き起こる。でも、こんな意地悪な上級生にどう対処してよいかなんて分からない。私と俊成君は立ち止まると、無言のまま彼を見た。
「なんかこれからサッカーするみたいだけどさ、あそこ、すでに俺達が場所取りしていたんだよな。お前ら邪魔だから別の場所行ってやってくんない?」
「場所取り?」
 俊成君たちが来る前から公園にいた私は、思わず言葉を繰り返してしまった。この人の言っていることはウソだ。だって私、四年生の人たちなんか一人も見ていなかったもの。
 確認したくて三組の男の子たちがいた方を見やると、彼らはすでに他の四年生たちに取り囲まれ、じりじりとこちらに向かって追いやられているところだった。
「あそこは、……二年生の場所よ」
 後からやってきたのに力で自分達の場所を奪い取ろうとする上級生に、思わずかっときてしまう。なんでこんな納得いかないこと、平気でごり押ししようとするんだろう。
 けれど次の瞬間、大西の顔を見てびくりとした。
「なに? お前」
 すっと細まる目。不快感をあらわにしたその表情。
 今更ながら、「下級生をいじめて泣かすから気を付けろ」というお姉ちゃんの忠告が思い出された。
「あ……」
 一気に後悔が押し寄せる。
 この後どんな意地悪をされるんだろう。怖さに足がすくんでいると、私の腕をつかみ体を後ろに引いて、俊成君が前に出た。
「本当に場所取りしていたか、分からないよ」
 温厚な性格で私に対して怒った表情など見せたことの無い俊成君が、大西のことを睨みつける。
「ふぅん」
 大西は短くつぶやくと、俊成君の胸ぐらを思い切り突き飛ばした。たまらず俊成君が大きく転ぶ。
「俊成君!」
「大西!」
 私が慌てて俊成君に駆け寄ったのと同じくらいの勢いで、四年生が向こうから走ってきた。
「それ以上やると、また公園使えなくなるだろ!」
 そんな友達の忠告に舌打ちすると、大西は倒れている俊成君の鼻先を掠めるように大きく地面を蹴り上げた。砂埃が舞い散って、俊成君が顔を背ける。
「ほら、早くどけよ」
 大西はそこで言葉を切ると、周りをうかがうように素早く辺りを見回す。そして追い出された分四年生よりも先に辿り着いた二年三組の男の子たちを発見し、彼らに聞こえるように言い切った。
「大体女のことをちゃん付けして、仲間と離れてこそこそしゃべっているような奴、サッカーなんかじゃなくてままごとで十分だろ?」
「なっ」
 なにそれっ。
 さすがにそれ以上の声は出なかったけれど、あまりの言い様に私の手はきつく握り締められた。大西はみんなの前で俊成君を馬鹿にすることに成功し気持ちがおさまったようで、ゆっくりと他の四年生の元に歩いていく。悔しくてその後姿をいつまでも目で追っていたら、俊成君の声がした。
「もう、行きなよ」
「え?」
 その短い言葉にあわてて振り返ると、俊成君は私から背を向けて自分の膝についている砂を払い落としていた。さっきまでとは違う、まるで私を拒絶するような動作。どうしてよいか分からず立ち尽くしていると、三組の男の子たちと目が合った。
「あ……」
 みんなは、今の出来事をどう思ったんだろう。
 一気に怒りの熱が、冷めていった。
 確かに大西の言うとおり、俊成君は私のことを「あずちゃん」って呼んで、こそこそなんかじゃなかったけれどみんなから離れて話をしていた。私が最初に俊成君に話しかけたとき、不思議そうに私たちを見ている男の子だっていた。あんなふうに馬鹿にされて、でも言われても仕方ないよって俊成君の友達が思ったらどうしよう。本当は俊成君は私をかばってくれたのに。私がひどい目に遭わないように前に立って、だからこそああやって突き飛ばされてみんなの前でひどい言葉を言われたのに。もし俊成君が友達に誤解されたら、それは私が原因だ。

 ああ、そうか。

 このとき初めて理解した。
 私が俊成君に話しかけたから、こんなことになっちゃったんだ。俊成君も私も、保育園のときとはもう違うのに。

 小学校に上がってからもずっと変わりなくお互いの家を行き来していたのなら、もしくは同じ組でいたのなら、こんな風に考えることはなかったのかもしれない。でも私は本当に今まで俊成君のことを忘れていた。そんな私がまわりも見ずに突然話しかけたから、だから俊成君が嫌な目に遭ってしまったんだ。

 背中を向けた俊成君になんて言って良いか分からずに、しばらくその後姿を黙って見つめてしまう。
「……ごめんね」
 ごめんね、俊成君。
 そして私はくるりと振り返り、東側の入り口に向かって駆け出した。ちょうど入り口には真由美ちゃんが着いていて、私を探して辺りを見回しているところだった。
「真由美ちゃん!」
「あ、あずさちゃん。ごめんね。遅れちゃった」
「行こ!」
「え?」
「早く、真由美ちゃんのおうちに行こうっ。早くしないと日が暮れちゃうよ」
「あ、うん」
 戸惑う真由美ちゃんの腕を引っ張ると、大急ぎで公園を後にした。


 あれ以来、私は俊成君とうまく話すことが出来なくなった。
 公園や学校でばったり出会うこともあったけれど、挨拶をすることが出来なくて、わざと目を反らして知らん振りした。そして目を反らす度、自分の中に罪悪感が生まれ、余計に俊成君の顔を見ることが出来なくなってしまう。
 俊成君はそんな私に何か言いたそうにじっと見つめてくるのだけれど、でもやっぱり彼も話しかけにくそうで、結局お互いに知らん振りしてしまっていた。

 保育園の頃の記憶は鮮明で、俊成君と一緒にいるのが当たり前だった感覚はまだ自分の中に残っている。それなのに、仲直りするタイミングは失われ、気まずさだけが積み重なる。
 こんな思いをするくらいだったら、へたに俊成君と幼馴染じゃ無かったら良かったのにな。


 そしてそんなよどんだ気持ちを抱えたまま月日を重ね、私達は小学五年生になった。