オーディンの娘

第二章  流転


その四

 ヘルギ達一行が帰ってきたのをシグルーンが知ったのは、夕方のことだった。
 先ず、ハマルが屋敷に戻ってきたのだが、彼を真っ先に迎えたのがシグルーンだった。
 広間の壁掛けが、何かに引っかかったまま傾いて歪んでいる。それを直そうとシグルーンが手を伸ばしたときに、ちょうどハマルが入ってきたのだった。
「早かったのね。風の向きが良かったの?」 
 横幅があるためなかなか定まらないその位置を、少しずつずらしてゆく。普段のハマルならそんな彼女の様子を見た途端にすぐに近寄って手伝うはずだが、彼は戸口に立ったまま、平坦な口調でただ用件のみを言うだけだった。
「ヘルギからの伝言を預かってきました。重大発表があるので、即刻男達をこの屋敷に集めるようにとのことです。」
 よほど急いできたのか、ハマルの息は弾んでいる。そんな彼の様子に、シグルーンは何かただならぬ出来事が起こったことを感じた。
「ヘルギは、今……どこです。」
 彼女の顔から笑みが去り、伸ばした手がそのまま止まる。
「先ほど岸に着き、今はこちらに向かっている最中です。俺は荷を他の者に任せ、先にこの伝言を持って帰ってきました。」
「シンフィエトリは?彼は、一緒なの?」
 せっかく直そうと思って触れたはずの壁掛けなのに、さらに斜めに傾いでしまう。だが、シグルーンはもはやそんなことも気にせずに、ハマルを食い入るように見つめた。
「シンフィエトリは……、」
 ハマルは彼女の瞳をそらすと、言いよどむ。その態度にシグルーンは、ヘルギがあれほどまでに危惧していた最悪の事態が起こったことを知った。
「シンフィエトリは、殺されたのね。」
 彼女の言葉に、ハマルの体がぴくりと震える。その瞬間、シグルーンの心に言い様のない鈍い痛みが広がった。
「なぜ、……なぜ彼はむざむざと殺されなければならなかったのです。誰か彼を庇う者はいなかったのですか。あなた方はシンフィエトリが殺されるのを、ただ指をくわえて眺めていたのですか!」
 今まで二人に構わず広間で立ち働いていた召使達が、彼女の次第に強くなる口調に気が付き静まり返る。ぴんと張り詰められた空気。だがその時間は短く、シグルーンの発した言葉の意味が理解できた途端、緊張は打ち破られた。
「何が起こったんだ。シンフィエトリはどうなったんだ!」
 シンフィエトリの身に起こった事を知ろうと、人々が一斉に口を開き、ハマルに詰め寄る。混乱の始まり。だがそれは、すぐに収まりがついてしまった。開け放たれた戸口から、二人の男が勢いよく入り込んできたからだ。
 いつになく口の重いハマルを捨て、広間にいる人間はみなその二人の下に集まる。その二人も話したがらぬ様子で互いに目配せをし、見ている者をみな苛立たせたが、最終的にそのうちの一人グンスローが短く事実を伝えた。
「彼は、毒殺された。剣なら俺たちも戦うことが出来た。だが、毒薬では、どうしようもない。ふさぎ様が無かったんだ。」
「そんな、でも、」
 納得いかず問い詰めようとするシグルーンの目に、正装した出で立ちの夫がゆっくりとやって来るのが映った。
「もう、いいんだ。シグルーン。」
 無表情な顔つきに、疲労だけが色濃くにじむ。そんなヘルギを見て、シグルーンは気が付いた。
 真っ向から斬りかかるのではなく、毒殺という策略で、武勇で名高い男を殺した相手。夫の昔の恋人が生んだ息子を疎み、その息子に自分の弟を殺された、気の強い女。シンフィエトリに直接手を下したのは、ヘルギの母親以外にありえない。
 だからこそ、何も出来ないのだ。
