遠い記憶

1.風の章


その三


 ママは私が三歳のとき、亡くなった。
 話によると、それまでは病気一つしたこと無い人だったらしい。けれど、私がお腹にいる頃から徐々に体調を崩し始め、結局それは良くならないまま帰らぬ人になってしまった。元々、娘の結婚相手に良い顔をしていなかったママのおばあちゃん達は、このときパパを色々と責めたみたい。パパは詳しく語ることはしないけれど、ママ側の親族と交流が無いってことから、ある程度は何が起きたかは推測出来る。
 助けになってくれるはずのパパの実家も遠くって、パパは自分の力だけで私を育てなければならなかった。

 小さい頃の記憶で覚えているのは、夜のがらんとした保育園。
 自分のお店を持ったばかりのパパの帰りは遅くって、延長保育で残っていても、大抵私が最後の一人だった。先生もちょっと困った顔をして、「真子ちゃんのパパ、遅いわね」ってつぶやいて。平気な顔をしていたけれど、いつでもどこか不安だった。
 パパがどうしても迎えに来られないとき、代わりにお店の美容師さんが迎えに来てくれたことが何度かある。お姉さんはいつも帰り道ぎゅっと抱きしめてくれて、あやすように繰り返してくれた。
「真子ちゃんは強い子だから、大丈夫」
 ママのことを覚えていなかったから、お姉さんの柔らかい温もりはそれだけでどきどきした。でもなぜかいつも涙が出そうになった。
 今でも時々、あの温もりを思い出す。
 真子ちゃんは大丈夫って。大丈夫。大丈夫って。


「……暑い」
 意識がゆっくりと起き上がるにつれ、じりじりと焼け付けるような暑さに顔をしかめた。まぶたを通して光りが入ってくる。電気点けっ放しで寝ちゃったかな。あと、暖房も。
 うっすらとまぶたを開けると、空の青さが目に飛び込んできた。
「んー?」
 外? え、ってことは、外なの? そういえばこの暑さ、暖房じゃないよ。
「今って、夏……?」
 あれ?
 って思った瞬間、ぶひんとか、ふるるって、動物の鼻の鳴らす音がすぐ近くで聞こえた。
 え?
「馬っ?」
 一気に意識が覚醒して、がばっと上半身を起こす。
「急に動かないで。馬が怯えるでしょ」
 馬の顔がさっと横にずれ、上のほうから短く叱る声がした。
「え? あの……」
「お早う。遅かったじゃない、アクタ」
 見下ろす女の子と目があって、自分の置かれた状況についていけずに固まってしまった。
 どこかの民族衣装を着た女の子が、馬に乗ってこちらをまっすぐ見ている。襟のついた袷の着物。筒の袖。腰には帯。モンゴルとかそっち系の衣装。彼女の背後は抜けるような青い空。広い草原。目線をゆっくりと彷徨わせて、地平線を確認した。って、地平線って? 何、このただっ広さ。
「あれ?」
 そういえば昨日、コンビニ行った帰りに飯島王子と出会って、気が付いたら変な建物の中にいたんだっけ。この女の子と似たような格好をした男の子もいて。で、飯島君と喧嘩して野宿して、って。
「キョエン? だっけ……」
 だんだんと思い出されてくる。いかに自分が今、とんでもない目にあっているのかとか。
「ここはタラス湖畔の外れ。キョエンから西に十五キロとかそんなところ」
 落ち着いて答える彼女をすがるように見つめ返した。ここに来て初めて聞けた具体的で明確な答え。
「お願い。教えて!」
 そもそもキョエンがどこにあるとか西から十五キロというのがどのくらいの距離なんだかとか、言われても良く分からないんだけれど、でもこの子だったら教えてくれそうな気がする。今の私に必要なのは、状況説明だ。
「全然、訳が分かりません。何でここにいるの、私」
 その途端、女の子の眉が大きくひそめられた。思いっきり不審そうな表情に変わってゆく。
「もしかして、記憶が無いの?」
「無いんだよ」
 別のところから声がして慌ててそちらを振り向くと、昨日の男の子、オーロだっけ? が同じく馬に乗って近付いてきた。
「そろそろ起きる頃だと思ったから、戻ってきた。ほら、朝飯」
 そう言って、昨日のレジ袋を放り投げられる。
「あ、ありがとう」
 あわてて受け取ると、とりあえずお礼を言う。そんな私にもう一回、今度はタオルを放り投げて、オーロが後ろを指差した。
「あっちのほうに湖があるのが見えるだろ? 顔洗うんだったら、あそこでやって。エシゲと俺は迎えの誘導に行くから」
「え、ちょっと待って! 説明はっ?」
 せっかくのチャンスなのに!
