遠い記憶

3.鳥の章


その8


「俺の名は、アエスティイ・ウェルカッシウェラウヌス・アルウェルニ」
 この名を、魂に刻み込め。

 狼のように獰猛な目付きの男が、私に向かって語りかける。
 視線を反らすことも出来ず、耳を塞ぐことも出来ずに、するりと心に入る男の声。まるで操られるかのように、私はその名前を繰り返そうとしていた。
「アエスティイ……」
「真子っ!」
 ふいに耳元で叫ぶ声がした。聞きなれた声。それなのに、いつもどこか胸の奥がざわつく思いのする、彼の声。
「拓也?」
 暗闇の中、立ち止まり振り返る。そんな気持ちで彼の名前を口にすると、体にどんという衝撃があった。
 抱きしめられている。
 そう理解するよりも先に、唇に柔らかな感触が重ねられる。次に口の中に何か熱いものが入ってきて、勢いのままにそれを飲み込んだ。
 光りを、飲み込んだんだ。
 まぶしかったわけじゃない。でも感覚はそれを「光り」と認識した。何か大きくて光る強いものが体内に入り込み、驚くほどの速さで隅々まで染み渡り、そして暗闇を蹴散らしてゆく。今まで私を捉えていた男の姿はいつの間に消え、代わりに誰かの頬と耳と髪の毛を見ていた。近すぎて、全体像が収まりきらない。けど、なんで?
 目と鼻と眉も見えていたけれど、焦点がぼやけていたからよく分かっていなかったことに気が付いた。そしてそれが全部拓也のパーツなのにも。そういえばこの人に抱きしめられたんだと、一瞬前の出来事を思い出す。
 そしてようやく現状を理解するその直前、今まで重ねられていた唇がふっと離れた。
「気持ち悪いか? でも、吐くなよ」
「吐く?」
 今度は言葉の意味が分からず、ぼんやりとする。
 唇が離れたってことは今までくっついていたってことで、つまりそれって世間一般で言うところのキスってことで、え。何で突然そんなことになってんだろ。でもって吐くなよって、吐くなよって
「なにーっ?」
 ぼんって感じで一気に顔が赤くなる。反射的に体は逃げようとするけれど、びくりとしただけでそれ以上動かないことに気が付いた。力が出ない。どうしちゃったんだ、私。
「奴の呪術を封印するために、真子に羽根を飲ませたんだ。馴染むまでしばらくかかる。我慢しろよ」
「呪術って?」
「なにか言われただろう? 名前とか、合言葉とか。それを無理やり認識させることで、奴は真子と自分を繋げようとしたんだ」
「名前……」
 つぶやいて、無意識のうちに男の姿を思い出そうとする。あれほどまでに強烈な印象だった姿が、なぜかぼやけた影のようにしか浮かばない。名前は確か
「忘れろ」
 ぐいっと両頬を手で包まれて、無理やり視線を合わせられた。拓也の真剣な瞳が、私を真っ直ぐに見据える。
「ジョエの力で呪術は封印したけれど、奴が真子を知った事実は消せない。だから、自分から奴に接触しようとするな。すぐに気付かれてしまう」
「そう、なの?」
 拓也の言う「接触」が名前を思い出そうとすることすら含んでいるのに、じわりとした怖さを感じた。ようやく自分の身に起きた出来事の重大さを理解する。
 私のそんな様子に気付くと、拓也は手の力を緩めた。そして苦しそうな表情で、私の頬をゆっくりと撫でる。
「ごめん。真子が捕まったのは俺のせいだ。あそこで矢を避け切れなかったから。本当に、ごめん」
 その言葉にはっとして、矢が刺さっていた翼の方、右腕を慌てて見た。
「怪我はっ? 大丈夫なの、拓也?」
「大丈夫。避け切れなかったけれど、ぎりぎりかわすことは出来たから」
 確かにその言葉どおり、右の袖はぼろぼろになっていたけれど、そこから見える腕はかすり傷一つ負っていなかった。
 ってことは、間一髪で拓也は上手く避けたんだ。にもかかわらず、私一人が誤解して触っちゃいけないもの触って、事態をより深刻にさせたってことか。
「私こそ、ごめん拓也」
 泣きそうな気分でそう言ったら、そっと抱きしめ直された。
「謝るな。俺が悪い。真子が向こう見ずな性格だってこと、うっかり忘れていた」
「なによ、それ」