 シンフィエトリは、この屋敷にとって無くてはならない存在だった。シグルーンにとっても、家族の一員だった。しかしだからといって、彼を殺したヘルギの母をただ闇雲に責め立てるのは、事態の混乱を招くばかりだ。ヴォルスング一族の内乱は、一族の長でありヘルギ、シンフィエトリ達の父でもある、シグムンド王に任せるしかない。
 シグルーンはきつく唇をかみ締めると、目を伏せた。
「招集をかけるよう、使いの者を手配いたします。」
「……そうしてくれ。」
 ヘルギの声を合図として、一度止まっていた召使達の動きがまた再開された。シグルーンは足早に広間から去っていく。
 シンフィエトリを失った悲しみは、ヘルギの方が大きいのだろう。そう分かっていても、シグルーンは大勢のいる広間にとどまる事は出来なかった。胸が苦しかった。泣きたい気持ちと争いに対する不快感が一緒になって、とにかく早く外の空気を吸いたかった。
「シグルーン様っ。」
 井戸の側に座り込むと、人目も気にせずただ嘔吐する。たまたま近くで働いていたハールが駆け付けて、慌てて背中をさすってくれたのが気持ち良かった。
「大丈夫ですか?!姫様っ。」
 油断をすると、ハールは未だに奥様と姫様を間違える。
 そんなどうでも良いことをぼんやりと思いながら、シグルーンは自分でも気がつかぬうちに彼女の腕を掴み、こう繰り返していた。
「シンフィエトリが亡くなったの。何でなの?何で人の命には限りがあるの?なんで……。」
 なぜか涙は出なかった。
 シンフィエトリを失った痛みを、泣くことで癒す。そんな単純な方法で、すべてを終わらせてしまいたくなかった。彼の理不尽な死に方に、怒りの気持ちが強かったのかもしれない。
 突然の出来事に戸惑いながら、ハールはそんな彼女をただひたすら優しく介抱し続けていた。


 あまり顔色の良くないシグルーンが、広間の正面ベンチに着席する。それと同時に、今夜の宴は始まった。今日の主役はこの領地の主、ヘルギではない。シンフィエトリを偲ぶものとして、開かれたのだ。
 さすがに最初のうちこそしんみりとしていたが、酒が回るに連れ、人々の口も回るようになる。話題もシンフィエトリの勇猛果敢な戦いぶりから、自分が立てた手柄などに変わっていき、しまいにはいつもの酒宴と変わらなくなっていた。
 だが、その方が良い。
 回ってきた大皿の肉に手を出さず、隣に差し出しながら、シグルーンはそう思う。
 暗い雰囲気が何よりも嫌いだったシンフィエトリの事だ。きっと今頃はオーディンの館ヴァルハルで、他の戦死者相手に宴に興じていることだろう。まるでこの屋敷にいるのと変わらずに。
 そう思うことで、ようやく気持ちの落ち着いてきた彼女の横で、ヘルギが皆に聞かせるように大きく咳をした。
「宴も佳境に入ってきたことだ。そろそろ俺も話をしようと思う。良いか、諸君。」
 立ち上がり、そう言う声に、この場にいる全ての者が口をつぐむ。
 シグルーンは目を伏せた。先ほどこの広間で会って以来、夫とは話をしていない。
「フラクランドの館へ赴き、シンフィエトリの不幸な出来事に遭遇した後、俺は父、シグムンド王と会談した。」
 皆に向かってそう言いながら、ヘルギはさりげなくシグルーンの手に触れた。触れられた彼女のほうは、ぴくりとする。
 夫と口をきいていないのは、怒っているからでは無い。ただ単に機会を逃してしまっていたからだ。
 シグルーンはむしろ、話し合いたかった。兄であり、親友でもあったシンフィエトリ亡き後、ヘルギはどうするつもりなのか。知りたいこと、聞きたいこと、そして話したいことも沢山有る。ヘルギはそれを分かっていて、合図のために触れたのだ。
「会談の内容は、今後の一族についてだ。……ヴォルスング一族の王、シグムンドの長男シンフィエトリにはその気が無く、以前から王の跡を継ぐのは俺と決まっていた。故に今回のシンフィエトリの死によって、変わる状況など何も無い。王が死ぬか、俺に譲る意思があれば、俺がその国を継ぐだけだ。」
