二人の会話

第二部  二人の距離


その三

 九月になったとはいえ残暑は厳しく、日が沈むのもまだゆっくりしている。夜の七時をそろそろ過ぎようとしていたはずなのに、空の色は夕闇というよりも藍色だ。かすかに流れてくる太鼓と笛の音をバックに、私達合計十一名はお寺の敷地でひそひそと話を続けていた。
「……まず最初の組は、私と槌田君。次は久美ともっちーね。真由美は勝久と高野っちの三人で行くから、えーっと、四組目が宮崎さんと小林君。で、ラストが香織ちゃんと倉沢君ってことで」
 遠藤さんの結果発表に続いて佐々木君の注意が入る。
「ここさ、結構住職がうるさいんだよ。騒ぐと一発でばれるから、おどかしは無しな」
「墓地にも入らない、おどかしも無しって、肝試しといえんのか?」
 高野君のもっともな突込みがはいったけれど、それは遠藤さんのからかいの言葉で不発に終わってしまった。
「なに高野っち? 真由美と二人じゃなくて勝久もいるからふてくされてんの?」
 高野君が慌てて反論しようとしている隙に、遠藤さんは槌田君と一緒に出発してしまう。その二人の自然な動作とか親密そうな雰囲気から、遠藤さんと槌田君は付き合っているのかな、ってなんとなく思った。組み分けもじゃんけんとかじゃなく、遠藤さんがささっと決めちゃったし。当たり前のように私と小林君が組みになっているし。
 非バスケ部員の谷口さんは友達の遠藤さんに置いていかれる形となって、それでもにっこり笑って手を振っていた。

 しかし、俊成君。

 集団の後ろの方、明かりが届かない位置で立っている俊成君をちらりと目で確認した。やっぱり表情までは分からない。
 和弘お兄ちゃんが「おおっ」で、良幸お兄ちゃんが「うわっ」。
 俊成君は私と小林君を見て、どう思ったんだろう。さすがに派手なリアクションはしてなかったけど、一応は驚いたような表情していた気がするし。

 妙に落ち着かなくなって、私は地面の砂利を足先で引っ掻きだした。

 やっぱりきちんと俊成君には報告した方がいいのかな。小林君と付き合うことにしたって、宣言するとか。でも、俊成君に報告って、それもなんか変だよね。幼馴染だからっていちいち報告する義務は無いわけなんだし。なのに焦っちゃっているのって、やっぱり初回に限って出会ってしまったからだと思うんだけど。というかさ、初回って、宣言って、つまり私は今後も小林君と付き合うことにしたって事だよね? 今夜のお祭りだけじゃなくって、今後も続けていくって考えているんだよね。それで、それでいいんだよね。

