- JELLING-ST 1 -
Tørrild hd. Vejle a.
DR41

Transliteration
Side A : kurmR : kunukR :
| : k[ar]þi : kubl : þusi :
| : a(ft) : þurui : kunu
Side B : : sina : tanmarkaR : but:


ゴルム王はこれらの墓碑をデンマークのbod(優雅)の妻のチューラの思い出にたてた。

ゴルム王が
この記念碑を立てた
妻のチューラの思い出に
彼のデンマークのbod(優雅)

- JELLING-ST 2 -
Tørrild hd. Vejle a.
DR42

Transliteration
Side A : haraltr : kunukR : baþ : kaurua | kubl : þausi : aft : kurm faþur sin | auk aft | þurui : muþur : sina : sa | haraltr [:] ias : sR・uan・tanmaurK
Side B : ala・auk・nuruiak
Side C : ・auk・tani[・] (karþi) [・] kristn


ハラルド王がゴルム、彼の父、の思い出に、そしてチューラ、彼の母、の思い出にこの記念碑を建立するように命じた。彼ハラルドは彼自身でデンマーク全土、そしてノルウェイを勝ち取り、デーン人らをキリスト教徒にした。
ハラルド王が刻んだ
墓碑を、ゴルム父王の記念に
そして母チューリの記念に
ハラルドはデンマークを手中にした
全て そしてノルウェイ
そしてデンマークをキリスト教化した。
特にヴァイキング時代のルーン石碑の役割に「宣言」というものがある。相続を正当なものにするために故人のために石碑を立て、立てた者(相続者)を誰かを知らしめるものとしてルーン石碑が使われるようになった。この石碑も「デンマークがハラルドによって統一されたこと」、「デンマークがキリスト教国」になったことを宣言するものである。デンマークの誕生を宣言するものである。
ハラルド青歯王がキリスト教に改宗した理由の話で有名なのは、教会からの使者ポポがヴァイキングの試練を受け、それを成し遂げたことで王が改宗したというものである。ヴァイキングの試練とは焼けた鉄を手に取り、火傷をしなければ正当であるとみなされるものである。
ハラルドが改宗した実際の理由は隣国ドイツの圧力であった。ドイツ皇帝オットーはダネビアケを欲し、実行しようとしていた。外交上の理由から改宗をし、それを宣言する必要があったのである。

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