 拓也に合わせて減らず口を叩いてみるけど、腕はぎゅっと彼を抱きしめたままだ。それに応えるよう、まるであやすように私の頭を何度も撫でる拓也の手が心地よい。ついそのまま落ち着いてしまいそうになったけれど、背後からの声で現実に戻った。
「今回のことは、私が至らなかったのが原因です。誠に申し訳ございません」
 慌てて振り返ると、ジョエが深々と額を地面につけ、土下座をしていた。
「なにをしているんですか! 私達を助けてくれたのに」
 慌てて反論をするその言葉を、ジョエは首を振って否定する。
「平静でいなければならなかったのに、エルムダウリの兵の姿に動揺し、一瞬力が増幅してしまいました。あの男は、その気配を察したのです」
 視線を落とし、悔しそうに唇をかみ締めている。そんなジョエに近付きたくて、なんとかにじり寄った。拓也のようには行かないけれど、それでもこの瞬間も、少しずつは回復しているんだ。
「ジョエがいたから、あの軍隊を発見することが出来たんです。それに、あの男の呪術を封印したのはジョエの力ですよね? ありがとうございます。私は大丈夫だから、次にどうすればいいのか考えましょう」
 私の言葉にジョエは小さくため息をつくと、微笑んだ。多分この人は、言われなくても次にどうすれば良いのか、やるべき事を知っている。けれど決断に揺れている、そんな表情。
 そして、そんな彼女の背中を押すように、拓也が静かな口調で問いかける。
「あの荷台、気付きましたか?」
 ジョエの肩がぴくりと動き、それからゆっくりとうなずいた。
「いよいよ、エルムダウリが動き出したのでしょう」
 静かな問い掛けに、静かな答え。
 男の存在に気をとられ、男の呪術に掛かってしまった私はもちろん、荷台に何があったのか分からない。そしてそれが意味するものも。ただ二人の口ぶりから、それが恐れていたもの、起きて欲しくは無いものであることが察せられた。
 西が介入せざるを得ないほど、キョエンの玉の不在は西大陸の気も乱している。
 そう話をしていたのは一月前、ハダクの丘での出発のことだ。
「今回の件により、宗主のシャータがエルムダウリと結託していることが判明しました。ホータンウイリクとしての決断は、ポンボ・イーシィとあなたがすれば良い。ただ、私達はキョエンの玉の造り手として、この件に関してポンボ・イーシィに正式に謁見を申し込みます」
「了解いたしました」
「仲間の元に戻ります。ジョエもイーシィの元へ」
 拓也の言葉にうなずくと、ジョエは私に視線を戻した。その表情に、もう揺らぎは見つからない。
「最後に、確認したいことがあるのです。謁見の間ではなく、シャータ様の自室へ行っていただけますか。場所はナムニ様がご存知のはずです」
 そして立ち上がると、ジョエは一礼をしてすっと消えた。まるで今まで一緒にいたことが夢だったように、当たり前のようにいなくなっている。
「立てる?」
 その言葉に振り返ると、同時に脇から手を入れられてぐいっと上半身を起こされた。
「まだ力入らないと思うけれど、俺たちも急がなくちゃいけないから。飛ぶよ。掴まっていて」
「うん」
 素直に拓也に掴まると、軽く目をつむる。ぐらりと空間が歪んだような感覚がして、移動しているのを肌で感じた。馴染んだ拓也の力にダメージはないけれど、やっぱりまだ感覚がおかしい。過敏に反応しすぎている。

 目を開けると、そこはホータンウイリク宮の軟禁されている宿舎だった。
「真子! 拓也!」
 いきなりの帰還に驚いて、美幸が叫ぶ。彼女の正面には私の人形。よほど暇だったのか、髪の毛が複雑な模様の編み込みにアレンジされている。
 昼寝をしていたのか、ヒコが慌てて起き出した。拓也の人形相手に、お茶を飲みつつ卓上ゲームに興じていたのはジハン。それぞれの様子を見て、妙に嬉しくなって胸が詰まってしまう。たった一日だけなのにどうも私、みんなと離れていたのが寂しかったみたいだ。
「ただいま」
 拓也に掴まったままそう言って手を振ったら、ジハンが急いでこちらに駆け寄った。