 自分に突っ込みを入れていたら、どんどんと心拍数が上がってきた。
 駄目だ。私今日一日だけで、かなり心臓とか血管を鍛えている気がする。

「宮崎さん」
「あ、はい」
「もう俺達の番。行くよ」
 気が付くと人がへり、残るのは私と小林君、そして俊成君と谷口さんの二組だけだった。ああ、真由美が行っちゃったの気が付かなかった。
 小林君は自分の腕時計を見つめ軽くうなずくと、俊成君に手を上げて合図すると歩き出す。私もその後に続いたら、上げた手をそのまま私の元へ差し出し、手を握られた。
「暗いから」
 反射的にびくりとすると、小林君が短く説明する。瞳が、笑っていない。思いもかけないその真面目な表情に気おされて、私は素直にうなずいた。
 なんだろう。さっきまでの二人きりで屋台を見ていたときとはまた違う雰囲気だ。
「……宮崎さんさ、倉沢とは親しいの?」
 庭園の中、手をつないで歩いていたら、小林君がぽつりと聞いてきた。
「え? なんで?」
「倉沢のこと、下の名前で呼んでいた。それにさっきの人たち、倉沢の兄貴達なんだろ? トシと一緒か、って聞いていた」
 ちゃんと聞いていたんだ、小林君。しかもなんか機嫌悪くなっちゃっているみたいだし。
「家、近いんだ。私と倉沢。だから家族を良く知っているの」
 ここまで説明した後に、念のためフォローを入れておく。
「でもクラスは一度も一緒になったことは無いんだよ」
 言った直後に気が付いた。これってフォローになるんだろうか。
 つないだ手の先を目で追って小林君の横顔を見つめたら、急に彼が立ち止まり、私の事をじっと見つめ返した。
「宮崎さん、俺」
 やけに緊迫した空気と、小林君のあらたまった口調にどきどきする。
「俺」
「好きなの。倉沢君のことが」
 耳を澄ませていたせいかはっきりと聞こえる声に、私と小林君は直前の雰囲気も忘れ思わず顔を見合わせてしまった。
「……あそこにいる」
 ついつい小声になる小林君。私なんて声も出ないで、その指された方向をのぞき見るだけだ。
 しめされた場所はお寺の由来が掘り込まれた、石碑の前だった。一段高くなっている石碑の土台。そこに俊成君と谷口さんが立っている。すぐ横の街灯に照らされて、まるでドラマの一場面を見ているみたいだった。
「今日、エンちゃんと一緒にお祭り来て、倉沢君たちと合流できて、それで告白するって決心したの」
 最大限の勇気を振り絞ってますといわんばかりの谷口さんに、ぴくりともしない俊成君。……あれ、固まっちゃっている。
 一見すると俊成君は落ち着いて見えた。でもそれはただ単に、とっさの行動パターンにバリエーションが少ないからなんだ。私から見ると、俊成君は突然の展開にかなり焦っている。
「ずっと倉沢君のこと、いいなって思ってたの。他に好きな子がいなかったら、私と付き合ってくれる?」
 そうか。俊成君に告白かぁ。
 なんだか自然に笑みが浮かんできてしまう。
 俊成君、どうするつもりなんだろう。受けるのかな。
 隠しようもない好奇心を抱え、耳をそばだてていたら、ふいに遠くから妙に騒々しい気配が伝わってきた。なんだろう。誰かの怒鳴り声っぽいんだけど。って、
「やべっ! 住職に見つかった。逃げろ!」
 別の方向から佐々木君の声がする。
「うわっ!」
 誰かの焦った声と、ガツッという物音が聞こえた。あれは、俊成君?
「宮崎さん、早く!」
「うんっ」
 確かめる間もなく手をとられて、私は小林君と一緒に走り出した。

 まるでかくれんぼをするようにこっそりと神社の裏手に逃げ込むと、そこで立ち止まり息を整えた。他の人たちの姿は見えない。
「はぐれちゃったね」
「大丈夫だよ。つかまるような距離でもなかったし」
 立ち止まり、落ち着いたはずなのに、小林君は私とつないだ手を離そうとしない。この手を離すタイミングを計りかね、私は困って小林君を見た。
「さっきの続き。俺、宮崎さんのこと好きだから」
 行き詰るような緊張感とか、さあ言うぞといわんばかりの雰囲気とか。
 そんなさっきと違って、小林君は淡々と言った。でも、瞳はやっぱり真剣で、手は相変わらず離される気配もない。
「今日だけじゃなくて、これからも付き合ってくれる?」
 しばらく続く沈黙。
 次は私が何か言わなくちゃいけない番だと分かっていたのに、なかなか口を開くことが出来ない。
「あ……」
 ようやく口を開いたら、なんだかかすれて変な声が出てしまった。
 いいよね、私。OKしちゃっても、構わないよね。
 自分に問いかけながら決心して、小さく答える。
「……はい」
 けれど小林君は確認するように、「うん?」と首をかしげるだけ。今の、聞こえなかったのかな。
「あの、よろしくお願い、します」
 まともに顔を見ることが出来ず、目線を落としてそこまで言う。すると、つながれた手にきゅっと力を感じた。
「あのさ、あずさって呼んでいい?」
「え?」
「そのかわり、俺のこと名前で呼んでよ」
 彼の声が本当に嬉しそうで、私は小さく深呼吸をすると顔を上げ瞳を見つめた。
「圭吾君?」
 途端にちょっと顔が曇る。
「君はいらない。名前だけ」
「……圭吾」
 どきどきしながら呼びかけると、満足そうな笑みが彼の顔に広がった。
 本当に、きれいな顔立ちしているなぁ。
 照れるのも忘れ、つい圭吾の顔をうっとりと見つめてしまった。
 この人の、こんな表情を独り占めしていいのかな?
 まだ「付き合う」ということが実感できないでいて、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 その後は夜道は危ないからと主張する圭吾におされ、家の近くまで送ってもらって帰ってきた。神社は中学校の近くにあって、まんま通学路。日々通う道のりをこうして女の子として送ってもらえて、気恥ずかしい反面、素直に嬉しい。
 けど、せっかく幸せな気分で帰ってきた家は真っ暗。寂しく留守番していたコロがじゃれついてくるのを適当にあしらいながらテーブルを見たら、お母さんの置手紙があった。
 