 淡々とした口調のヘルギ。聴衆も目新しい話ではないせいか、特に口をはさむ様子も無く黙ってそれを聞いている。
「だが、今回の事件によって気落ちしたとはいえ、王はまだまだ健在で、譲位の意思のかけらも無い。俺も正直言って、父の土地など興味も無かったしな。いつか貰えるものなら、それまで放って置けば良いと考えていた。」
 そんな暢気な言葉に、あちこちから笑いが漏れる。ヘルギはそれを聞き流すと、ふいに不敵な笑みを浮かべ、ここにいる全ての者を見回した。
「だが、それにも飽きた。」
 その一言で、広間の空気がぴんと張り詰める。
「戦を、……仕掛けるのか?」
 ごくりと生唾を飲み込んで、ハマルが尋ねた。
 だが、ヘルギはそんな反応を楽しむように口元を引き上げると、にっこりと無邪気な笑顔に変わる。
「言っただろう。親父の土地など興味が無いとな。俺の領地はどのくらいある?一つの国として聞こし召すくらいの広さは、あるんじゃないのか?」
 予想もしなかったその言葉に呆気に取られ、しんと静まり返っていた広間の、空気だけがざわめいた。
「ヘルギ、今、一体何を……。」
 今日彼が帰ってきてから初めて、その顔をまじまじと見つめる。ヘルギはそんなシグルーンに微笑んで見せると、すぐに正面を見渡した。
「話は単純だ。シグムンド王には宣言をしておいた。今日からこの地、ブラールンドは一つの国として独立する。俺は以後この国の王と名乗り、シグルーン、お前は王妃だ。」
 そう言いながらシグルーンを立ち上がらせると、ヘルギは彼女を抱きしめる。その光景にこの場にいる全ての者は沸き立ち、乾杯が始まった。
「ヘルギ……?」
 抱きしめて、彼女の肩に顔を埋めたまま動かないヘルギに気が付いて、シグルーンが呼びかける。
「……俺は、あいつの死を、防ぐことは出来なかった。」
 一気に華やぐ場の中で、今までとは打って変わった低い声で、ヘルギが小さく呟いた。
「え?」
「母の気性は良く知っていた。何か事を起こすであろう事も、予想がついた。それなのに、結局シンフィエトリは俺たちの目の前で死んだんだ。」
 悔やんでも、悔やみきれない程の悔恨と悲しみ。シグルーンには、それが痛いほど感じられた。
「いつか、……いつか私達が亡くなって、ヴァルハルでシンフィエトリに再会したら、これが私達の国なのよって、自慢しましょう。」
 今度はシグルーンがヘルギの肩に顔を埋めると、そうささやいた。
「私達は私達の国を造るんでしょう?シンフィエトリに自慢出来る位に、立派な国を。」
 その言葉にゆっくりと顔を上げると、ヘルギは目を細めて彼女を見つめる。
「……ああ、そうだな。そうだったな。」
「王よ。新しい国を祝して、乾杯をしてください!さあ、早く!」
 ヘルギの顔に、ようやく強がりではない普段の笑顔が戻った時、周りの声がそう促した。ヘルギはシグルーンを抱きしめていた腕を外すと、角杯を手に持ち高く掲げる。
「それでは、余の国ブラールンドが永久に栄え、オーディンの加護が続くことを願い、ここに乾杯する。乾杯!」
「乾杯!」
 こうして人々の、シンフィエトリを失った悲しみを癒すため、新しい国を祝うため、宴は夜更けまで続いていった。


「シンフィエトリの話を、まだしていなかったな。」
 宴会をようやく終わらせて二人が部屋に戻ってから、暖炉に薪をくべてヘルギが言った。
「聞かせて頂戴。」
 暖炉の前に敷いてある毛皮の上に膝を抱えて座り込み、炎を見つめてシグルーンが答える。
「俺達が館に着いたその日、シンフィエトリは賠償を家畜で払い、母はそれを受け取り、宴会が行われた。母は始終機嫌が良く、酒を注いで回っていた。あんなに上機嫌の母は久しぶりだった。」