「怪我をしているのですかっ? 状況は?」
「エルムダウリの兵を発見した。油断して真子に呪術が掛かったけれど、ホータンウイリクのジョエによりそれは封印されている。ただし今はこの状態だけれど」
「油断して呪術って、おい」
 珍しく顔色を変えたヒコに、慌てて首を振る。
「大丈夫。ちょっと力が入らないだけだから」
「ジョエに、会ったの?」
 こちらも珍しく、大きく目を開いて驚きの表情を見せる美幸に、勢い良くうなずいてみせる。
「ジョエが羽根を貸してくれたから、偵察も出来たんだ。イーシィが言っていた北の場所にエルムダウリの軍隊がいて、荷台で何か運んでいたの。協力していたのは、シャータ。ジョエが確認したいことがあるからって、これからみんなでシャータの部屋に集合したいんだけれど」
「って、真子は行けるの? そんな状態で」
「行ける。大丈夫。ジョエの羽根を飲んだから、呪術は封印されてるし」
 言いながら、すっかりうやむやになっていたその飲まされ方を思い出した。確かに緊急事態だったけど、あれはちょっと刺激が強すぎる。
 大体今だって、私の体を支えるため拓也の腕は腰に回されたままなんだ。さっきからずっと接近し続けているけれど、拓也の態度はいつもと変わらない。拓也にとって、口移しというのはたいしたことじゃないのかな。私にとっては一大事の出来事なんだけど。ものっすごくおおごとなんだけど!
 またもや火照る自分の顔を意識して、邪念を振り払うように息を吐いた。個人的なことで動揺している場合じゃない。今重要なのは、これから起こす行動についてだ。
「心配してくれて、ありがとう。でもこれは自分がやらかしちゃった結果だし、力もね、徐々に入るようになってきている。だから私の回復は待たなくていいから、急ごう。シャータの部屋、ナムニ様が知っているはずってジョエが言っていたから、美幸が誘導して」
「……分かった。それじゃあ急ぎましょう」
 納得したのか呆れたのか、どちらにしろ時間が無いことは分かってくれたようだった。三人はそれ以上口を挟むことなく、私と拓也を囲むように集結する。
「休養はたっぷりと取ったしな。そろそろ動かないと」
 ウォーミングアップのように肩を回してヒコが言った。軟禁されていた反動なのか、妙にやる気に満ちている。でもそれは美幸とジハンにも当てはまること。これから一騒動起こそうとしているのだからそれくらいのテンションは必要なんだけれど、その前にどうしても一つ確かめたいことがあった。
「ところであれ、どうするの?」
 さっきまで美幸とジハンのいた場所に、ぼんやりとした表情で二体の人形が座っている。なまじリアルでなおかつ自分そっくりなので、人形のその後が気になってしまう。
「ああ、あれ?」
 私が目線で指した彼らを一緒に眺め、ヒコはすっと片手を上げた。
 特に何という説明もなく、ただぱちんと指を鳴らす。その途端、二体の人形は姿を消し、二枚の羽根がその後に残った。
「その羽根は拓也と真子で持っていて。イーシィに会った時に返してやれよ」
 鮮やか過ぎるお手並み。やっぱりこの人達って、現役ポンボ職のイーシィと同等の実力持っているんだよね。いや前からなんとなくは思っていたのだけれど。
「真子、シャータの部屋に行けばいいのね」
「あ、うん」
 美幸に問いかけられて、慌てて返事をする。そうだった、ぼんやりしている暇は無い。
「ヒコ、拓也、ジハンは私に付いてきて。真子は私が連れて行く。飛ぶわよ」
「ちょっと待て!」
 慌てたような拓也の声が聞こえた途端、ぐらりと視界がぶれた。
 血の気が引いてゆく。体がどこかに引っ張られるみたい。そして何が起こったのかも十分把握しないうち、目の前の景色が変わっていった。

 石造りの長い廊下。左手にある扉がやたらに大きく重厚なデザインで、この部屋の主の身分がおのずと伺える。そうか。ここが、シャータの部屋の前なんだ。
 そう判断は出来たけれど、そこまで。後はもう自分の体からこれ以上力が抜けないよう、意識を集中させるのがやっとだ。
「え、やだ、真子!」
「大丈夫かっ?」