 お父さんと一緒に縁日見てきます。夕飯はレンジの中です。

 私がお祭り行くって言ったら、いいなーってお母さんつぶやいていたんだよね。お父さん、お母さんに引きずられたな。
 なんとなくお母さんの行動に予想がついて、納得した。ふと横目で電話を見ると、留守電が入っている。
「倉沢です。携帯忘れちゃった? 良幸がお赤飯作ったんで店に取りにきて下さい。では」
 俊成君のおばさんからだった。電話機の横に置かれている充電器を慌てて見たら、お母さんの携帯電話がささったままになっていた。またやっちゃったか、あの母は。
 時刻を見てみると、八時半すぎ。奈緒子お姉ちゃんはたぶんバイトだから、そろそろお腹空かせて帰ってくるはず。レンジの中のおかずをながめつつ、やっぱり普通のご飯よりもお赤飯が食べたいなと思った。
「コロ、散歩行く?」
 サンポ、の響きにコロがワンッと吠える。
 散歩しながら『くら澤』によって、お赤飯を貰ってこよう。
 決心すると、コロをつれて家を出た。


 普段は住宅街ということもあって、夜の八時も過ぎてしまえば通りに人気がなくなる。でもさすがに今日はお祭りだから、神社からは距離があるというのに街灯の提灯は途絶えることなく、まばらに人ともすれ違って、なんとなく浮き立つ気持ちが残っていた。