「そうよ、私だって聞きたいわよ」
 私の叫びに合わせて、エシゲと呼ばれた女の子も反論する。オーロは肩をすくめると、すっと姿勢を正した。それを合図に馬が動き出す。
「アクタへの説明は、その隣で寝ているジンの役目だろ。多分、もうちょっとしたら起きるはずだから、目が覚めたらそいつから聞きな」
「私への説明は?」
 一緒になって馬を歩かせながら、エシゲがもう一度たずねた。
「知らねーよ。俺だって聞きたいくらいだ。記憶無いのに良くこっちに戻ってこられたなって、それくらい。じゃあアクタ、あと二時間は帰ってこないから。よろしく」
 親切なんだか不親切なんだか、面倒見が良いのか面倒くさがりなのか。オーロのペースに巻き込まれてぼんやりと後姿を見送ってしまう。頼りの女の子はちらりとこちらを振り返ると、お愛想のように手を振って彼と一緒に去って行った。
「なんなのよ、もう……」
 がっくりと肩を下ろすと、隣でまだ寝入っている人物を見下ろした。
 馬が二頭に人が三人。ついでに私は叫んだり飛び起きたり結構騒がしかったはずなのに、まるきり気にせず寝入っている王子が一人。
 昨夜は気が付かなかったけれど、とりあえず木の根元で寝ていたので、木陰にはなっている。けれどこんな野外。しかも明らかに夏の陽気の中で、よく眠り続けていられるな。
 ちょっと呆れて見つめていたら、ふいに寝返りをうってまぶたが開いた。
「あ」
 飯島君。と呼びかけようとした瞬間、ふわっとした彼の笑顔に惹きこまれた。
「アクタ……」
 一言つぶやいて、また寝入ってしまう。その表情がとても幸せそうで、何も言えなくなってしまう。
 だぁー、もうっ! なんなのよ、この状況!
「……顔、洗ってこよう」
 ため息をつくと、タオルを持って立ち上がった。

 まばらに木々を生やしながらもこんなにただっ広い草原の中、静かに水を湛えた湖を一人眺める。
 背後を振り返ってみるけれど、ゆるやかな登坂になっているのか、オーロとエシゲの乗った馬の姿はもう見えない。ただ、飯島君が寝ている小さな木立はぽつんと目立って見えていて、それが私を少しだけ安心させた。
 人口密度のやたら高い住宅街で生活している人間にとって、この開放感は逆に不安だ。しかもなぜ今自分がここにいるとか、何一つ分からない状態では。
「殺されたけど、やり残したことがあったから、戻ってきた」
 昨日の飯島君の台詞を試しに口に出して言ってみる。けれど、さっぱり分からず頭を振った。正直言って、馬鹿らしいと思う。かつがれているのかな? とか。
 でもこの真っ直ぐな日差しの強さとか空の青さ、風の爽やかさは本物で、ここが日本で無いことは肌で感じていた。というか、ここ冬じゃなくて明らかに夏だし。コートは寝る前にすでに脱いでいたけれど、トレーナーもさっき脱いで、私はTシャツにジーンズという格好だ。
 洗顔のために結わえていた髪を解き、木立まで戻るために歩き出す。ブラシが無いから手櫛の状態。結わえたままの方がいいとは思うのだけれど、いつも下ろしたままなので結局そうした。エシゲがブラシを持っていたら、借りなくちゃ。

 戻ると飯島君が起きていて、上半身を起こしたままぼんやりとしていた。
「お早う」
 他に言うべき言葉が思いつかず、とりあえずそう声をかける。
「お早う」
 いかにも寝起きですといった、ぼうっとした表情。その普通というのか、素の状態が珍しくて、ついじっと見つめてしまった。学校でたまに見かけるときは、こんな油断しきった表情はしていない。そうか王子もただの人なんだな、とか妙な納得をしてしまう。