 立ったまま話し始めたヘルギだったが、そこで母の笑顔を思い出したのか、言葉がふと途絶えしばらく沈黙が続く。シグルーンは敢えて先を促さず、炎を見つめるだけだ。
「母の勧めもあり、あの時はいつもにも増して酒の量が多く、酔いの回るのが早かった。男達は皆、酔っていた。」
 しばらくすると、唐突にヘルギは話を再開する。一つ一つの場面を思い出すのか、ひどくゆっくりとした口調だが、しかし普段の彼とは違い決して言葉を端折らない。自分の見た光景を忠実に、妻に語ろうと努力している。
「宴も終わりに近づいた頃、母が一つの角杯を持って来たんだ。その杯には、麦酒がなみなみと注がれていた。母は楽しそうにその杯をシンフィエトリに手渡したが、シンフィエトリはその中身を見つめて、こう言った。この酒は濁っている。親父はそれを聞くと、シンフィエトリから杯を取って飲み干した。」
「その時、あなたのお母様は?」
「代わりに人に飲んでもらうのか?と、シンフィエトリに聞いていた。俺たちはそんなやり取りを見て、ただ笑っていた。……迂闊だったんだ。」
「じゃあ、その酒に……。」
 彼は、毒殺された。
 短い言葉だったが、それでも何かを耐えるような、そんな感情が垣間見えるようだった従者グンスローの台詞を思い出す。
 剣なら俺たちも戦うことが出来た。だが、毒薬では、どうしようもない。ふさぎ様が無かったんだ。
「親父の、シグムンド王の体に毒は効かない。そして俺も、ハームンドも。ヴォルスングの男で毒に耐性の無いのは、シンフィエトリだけだ。二度目に杯を手渡された時、シンフィエトリはこの酒は不吉だと言った。だが、親父は深く考えもせずに、またもや杯を取って飲み干した。そして三度目。」
 ヘルギはここで言葉を切ると、小さくため息をついてから目を瞑る。
「母はシンフィエトリに、ヴォルスング家の男ならこれを飲めと言って差し出した。だが奴は、酒の中に毒蛇がいるといって拒否をした。すでに酔っ払いしかいないあの席で、このシンフィエトリの言葉はひどく滑稽に聞こえた。広間のあちこちで失笑が沸いた。親父はこの何度も繰り返される光景に、いい加減苛立ち始めていたらしい。シンフィエトリの方を向くと大きな声で、そんなもの髭で越して飲めばよい、と叫んだんだ。」
 ヘルギはゆっくりと目を開けると、そのまま目の前の暖炉を睨み付けた。
「シンフィエトリは諦めたように肩をすくめると、ためらいも無くあっさりとその杯を飲み切った。次の瞬間、口元が歪み、胸元を掻き抱きながら床に崩れた。一瞬の出来事だった。その間、母はずっと微笑んでいた。……あの人は、笑いながら人を殺せる種類の人間だったんだ。」
 深い、深いため息。
 そのため息がシンフィエトリと自分の母親、そのどちらに向かって発せられたものなのか、多分ヘルギ本人にも判断はつかないであろう。シグルーンはヘルギの話を聞きながら、繰り返しシンフィエトリの姿を思い出していた。
 ヘルギにとっても大切な兄であったかもしれないが、彼女にとってもかけがえの無い、大切な人だった。一族を裏切ることによって得た自分の居場所を、ヘルギとの愛情とは違う友愛でもって確かなものにしてくれた。シンフィエトリに話し掛けられる度に、笑い掛けてくれる度に、シグルーンには自分がここに居ていいのだと言われているようで、嬉しかった。彼のさりげない優しさが好きだった。秋になればシンフィエトリは帰って来るのだと思っていた。
 なのに最早、シンフィエトリの姿を屋敷で見ることは決して無い。
 「親父は倒れて息の無いシンフィエトリを抱え揚げると、館の混乱などまるきり無視してそのまま森を抜け、岸まで当ても無く彷徨っていた。そこで一人の男に出会うと、フィヨルドの先まで船に乗せてやろうと言われたそうだ。だが、その男の船にシンフィエトリを乗せた途端、船も男も掻き消えた。」