 そんな声と共にまたもや体を支えられ、ほっとする。
「なんとか……」
「美幸、無茶をさせるな。真子はジョエの羽根を取り込んだ直後なんだ。これ以上新しい気は受け入れられないだろ」
「ごめんなさい。つい自分のペースでやっていたわ」
 美幸が素直に反省の表情を浮かべ、私を見上げた。その滅多に見ない顔と仕草に、逆になんだか申し訳なくなってしまう。大事な場面で、足を引っ張っているのは私の方だ。
「私こそ」
「おい美幸。ここ、本当にシャータの部屋か?」
 ヒコの言葉を受け、扉に視線を動かした。ジハンがびくともしない扉の前で、戸惑うように振りかえる。
「人の気配がしません。長いこと、使われていないようですが」
 一瞬全員で黙り込んだ後、ヒコがゆっくりと美幸に問いかけた。
「美幸の知っているシャータの部屋って、何年前の話?」
 美幸の眉に皺が寄り、直前までの反省モードが一気に不機嫌モードに切り替わる。
「……私がキョエンに行く前だから、二十年前! あの頃シャータは四歳で、ポンボでも宗主でもなけりゃ、結婚もしてないし子供もいませんでした! っていうか、ただの子供だったし。あーもう、ジョエ、相変わらずなんだからーっ!」
「うわ、切れた」
 ヒコの突っ込みに追加して、ジョエのあの天然っぷりを思い出して笑ってしまった。相変わらずってことは、ジョエは昔からあんな感じだったのか。
 つい和んでしまいそうになるけれど、廊下の端から聞える声や走る音にびくりとする。
「衛兵が来たな」
「そりゃあこれだけ騒いでいれば」
 緊張で体が硬くなる。それに応えるよう、私を支える拓也の腕の力がきつくなる。それが心強かった。
 そして、廊下を曲がりこちらに現れたのは、三人の衛兵。今は使われていない部屋ということで、油断をしていたのだろう。私たちの姿にはっとするけれど、その途端、ヒコとジハンから気合声が発せられる。その声にあてられたように彼らが倒れた。すかさず美幸が衛兵達に駆け寄り、額に手を置く。彼らから情報を読取っているんだ。
「シャータの今の部屋は、ここから二階上の東側ね。飛んで行くのが手っ取り早いのだけれど。拓也、真子をお願いしていい?」
 気遣う美幸に引き続き申し訳ないと思いながらも、手を上げる。
「拓也でも、無理。これでまた術使われたら、本気で倒れる。だからみんなは先に行って。場所を教えてくれたら、走っていくから」
「何を無茶なこと言っているんですか!」
 叱り付けるジハンに、心配させないように微笑んでみせた。
「全力疾走は出来ないけれど、ランニングできるくらいは多分回復しているの。みんながシャータの部屋で暴れてくれれば、こっちの警備も手薄になると思うし。だから」
「走れるほどには回復しているのね」
 さえぎる美幸の声に、反射的に彼女を見た。腰に手をあて仁王立ちをしている。その迫力に黙り込む。
「飛んで行くのは、無し。ここから現シャータの部屋まで走っていくから。誘導は、私。ヒコとジハンと拓也は護衛。特に拓也は真子を見ていて」
「鬼だな、美幸」
「うるさい」
「美幸! そんなの、悪い」
「ここで私達が真子を見捨てることが出来るって思われているほうが、悪いわよ。辛くなったらいつでも拓也を頼ること。いい?」
 その言い切りにこれ以上反論が出来ず、困って他の人たちの反応を見る。けれどそれは逆効果だったようだ。ジハンもヒコもここから一歩も動こうとはしない決意で、私を見ていた。
「……ごめんなさい」
 ただ謝ることしか出来ない。何も出来ないどころか、足を引っ張っている自分が悔しい。
「怒るよ」
 耳元から聞こえる声に、顔を上げた。
「呪術に掛かったのも今こんな状態なのも、真子のせいじゃない。俺が悪かったんだって言ったの、忘れてるだろ」
「だって」
 反論しようとした途端、いきなり鼻をつままれた。
「ふぁ、なにっ?」
「頑固者。一人で勝手に背負い込んで、謝ったり遠慮するのはもう禁止だからな。美幸も頼れって言っているんだから、素直に俺に頼れ」
