二人の会話

第二部  二人の距離


その二

 結局お祭りの打ち合わせは、翌日の金曜日に学校でした。明日だけど、ってごく自然に小林君から話しかけてきて、焦った私はなんだか「はい」しか言わなかった様な気がする。でも早速クラスの、しかも普段はあんまり話さない女の子から聞かれてしまった。
「宮崎さん、小林君と付き合ってるの?」
「え? いや、よく、分からない……」
 付き合っているって現在進行形で聞かれると、返答に困ってしまう。とりあえずのお祭りをクリアしていないわけだし。それにまだ、小林君とゆっくり話をしたわけでもないんだし。真由美は完全にこの成り行きを横で見て楽しむことに決めているらしく、帰り際に頑張れーって手を振ってくれた。

 で、土曜日。
 待ち合わせは夕方五時に神社の前のバス停だったけれど、一応それより五分早く着くようにした。
 街灯には神社や商店街の名前が書かれた提灯がぶら下がっていて、遠くからでもお囃子が聞こえてくる。境内におさまりきらなかった屋台がはみ出したように通り沿いにぽつりぽつりと出店していて、人の流れを混乱させていた。 さすがにこの人の量では神社で待ち合わせなんてしなくて正解だったけれど、バス停っていうのも条件変わらなかったかも。
 少し不安になりながら待ち合わせ場所に急いだら、すでに小林君が待っていた。
「ごめん。待った?」
「大丈夫。俺が早く来すぎただけだから」
 そう言うと、小林君は私に向かって笑いかけた。
「本当に来てくれたんだなって思って見てた」
 その言葉に、ぼんって音がするかと思うくらい一気に顔が火照ってしまう。こういう時って、なんて返せばいいんだろう。
「あの、えーっと、今日はよろしくね」
 結局、どう反応したらよいのか分からなくてそう言った。
「うん。行こうか」
 小林君はあっさりとうなずくと、神社へと向かう人の流れの中へ歩き出す。私ははぐれないように注意しながら、その後を歩いていった。