「……オーディン?」
「多分な。」
 黒いマントを羽織り、帽子を目深に被った大柄な老人が、シンフィエトリを乗せて小船を漕いでいる姿をシグルーンは簡単に想像できた。やはりオーディンも、シンフィエトリの死を悼んだのだろうか。
「手ぶらで戻ってきた親父は、さっそく母を国から追い出した。当分はあの館で伴侶のいないまま、過ごすのだろう。」
 そう言いながら、ようやくヘルギも隣に座り込む。
「母は肉親の復讐をするために、親父の連れ子を毒殺した。だが、俺や親父はこの憤りを何処にぶつければ良いんだろうな。」
 ぽつりとそうつぶやくと、暖炉の中に小枝を一本投げ入れる。
「母を殺すわけには行かない。あんな母でも、俺にとってはシンフィエトリと同じくらい大切なんだ。」
 シグルーンは言葉を続けるヘルギの肩を、無言で抱く。こんな時に、慰めの言葉は不要だ。
 しばらく続く沈黙。そしてまた、ヘルギが話し始める。だが、その口調は今までのものとは違う、改まったものだった。
「シグルーン、俺は、新しい国を造っていきたいんだ。ヴォルスングのヘルギではなく、セヴァフィヨルのシグルーンでもなく、ただのヘルギとシグルーンが造る国。一族の血の繋がりは生きていく上で必要なものだが、俺は家のしがらみに、これ以上縛られたくない。」
 言いたい事をすべて言い切ると、ヘルギはそこで黙り込んだ。今までずっと黙っていたシグルーンだが、彼の話の終わったことを知るとゆっくりと彼の肩から手を離し、また膝を抱えて座り直す。
「今日ね、シンフィエトリが亡くなったのを知った時、思わず取り乱してハールに向かって聞いていたの。何で人の命に限りがあるの、って。」
 そこで言葉を切ると、彼女はゆっくりと彼の瞳を覗き込んだ。
「そうしたら、去る命があるからこそ、やって来る命もあるのですよ、と言われたの。」
 その言葉で初めてヘルギが身じろいだ。
「シグルーン、」
「多分私達、来年の春には家族が一人増えているわ。」
 様子を窺うような、シグルーンの表情。ヘルギはそんな彼女をじっくりと見つめると、次の瞬間ぎゅっと抱きしめる。
「有難う。俺にとって、これ以上の慰めは無い。」
 力を込めているのだが、それでいてガラス細工を扱うように、細心の注意を払っている抱きしめ方。
 そうされながらも、シグルーンはまだヘルギに寄りかかろうとはせずに、ためらうように目を伏せて、言葉を続ける。
「それでね、もし生まれてくる子が男の子だったら、」
「ヘグニ、と名付けないか?」
 引き継いで言ったヘルギの台詞に、シグルーンは驚いて顔を上げた。
「お前の父親の名前だ。」
 そう言って、ヘルギが今までのシグルーンの窺うような表情をわざと真似する。
 シグルーンは目を見開いてヘルギを見つめると、不意に大きく笑い出して彼を抱きしめ返した。
「シンフィエトリにも、報告したかったわね。」
 笑いながら言ったのに、小さく声が震えていた。
「大丈夫だ。あいつのことだから、今頃ヴァルハルで他の勇者達と共に祝杯を揚げてくれている。」
 悲しみを抑え、わざとのんびりとした口調のヘルギに、シグルーンは頬を寄せてうなずいてみせる。
「ええ、そうね。きっと、そうね。」
 その言葉は、自分に言い聞かせるというよりも、ヘルギを安心させるものだった。
 ヘルギもそんな彼女の思いやりを理解して、それ以上何も言わずに彼女の胸に顔を埋める。
 すでに秋風は冬の訪れを予感させるものとなっていたが、暖炉の前で寄り添う二人には、柔らかな暖かさが満ちていた。

 二度目の秋は、こうして過ぎていった。


-第二章 終わり-