 むっとした顔に、説教口調。けれどその言葉の意図するところはとてつもなく優しくて、耐え切れずにうつむいてしまった。駄目だ。これ以上拓也を見ていたら、別の意味で力が抜けてしまう。
「返事は?」
「……分かった」
 顔を上げられなくて、うつむいたまま返事をする。感じ悪いかなと思ったけれど、くしゃくしゃと頭を撫でられる感触に、ほっとした。
「それじゃあ分かったところで、行くわよ。走れる、真子?」
 かなり強気で作戦を立てたくせに、最後の問い掛けに心配する気持ちがにじんでいる。そんな美幸に応えたくて、拓也から離れ、一人で立って軽く足踏みをした。
 体の力は、大丈夫。さすがに二回目、しかも相手が美幸だと、慣れる速度も速いみたい。とりあえず階段を駆け上がるくらいは出来る気がした。
「いいよ。行こう」
 タイミング良く、どこか遠くから複数の人の気配がした。美幸は元シャータの部屋の扉に手をかけると、小さく鋭い息を吐く。ガツッと音がして扉が開くと、私たちを招き入れた。
「各部屋の奥には、使用人用の通路が隠されているの。とりあえず隠し通路の階段で、上に行くわよ。ただし東とは区画が分かれているから、階段登ったら表廊下に出て、目的の部屋までの直線三百メートルが勝負ね」
「了解」
 扉をきちんと閉めると、隠し通路へと飛び込む。明り取り用の窓から差し込む光りだけが頼りの、薄暗い通路。ごく自然に拓也に手を取られ、そのまま握り締められた。「頼れ」という言葉をそのまま実行させられている。
 ここが暗くて良かった。でなければ、首まで真っ赤になっている自分がすぐにばれてしまう。そんなことを、密かに思う。

 そのまま通路を走り、狭い階段を登ると、すぐ横の扉の前で一旦止まった。表廊下へと通じる扉だ。
「ここからが、勝負です」
 ジハンの言葉に美幸が答える。
「活躍、期待しているから」
 そして勢いよく扉が開かれる。すでに私達が宿舎からいなくなり、城内に潜入したことは知らされていたらしい。廊下には数メートルおきに左右交互に三十名程の衛兵達が配置され、突然現れた私達を一斉に見た。
「遅いんだよ!」
 声と共に、ヒコと美幸が前方に無差別に気を放つ。その攻撃を楯に、衛兵に近付き直接戦うのはジハンと拓也。けれど二人とも、ただ戦っているだけではないようだった。発せられる気合や、一度倒れた相手が確実に気を失っていくことから、術を使っているのが分かる。
 私はただひたすら彼らの邪魔にならないよう、守りに徹して身構えた。というより、それしか出来なかったんだ。力が出ないから、だけじゃない。単純に、初めて巻き込まれる闘争行為の迫力が怖かった。
 そしてなにより自分の体を、心を縛るのは、今朝見た夢。前世の記憶。
「あ……」
 モノクロームで見ていた夢と、今の景色が重なって見える。
 刀や槍、武器を持った兵士達。圧倒的数を前に、素手で対抗するこちら側の人たち。
「真子、俺の後ろへ!」
 私の夢をなぞるように、剣を持った衛兵が駆け寄ってくる。既視感にとらわれる私をかばい、拓也がすかさず前に立った。
 振り下ろされる刀。避けもせず、素手のまま相手の胸元に気を打ち込む拓也。次の瞬間、衛兵の体は吹き飛ばされる。けれど腕の長さと刀身の分だけ、その刃は彼の正面をかすめていった。
「サイムジン!」
 たまらず叫ぶのと刀が宙を切って落ちてゆくのが、ほぼ同時だった。
 音を立てて転がる剣。拓也がゆっくり振り向いて、声も出さずにつぶやく。
 アクタ?
 唇が、そう問いかけていた。今、私、無意識のうちに拓也のことをサイムジンと呼んでいたんだ。
 混乱のまま拓也を見つめ返すけれど、視界の端に衛兵の姿を捉え、我に返る。
「右の扉、気を付けて!」
 その言葉に、拓也も態勢を整えた。今すぐ来ようとする衛兵を待ち構える。
 けれど突然相手の体がびくりと震え、動きが止まった。
「剣を収めなさい。このホータンウイリク宮での流血を、許したおぼえはありません」
 背後からの声に慌てて振り向く。従者達を引き連れ先頭に立つのはイーシィ。そのすぐ後ろで、ジョエが目を伏せて控えていた。