 境内の中に入るとさらに人口密度が増したようで、人の流れがゆっくりになる。参道の両端に軒を連ねる屋台を眺めながら、小林君はいろんな話をしてくれた。例えば、関東では「大阪焼き」という名前で売られている大判型お好み焼きが、関西では「東京焼き」と言う名前で売られているとか。金魚すくいのコツは尻尾からすくうんじゃなくて頭を狙うんだとか。
 小林君は毎日教室で見る時よりも、こうして話してくれる今のほうが雰囲気が柔らかい。別に普段もとっつきにくいわけではないし、いつも男の子同士でふざけあっている人ではあるんだけれど、なんだろう、そういうのとはまた別な感じ。私服のせいもあるのかな。普段は制服しか見ないせいか、ただのジーンズとTシャツなのにそれが新鮮だ。やっぱり元が良いからかも。
 並んで歩けず人に押されたり横に入られたりしていたけど、逆にそのときがチャンスとばかりに小林君の後姿を見つめていた。さすがに一緒に歩いているときに、横顔を見つめることは恥ずかしくて出来ない。でも背中にすっかり安心していたら、急にその本人がくるりと振り向いた。
「宮崎さんのそのスカートさ、面白いよね。」
「これ?」
 油断していたんでうろたえてしまう。今まで熱く屋台について語っていただけに、話題の切り替えにも付いていけてなかった。
 でも、このスカートの話だったら良いかな。
 緊張を緩めるために、息を吐く。今日の一番悩みの種だった洋服選びだったけれど、結局は無難なところでスカートにTシャツで落ち着いた。確かに無難な線ではあるけれど、このスカートは素材がガーゼで可愛いんだ。今一番のお気に入り。
「柔らかくって、気持ち良さそう。宮崎さんのイメージに合っている。優しい感じでさ」
「私?」
 びっくりして聞き返してしまった。優しいイメージ。私が。初めて聞くかもしれない、そのイメージ。
「うん。教室でさ、俺達男子が馬鹿やっていても、宮崎さんいつも笑って見ていただろ? なんかあの笑顔が良いなって思ってたんだ。で、告白してみた」
 そう言って、へへっと笑う。まさかこのタイミングで私の聞きたかった話をしてくれると思わなかった。
 小林君は自分の話がどれだけ私に影響を与えるのか分かっていなかったらしい。急に真っ赤になって何も言えなくなる私を見て、ちょっと驚いたような顔をした。
「宮崎さん、すげー」
「あれ? あずさ」
 人ごみの中、ふいに聞きなれた声がして我に返った。
「カズ兄っ」
 気が付くと、すぐ目の前に半纏に股引き姿の和弘お兄ちゃんがいた。
「え? なんでここに?」
 思い切りうろたえてそうつぶやくと、私の反応が心外だったのか、和弘お兄ちゃんの顔がいかにも傷つきましたといった悲しそうなものになる。
「ここにって、ちょうど神輿担ぎ終えたんだよ。ユキもいるよ。で、あずさは誰と来たんだ?」
 小学生くらいの子に尋ねる口調。今年二十五歳のはずなのに、和弘お兄ちゃんは時々うちのお父さんよりも保護者っぽくなる時がある。そしてこの代理父は、私の横に立つ小林君を見ておおっと小さくつぶやいた。反応がもうすっかりおじさんだよ、カズ兄。
 わざわざ紹介するのも変なので黙り込んでいたら、もう一人の見慣れた人間がやってきた。
「お。あずさ、いいところにいた。お祭り用の赤飯炊いたから、後で店によっていけよ。家に電話したのに、おばさん出ないしさ。奈緒子ちゃんは今日はバイトか?」
 うわー、なんでこんなよりにもよって小林君といるところに出くわしちゃうんだろう。
 私の隣の存在に気が付かず、それこそ突撃晩ご飯話を振ってくる良幸お兄ちゃん。もちろんこちらも和弘お兄ちゃんと同じく、半纏に股引き姿。ちなみに半纏には町名が染め抜かれていて、二人というか町内会でおそろになっている。
「そういえばトシも友達と待ち合わせて来るって言っていたけど、あずさも一緒だったのか」
「ユキ、違うよ」
 困ったように二人を見ていたら、和弘お兄ちゃんがそっとフォローを入れてくれた。
「違うって、え? うわっ」
 そこでようやく気が付いたみたいで、ユキ兄が盛大に驚いてくれた。こっちは今年二十三歳のはずなのに、リアクションが学生ノリだ。
「あー……。ごめんな、邪魔しちゃって」
「じゃ、またな。あずさ。気を付けて帰るんだぞ」
「うん」
 慌てたように去ってゆく二人に手を振って、思わず小さくため息をついてしまった。
「……親戚?」
 隣で戸惑ったように聞いてくる声に、ついびくついてしまう。
「まあ、そんなようなものというか……」
 年に一度も会えば良いような親戚よりも、はるかに交流は深いとは思う。思うけど、説明をどうやってすればいいんだろう。
 答えあぐねていると、今度は小林君を呼ぶ声が聞こえてきた。
「圭吾! お前、なにしてるんだよ」
 屋台と屋台の切れ目から、その呼び声は聞こえていた。
「勝久か。なにしてるって、見ればわかるだろ?」
 友達の姿を見つけると、小林君がそちらに向かって進んでいく。私も慌てて後を追うと、参道の流れから屋台後ろの空き地へと出た。
「やだ、あずさじゃない」
 空き地には七、八人という結構な数の人影がいて、明るい場所から急に暗い場所にやってきた私には、一瞬誰から呼ばれたのかが分からなかった。
「真由美っ?」
 確か女子バスケ部の子達と一緒に行くって言っていたのに。と思ってからはっとした。
 小林君が勝久って呼んでいるのは、佐々木勝久君のことだよね。彼はバスケ部だったはずだから、これはもしかして……。
 なんとなく次に起こる出来事が想像できて、私は顔を引きつらせた。
 目の前には真由美。あと女の子は同じくバスケ部の久美ちゃんに遠藤さん、そしてバスケ部じゃなかったはずだけど遠藤さんと一緒に来たのかな、の谷口さん。で、男子はすぐ隣で小林君と話している佐々木君。そして高野君、槌田君、岸本君に、
「俊成君……」
 三年生バスケ部員のメンバーとして、しっかりこの集団の中にいる俊成君を見て、思わず視線をさまよわせた。
 ああもう、この三兄弟はーっ。
 倉沢家三兄弟の末っ子は、微妙に驚いたような顔をしてこちらをながめていた。
 倉沢家には息子が三人。長男が和弘で次男が良幸。そして三番目が俊成君。上の二人は実の弟もさることながら、その弟の幼馴染もまるで実の妹のように可愛がってくれていた。自分達の事を「カズ兄」「ユキ兄」と呼ばせるほどに。弟と幼馴染が疎遠のときも、変わらずにずっと。
 って、小林君に説明しなきゃまずいんだろうか、私。
「あのー、宮崎さん?」
 初めての男の子とのお付き合いに倉沢三兄弟総出演という展開が付いてきて、私はかなり動揺していた。どこか遠くから聞こえる小林君の声にはっとして辺りを見回すと、みんなが私を見ていることに気が付いた。
「え? あれ?」
「聞いていなかったでしょ」
 苦笑交じりで真由美が繰り返し説明をしてくれる。
「私達さ、もう屋台も一通り見たし、そろそろ暗くなってきたから肝試ししようよって言ってたの。ちょうど良いところに小林君とあずさが来たからついでにどうかと思って。」
 みんなにも聞こえるようにそう説明すると、真由美はこっそりと私を肘でつついてにやりと笑った。
「どうだった、縁日?」
「もう焦りっぱなし。楽しむ余裕なんてないよー」
 こそこそとそこまでを話すと、一般的な会話に戻る。
「で、肝試しって? どこでやるの?」
 この質問には遠藤さんが答えてくれた。
「お隣の祥竜寺で墓地を一周。って思ったんだけど、墓地の門に鍵掛かってるの。だから手前の本堂のとこの庭園を一周。お囃子とか聞こえるし、街灯も明るいからそんなに怖くないし。お手軽でしょ?」
 確かにその程度なら、面白そうだしやってもいいかなと思えた。けど相手あってのことなので、うかがうように隣の小林君をのぞき見る。
「俺、やりたい」
 すでにすっかりその気になっている小林君が、私に向かってきっぱりと言い切った。
「うん」
 うなずいて、遠藤さんに向き直る。
「じゃあ決定ね。一応男女で組むけど、男子の方が一人多いからそこは三人にして」
 どうやらこの企画は遠藤さんが立てたらしい。彼女のまとめであっという間に男女が組み分けられる。そして実際の手はずは佐々木君の仕事らしく、私達は彼の案内で神社の裏側と隣接しているお寺の庭園にこっそりと忍び込んだ。