「その牛乳、もらっていい?」
「あ、うん」
 レジ袋から牛乳を取り出すと、ひんやりと冷たかった。外側に水滴が付いて濡れている。夏の陽気で駄目にならないように、オーロが湖で冷やしてくれていたみたい。やっぱりまめな性格なんだ。
 そんなことを考えながら、牛乳を飯島君に手渡す。パックに直接口を付け、一気に飲んでいる姿を見ながら聞いてみた。
「ベーグル、いる?」
「いる」
 半分にちぎって渡したら、交換するように牛乳を戻された。私にも飲めってことなのかな。
 これって間接キスだよね。とか、まるで小学生みたいな事を考えながら牛乳に口を付ける。もそもそとベーグルを食べていたら、飯島君は袋からポテトチップスを取り出して、「これも食べて良い?」と聞いてきた。
「いいよ。別に」
「じゃあもらう。ありがとう」
 三百六十度見渡せる大草原。他に人影は無く、私はなぜかそれまで関わりの無かった男の子と一緒に、朝食とコンビニ限定のポテチを食べている。……変だ。変だよ、これ。
「この世界はさ」
 自分の置かれた状況について悩み始めた頃、飯島君がぽつりと話しを始めた。
「活気に満ちて、ちょっとばかり荒々しいんだ」
 えーっと、
「何が?」
 訳が分からず聞いてみる。
「気が。自然の力とか、そういうものが。世界のあちこちに気が溜まる場所があって、そこではしょっちゅう天変地異だとか人同士の争いだとか、やたらにエネルギーがぶつかるような出来事が起こる。はた迷惑な話だけれど」
 話しをしながら、飯島君は空を見上げた。目をすがめ、視線を動かす。まるで鳥でも追っているようで、つられて私も空を見たけれど、何も見えなかった。
「この荒々しい気を治め、コントロールする方法として玉を祀るんだ。玉には気を鎮める力がある。この世界の人間は昔から、気の溜まる場所毎に斎場を設け、玉を祀り、気を鎮めてきた。鎮めに成功すれば、気は人間の味方となる。要は只のエネルギーだから」
「それが、あそこ?」
 昨夜の建物を思い出す。
「でも、あそこには何も無いって」
「今は、無い。昔はあった」
 空から視線を外し、飯島君は自分の手元を見つめた。
「気を鎮めるため、玉は自分の力を最大限に酷使する。鎮めの力が尽きたとき、玉は壊れる。キョエンの斎場に玉が無いのはそのせい。俺達は前世、その次の玉を造り、そして護る役目についていた。「玉の造り手」と呼ばれる集団に属していたんだ」
「造り手?」
「玉は石を削り、磨き、人の手によって造られる。けれど、すべての石が玉になれるわけではない。玉としての資質を持った石を選ぶのは、実際に鎮めを行っている玉だけ。俺達は玉の指し示す方向へ行き、石を探し、玉に仕立て、新しい次の玉として台座に据える」
「でも、あそこには無いって」
 言いかけてから、気が付いた。
「殺されたって……?」
 ふっと、飯島君の口元に笑みが浮かんだ。
「俺達は、新しい玉の選定に手間取りすぎたんだ。前の玉が持つ鎮めの力は弱まり、この地域一帯の天候が荒れ、人の心も乱れた。俺達が新しい玉を造り上げるまで、玉の寿命は持たなかった。斎場へ新しい玉を持って行ったときには、すでに前の玉は壊れて、新しい玉が据えられていた」
 穏やかな口調。まるで何かおとぎ噺でも語っているみたい。でも、飯島君の目つきは少しずつ鋭くなってゆく。奥底に冷えたものを感じ、ぞくりとした。