 俺、宮崎さんのこと好きだから。

 ふいにさっきの言葉を思い出し、しだいに口元がにんまりと上がってゆく。
 なんだか体中がふわふわしている感じだ。月曜日、学校行って彼の顔見たら、一気に照れて真っ赤になってしまいそう。
「どうしよう、コロ。にやけちゃうよー」
 感情の高まりに耐え切れなくなって、道端でコロの体中をわしわしと撫で回した。コロはなんだかよく分からないような表情を浮かべていたけど、とりあえず転がってお腹を見せてされるがままになっている。
「変なヤツ」
 ふいに頭上から声がして振り仰ぐと、そこに俊成君が立っていた。うわ。タイミング悪っ。
「別にいいじゃん。飼い主とペットのコミュニケーションだよ」
 変なところを見られてしまった照れくささから、わざとぶっきらぼうに言ってみた。されるがままだったコロはがばりと立ち上がると、弾みをつけて俊成君に向かって駆けて行く。初めての出会いは最悪だったくせに、今ではすっかり大の仲良しだ。俊成君もかがみ込むと、片手でコロの体を撫ではじめた。
「それなに?」
 もう片方の手で持っている容器を目で指して、聞いてみた。
「赤飯。あずん家にもって行けってユキ兄ちゃんから」
「やった! ありがとう。」
 素直に嬉しさを表して微笑んだら、俊成君がちょっと呆れたような顔をして立ち上がった。
「え? 帰っちゃうの?」
 反射的にたずねたら、逆に意外な事を言われたといった表情で、聞き返される。
「赤飯あるだろ?」
 ってことは、我が家まで持っていってくれるってことか。
「ついでにコロの散歩付き合ってね」
 すかさず私が声をかけると、俊成君は黙ったまま、こちらが立ち上がり歩き出すのを待ってくれた。散歩にも付き合ってくれるらしい。
 並んでゆっくり歩き始めると、私は一つ気になっていた事を聞いてみた。
「今年のお赤飯、ユキ兄ちゃんが作ったの? おばあちゃんは?」
 倉沢家の二人のお兄ちゃん達はすでにもう学校を卒業し、それぞれの道を歩んでいた。和弘お兄ちゃんは普通のサラリーマン。良幸お兄ちゃんは家業を継ぐべく、現在ホテルのコックとして修行中の身。だからユキ兄ちゃんがお赤飯を作るのは別に不思議というわけでもない。でも例年こういうお祝い事に台所に立つのはおばあちゃんと決まっていたはずなんだ。
 嫌な感じがしての問いかけだったけれど、その予想は当たっていたらしい。
「一昨日からまた入院しているんだ。今度はちょっと長くなりそう」
「じゃあ、俊成君のご飯は?」
「作り置きとか店で食べるとか」
 ああ、だから『くら澤』からお赤飯持って帰ってきたんだ。
 納得しながらも、なんだか暗い気持ちになってしまった。
「おばあちゃん、元気になってほしいな」
 お父さんの田舎も遠く、お母さんの親戚も縁遠い我が家にとって、普通に「おばあちゃん」といってまず浮かぶのは倉沢のおばあちゃんだった。年をとれば体も弱々しくなるのは自然なことかもしれないけれど、でもまだおばあちゃんには元気でいてほしいと心から思う。
「ばあちゃんには、あずがそう言っていたって伝えておくよ」
「うん」
 その後は、しばらく無言で歩いていた。提灯の赤い光は点るのに、お囃子の聞こえない静かな住宅街。二人とも何も話さないけれど、それがなんだか心地よい。
 そういえば、俊成君といるときってあんまり私もしゃべらないな。
 そんな事をぼんやりと思ってから、はっとした。普段のことはどうでも良いとして、今日はお互いに話すことあるんじゃないの?
「ね、俊成君は谷口さんと付き合うことにしたの?」
「え?」
 前置きも無しの私の問いかけに驚いたようで、俊成君が言葉に詰まってしまった。
「あ、ごめん。さっきの谷口さんの告白、聞こえちゃって」
 軽い口調で説明したら、俊成君はあからさまにむっとしたような顔をした。
「聞いていたんだ」
「でも、あんなところで誰からも知られずになんて、それはムリだよ。多分、佐々木君達も聞いていたと思うし」
 私の言い訳に、俊成君は困ったように息を吐く。駄目なのかな? 嫌なのかな? 谷口さんのこと。
「俺のことより、あずはどうなんだよ。小林のこと」
「え?」
 今度は私の言葉が詰まる番だった。でも、すぐに口元に力が入らなくなってしまって表情がにやけたように崩れてゆく。
 なんだか、今の私は無敵だった。酔っ払っている状態といってもいいかもしれない。
「とりあえず、このまま続けていきたいなって思ってるよ」
 あえて冷静になろうとし、でもやっぱり失敗して舞い上がってしまった私の宣言。俊成君はそれに対して気のない返事をしただけだった。
「ふうん」
 そしてまた続く沈黙。
 さすがにこれには居心地の悪さを感じて、横に並ぶ俊成君をじっと見上げた。
 バスケ部のせいなのかな。俊成君はこの三年間で急に大きくなってしまった。手足が伸びて、頭とか胴体がそれに追いつけないような成長の仕方。でもそんな感想を持つのは私だけのようで、大抵の女の子は俊成君の見た目を好意的に評していた。谷口さんは遠藤さんの友達だから、バスケの試合とかの俊成君を見たのかも。試合のときの俊成君は、辛口批評の私でもちょっと格好いいなって思うもん。
「決めた」
 とりとめもなく俊成君と谷口さんについて考えていたら、当の本人が短く言った。
「谷口と、付き合う」
「今、決めたの?」
 ちょっと驚いて聞いてしまった。今の沈黙って、そのためのものだったのか。
「考えていたんだ。でも、別にそれでもいいかと思ったから」
「それでもいい……?」
 告白されて付き合うのに、「それでもいい」って相手に随分失礼な言葉だと思うんだけど。
 けれど俊成君は一人納得したようにうなずいて、もうこの件に関して話をする気はないようだった。

 まあ、いいか。

 私も今まで横向きだった視線を正面に戻し、コロをつないでいるリードを持ち直す。
 俊成君に彼女が出来たからといって、二人の間で何が変わるというわけでもないんだし。
 気楽にそう考えると、私は夜空を見上げた。
 さすがにこのくらいの時間になると先ほどまでのどこか日を残した藍色ではなく、夜の闇が空を覆っている。いろんな出来事にぐるぐるとしてしまうような一日だったけれど、その夜の闇を見ていくうちに、ようやく自分の心が落ち着いてくるのを感じていた。