その3


 戦いは、早朝から行われた。
 客としてガウトランドの港へついたヴォルスング一行ではあったが、娘の忠告により武装をして上陸をし、敵を向かい入れる準備をしていた。一方、シッゲイルも夜半に妻が屋敷を抜け出し、父の元へ向かったことは把握をしていた。いまさら体面を取り繕う必要は無い。三月を掛けて準備を進めていた軍を総動員し、シッゲイルはヴォルスングを攻め立てた。
 戦力の差による、圧倒的な勝利。シッゲイルはそれを目指していたが、目論見は外れた。さすが軍神オーディンの末裔だけに、ヴォルスングをはじめ年端のいかぬ彼の息子たちまでもが果敢な抵抗を示し、八度もシッゲイル軍の戦列を突破したのだ。戦場となった平野には、死屍が累々と横たわっていた。
 だが、勝負もやがて決着がつく。時間が経つにつれ、数や装備に劣るヴォルスング軍は疲れを見せ始めた。少しずつ追い詰められ、攻め立てられてゆく軍勢。幾度突破をしてもその度立て直してくるシッゲイルの軍列に、九度目の突破を計る。だがその最中、とうとうヴォルスングが刃に仆れた。
 そこからは、あっという間だった。今まで、ヴォルスングを守るために力を尽くしていた側近達も次々と倒れ、息子達は全て捕まえられた。

「ご兄弟方の処分が決まりました。明日にも死刑だそうです」
 唯一のシグニイの従者が、情報をもたらした。顔を伏せ、彼女と目を合わせず報告をする。その肩が震えていた。
従者もかつてはヴォルスングの盾の囲い、親衛隊として名を馳せていた男だった。いつかの戦で足の腱をやられ、戦士として働くことができなくなったのだ。戦場で死ぬことが叶わなくなったと嘆く男を、ヴォルスングは娘の従者に任命した。そんな彼の、口には決して出そうとしない無念さを、シグニイは良く理解していた。
 だが、肉親をむざむざと殺される分、彼女の気持ちのほうが勝っている。
「シッゲイル王よ、お願いがあります」
 彼女の存在を無視し、勝利の宴を開いている屋敷の広間に一人乗り込むと、シグニイは夫であるシッゲイル王に詰め寄った。
「明日の処刑を止めていただきたいのです」
「命乞いか、我が后よ」
 鼻で笑い、シッゲイルが酒をあおる。広間には、このやり取りを嘲笑する雰囲気が満ちていた。
「滅ぼす目的で攻めた敵を、最後の最後で生かすなど出来ると考えておるのか。余はよほど甘い男と思われているのだな」
「王はすでに欲しいものを得ております」
 シグニイは彼が片手で抱えたままの剣、シグムンドの名剣グラニを視線で指し示した。
「すでに宝は王のもの。これ以上、余計な血は流さなくても良いのではないのですか」
「余計ではないだろう? 自分が切り捨てた敵の息子たちだ。自ら蒔いた復讐の種を、刈り取らない者などいない。明日は処刑をする。お前もよく見ておくんだな」
「ならば、……ならばせめて、一斉に処刑するのだけは止めてください」
 たまらずにそう叫ぶと、シッゲイルの眉がぴくりと上がった。
「一斉にやらなければ、どうしろというのだ」
 面白がる表情。シグニイはこぶしを強く握りしめる。これから自分が言うことが、正しい選択であるか自信は無い。だが意を決すると、毅然とした態度で願いを口にした。
「手枷と足掛けを嵌めたまま、放置を。目は長く見られるだけ幸せと、諺にあります。それ以上のことはもう、お願いしません」
 一瞬の沈黙の後、シッゲイルの笑い声が広間に響く。
「正気か、シグニイ。自分の兄弟に、殺されるよりもっと悪い不幸を望むというのか。だが、面白い。面白い余興だ。お前の望むとおりの事をしてやろう。彼らは一瞬にして処刑されるのではなく、じわじわと長い時間を掛け、苦しみながら死んでゆくのだ」
 王の言葉に広間はざわつき、ひそやかな笑い声がそこかしこから洩れた。王妃の愚かな懇願を嘲る笑い。だが例え愚かといわれようとも、シグニイとその兄弟たちには時間が必要だった。生き延びるため、窮地を脱するための時間が。

 翌日、早速ヴォルスングの十人の遺児たちは森に連行され、大きな手枷と足枷を嵌められた。人気の無い場所ではあったが、常に監視が付いており、不穏な動きが無いか見張られていた。そして監視は同じく、シグニイにも付けられていた。決して彼女が兄弟たちを助けるための措置を講じないよう、部屋に軟禁され、周囲とは隔絶されたのだ。ただし日に一度だけ、従者が森の様子を彼女に報告することだけは許されていた。
「シガル様が殺されました」
 拘束が始まった翌日、言葉少なく報告をする従者の声に、シグニイは弾かれたように体を震わせた。シガルは兄弟の中で一番末の、まだ幼児だった。
「なぜ、どのようにしてっ」
「狼に喰いちぎられたのです」
「狼……?」
 信じられないものを見るかのように、従者を見つめる。
「夜半に年老いた狼が一頭やって来て、十人の匂いを嗅ぎ、散々脅かした後、嬲るようにシガル様を喰い殺したそうです。あたりは血の海となり、酷い惨状でした」
 普段は必要以上にはものを語らぬ従者が、珍しく情景を語っている。それだけに現場はさぞかし凄惨なのだろう。だが、彼のもたらした情報はそれだけではない。重大な真実がそこにはあった。
「母后の、仕業ですね」
「おそらくは」
 例え繋がれてはいても、十人という人間の数は決して少なくは無い。そんな数をものともせず、単身乗り込み嬲り殺しにする野生の狼などいるはずも無い。本来、狼というものは群れて行動をするものだ。
 部屋にこもり、必要な時にしか人前に姿を現そうとしない母后。魔法を操り、夜な夜な狼に変身をし、森を徘徊するのだと噂されていた。弟を殺した犯人が誰だかは、明白だった。
「狼は今夜も、来る」
 そしてまた一夜に一人、喰い殺すのだろう。
 それが分かっておきながら、シグニイにはどうすることも出来なかった。彼女自身、軟禁されている身だ。枷を外す道具を兄弟たちに与えることも、武器を準備することも出来ないでいる。
「私は、無力だ」
 悔しさに胸が詰まる。どうにかしたいと焦るばかりで、どうしたら良いのかいくら考えても案が浮かばない。
 じりじりと時間は過ぎ、一日一日と日は経った。その間、弟たちは一人、また一人と殺されていった。
 そして十日目。
 森にはヴォルスング一族の最後の男子となったシグムンドだけが、残されていた。