「飯島君達の持ってきたものは、もういらなくなっていたってこと?」
「その据えられた石が、真の新しい玉であったならね」
 そこで言葉を切ると、眉を寄せて息を吐く。
「玉の造り手であるということは、一種のステータスなんだ。気を鎮める玉を祀るということは、世界に満ちるエネルギーの一部を自分の物にするのと同じことだから。特にキョエンはこの東大陸で最大の斎場だ。それだけ得る力も強大になる。だから造り手の間には派閥争いや内部抗争が起こるんだ。そんな負のパワーでさえ、気というものは力を与える。
 前の玉が壊れた以上、次の玉がどれかなんて、誰にも分からない。それが人の心に猜疑心を生む。俺達が探し出した石、チャガンと銘々された玉は、本当に前の玉によって選ばれたものなのか。ただ単にそう言って、人々を騙しているだけなんじゃないのか」
 次第にきつく握りしめられていく、飯島君の手。感情をなるべく表そうとしないその仕草と、普段遠くから見る彼の笑顔はどこか似ていた。
「今から十八年前の出来事だよ。新しい玉を持ち帰った俺達は世界を乱す者として、その場で処刑された。前世での記憶は一応ここまで」
 そう言うと、飯島君はまた空を見上げる。
 十八年前の、自分の前世を語るその横顔を見つめ、私はどう反応して良いか迷っていた。だってそんな怪しい話、世間の常識で考えたら「有り得ない」の一言で終わってしまう。
 でも、私は現にこの見知らぬ世界で飯島君の横に座っている。
「……代わりに、据えられた玉はどうなったの」
 ひとまず非常識かどうかは置いておき、疑問をそっと口にした。昨夜の荒れ果てた斎場が、やたらに脳裏にちらついている。
「壊れた。多分、俺達が殺されてすぐに。普通の石では、気の持つ力に耐えられないから」
「飯島君達の造った玉は? それが本物なんだよね」
「行方不明。俺達が捕まったとき、仲間にチャガンを託し、彼はそれを持って逃亡した。彼は、ドゥーレンは、身を隠してチャガンを守り、俺達が戻ってくるのをどこかで待っている」
「それじゃあ、飯島君達がやり残したことって」
「ドゥーレンを探し、チャガンを持ってキョエンに戻り、新たな玉として斎場に祀る。そのために俺達は生まれ変わり、ここに戻ってきた」
 飯島君はきっぱりと言い切ると、ふいに私の顔を見つめた。
「言っておくけど、これは成田さんの話でもあるんだからね」
「私っ?」
 何を言われたか分からずに、聞き返してしまう。
「チャガンを造ったのは俺だけじゃない。オーロにエシゲ、アクタ、そして俺。この四人が、次の玉を造り護る者として任命されていたんだ。特にアクタ。前の玉の声を聴き、チャガンを石の眠りから呼び起こした。この四人の中で、一番重要な位置にいたんだよ」
「そんなこと、言われたって……」
 気が付くと、私の上半身は飯島君を避けるように後ろにのけぞっていた。無意識って、凄い。心の動きを的確に体が表している。
 飯島君はそんな私を観察するように眺めると、ゆっくりと首をかしげる。
「思い出せない? 自分のことじゃないと思っている?」
「ええっと、……うん。まぁ」
 直球な問いかけに、恐る恐るうなずく。ここが日本ではないということは、この気候や景色からして良く分かった。百歩譲ってここが別の世界だというのもオッケーにする。でも前世で私がこの世界にいて、やり残したことがあったから戻ってきたって言われたって、素直にそうですかなんて納得できない。そんな覚えのないもの、どう納得すれば良いのよ。
「それじゃあ、証になるものがあれば納得する?」
 真っ直ぐに私と目を合わせ、たずねてくる。そこに強い意思は感じるのだけれど、その証がなんなのか、彼の考えが読めない。素直に「はい」とは言えなかった。
「証って、何?」
 警戒心をあらわにする。ちょっとの間黙り込んだ飯島君は、そんな私に語りかけるように口を開いた。
「最後のとき、何が起こっているかも知らずにキョエンに帰還すると、そこにははるか昔に破門を受けた一派がいたんだ。西大陸の兵を雇い、彼らの主張する新しい玉を台座に据え、俺達の仲間はあらかた殺されていた。状況を悟った俺達は、まだ幼く、造り手とは認められなかったドゥーレンにチャガンを託すと、反逆者と戦った。少しでも抵抗して、ドゥーレンが逃げ切るまでの時間が欲しかったから。でも、いつかは殺される。
 俺の体力が限界に達して、刀を持つ手がしびれて感覚がなくなったときだよ。ふいに横から兵士が切り込んできたんだ。足がもつれて、避けられなかった。もう駄目だって思った瞬間、目の前に人が飛び込んできて突き飛ばされた。アクタだった」
 反応をうかがうように話を切られてしまったけれど、私が言うべき言葉は見つからない。戸惑うように見つめ返すと、急に口調を変えて飯島君がたずねてきた。
「ねえ、なんで髪の毛伸ばしているの?」
「え?」
 真っ直ぐ私を射て刺してくる、飯島君の瞳。
「何? 突然」
「アクタは、俺の代わりに背中で相手の刀を受け止めた。とっさに抱きしめたけれど、どんどんと体が血で染まっていって。呼びかけても、応えてくれなかった。あれがアクタの最後。アクタは俺をかばって死んだんだ。程なくして、俺も胸を一突きされて死んだから、これが俺とアクタの最後の思い出」
「……それと私の髪の毛と、どう関係があるの?」
 胸騒ぎを隠し、あえてなんでもない風を装って問いかける。でも飯島君は私のそんな態度を気にせずに、言葉を続けた。
「当ててあげるよ。髪の毛を伸ばす訳」
 軽い口調。にこやかな微笑み。まるで昨夜のコンビニで声を掛けられた、あのときと同じノリだ。
「痣があるんだろ? 赤紫で引きつったように、少し盛り上がっている痣。右肩から左の肩甲骨の下にかけて、まるで刀傷みたいなのがあるはずだ。それ、隠したくて伸ばしているんじゃないの?」
「なっ」
 ひゅっと息をのんで立ち上がり、木にもたれかかる。無意識のうち、自分の背中を隠そうとするその行為に気が付き、はっとした。飯島君は小さく笑うと、立ち上がる。
「否定する? でも、これを見れば納得するだろ」
 そうして手早く洋服を脱ぎ、上半身裸になった。姿勢が良く、引き締まった体。その左胸に5センチほどの線状痕が刻まれている。赤紫の、少し肉が盛り上がったようになっている、まるで傷痕のような痣。
「それ……」
 言葉が続かず、口元を手で押さえた。目の前の痣に、見覚えがある。お風呂のときいつも鏡越しに見つめる、自分の背中に刻まれた不気味な印。形や現れている場所こそ違いはあるけれど、あれと同じだ。
「俺は胸を突かれて絶命した。その痕が転生したこの体に残っている。オーロは腹の辺り。エシゲのはさすがに見たことはないけれど、胸に残っているって言っていた。この世界に来て、この傷痕を見て、それでも自分はただ誘拐されただけ、無理やり連れてこられただけだって、主張する?」
 飯島君のきれいな微笑みに、知らずに私の体が震えていた。