二人の会話

第二部  二人の距離


その四

 私と圭吾が付き合うことになったというニュースはあっという間に広がり、そして定着した。なんだか世間的には「とりあえず」のお祭りに行った時点で、付き合いは始まっていたらしい。
「でもさ、お祭りで告白されて返事するまで、色々と考えたんだよ」
 そんなあっさりと決めたわけではないことを主張したくて、お昼休みにぼやいてしまう。
 お祭りから二ヶ月。つまりは圭吾と付き合い始めてまる二ヶ月。気が付いたらもう十一月に入っていて、学校でも受験がらみの話題が多くのぼっている。そんな中、友達同士でするテレビの話や恋愛相談は、いつにも増して盛り上がりを見せていた。
「結局付き合っているんだもん。別に同じなんじゃない?」
 苦笑しながら返す真由美。
 うーん、そうか。同じなのか。
 やっぱりちょっと納得いかないで口をとがらせた。
 お祭りだけで終わりって可能性だってあったのにな。
 実際にそんなことを自分が出来たかは疑問だけど、意地になって考えてみた。
「そんなことより、どうよ? 小林君」
 けれど真由美にとっては私の意地はどうでも良いことだったらしく、好奇心をあらわに自分の興味をぶつけてくる。その表情に私の頬は火照ってしまい、とっさに目を反らしてしまった。
「とても、いい人だよ。……優しいし」
「うっわー、のろけて来たか」
「真由美ちゃん、からかわないでよぉ」
 耐え切れずに机に突っ伏した。
 確かに二ヶ月たったけれど、まだまだこういうことに慣れない自分がいるんだ。圭吾のことを人に聞かれればその瞬間に真っ赤になってしまうし、圭吾について語ろうとすると、うまくまとまらなくなって何も言えなくなる。お陰で最初は興味津々でたずねてきた友達も、そのうち真由美以外は何も聞いてこなくなった。真由美はそんなみんなを代表しているんだとかで、時々こうやって攻めてくる。
「彼氏の話するのって、難しいね」
 ため息ついてつぶやいたら、真由美に思い切り笑われてしまった。
「普通はもうちょっとはじけてたり、舞い上がったりとかするもんじゃないの? のろけ話が難しいって、初めて聞いたよ」
「もう自分がいっぱいいっぱいで、他の人に話して聞かすなんて出来ないよ。圭吾と一緒に帰るのだって、ようやく慣れてきたところだし」
 自然に内緒話をするように声が小さくなって、そうなりながらこっそり話題の人を目で追った。圭吾は教室の真ん中で、なにかの話で盛り上がっている。
 九月の終わり、三年生のサッカー部員は引退した。だからなのかな。日々、いかにもエネルギー有り余ってますって感じ。机の上に腰掛けて、大きく足を振り上げて話している。あの動きだと、昨日テレビでやっていたサッカーの試合の話かな。あまり詳しいこと分からないけれど、最後のところで逆転して勝ったんだよね。
 なんだか圭吾の様子が楽しそうで、見ている私も嬉しくなる。ついうっかり見とれてしまったら、その視線に気付いたように圭吾は一瞬動きを止めて私をじっと見つめていた。そして他の人に気が付かれないように、小さく手を振ってくる。
「うわ。教室の真ん中で。やるー」
 私よりも一緒に見ていた真由美の方があせった声でつぶやいた。そして肝心の私はといえば、声も出ないで真っ赤になって、ぎくしゃくと手を振り返すだけだ。
「……なんかね、こういう時ってどうしていいか分からなくなって、むやみにどきどきしちゃうんだ」
 圭吾の視線が外されて、他の子たちとの会話に戻ったのを確認してから、私は真由美に言った。
「行動が派手だよね。分かりやすいっていうのか。だからこそ、あずさが助かっている部分ってあるんだけど」
「助かっている?」
 分からなくて聞き返す。私、今困っているって話していたんじゃなかったっけ?
「だってほら、小林君っていったら憧れのサッカー部のキャプテンよ。彼を狙っていた女の子が何人いたと思う? 彼の気を引くために日々努力を重ねていた子が、小林君に彼女が出来たからって、それであっさり納得する?」
「え? あー、確かに」
 そう言えばそうだよねなんて、なんだか遠い世界の話のように聞いてしまった。彼の気を引くために日々努力かぁ。確かにそういうの、私には無かったな。
「普通ね、こういうときに嫌味の一つとかいじめの一つとかあずさの身に降りかかるはずなのよ」
「いじめ? 私が?」
 遠い世界の出来事が、一気に怖い話になって迫ってきた。
「でも、平和でしょ? あずさ」
「平和というか……、今言われるまで気が付かなかったけど」
 こくこくと私がうなずくと、真由美は人差し指を左右に振って、芝居がかった口調で説明を続けた。
「平和の原因は、あの小林君の分かりやすい態度だよ。あれ見れば、どう考えても小林君のほうがあずさに入れあげているもん。明らかに小林君が押せ押せで、あずさ引き気味って感じでしょ」
「ええっ、引き気味?」
 それって私が圭吾にってこと?
 毎日心臓を鍛えるがごとくどきどきしたり赤くなったりしているのに、これのどこが引いた態度に見えるのか分からなくて驚いてしまった。
「確かに私が押しているかって聞かれたらそれは違うと思うけど、でも圭吾のこと嫌がっているように見える?」
「そうじゃなくて、んー」
 真由美はどう説明してよいか分からないといった表情で考え込むと、芝居がかった口調をゆっくりとしたものに変えた。
「ひたすら相手のペースに巻き込まれている感じ、かな。はたで見ていて、ああ小林君、あずさのこと押し切ったんだなって分かるというか」
「押し切る……」
「意地悪な見方すればさ、あずさがわざと引いた感じに見せて、小林君を前面にたたせているんだって考える事だってできるじゃない? でも、あの心底入れあげちゃった表情の小林君見ちゃうと、誰も何も言えなくなるよね。彼に憧れていたり好きだったりしていた子達もあきらめる気になるっていうか。それがあずさが平和でいられる理由よ」
「そうなんだ」
 嫌味とかいじめとかの危機感が無かったせいか、真由美に説明されたというのにただぼんやりとうなずくことしか出来なかった。私が圭吾の何気ないしぐさとか行動のひとつひとつにただあたふたしているのって、平和だから出来ていることなんだろうか。
「まあ、あずさが巻き込まれているのも、その割にのほほんとしているのも、どれもこれも小林君が原因って事で。……それよりさ、この間の数学の小テスト、あれどうだった?」
 真由美の話題はあっという間に変わっていき、私達は浮き立った気分から一気に地下に潜るような気分になった。でも、テスト自体は地下ではなくて、地上の世界の出来事か。受験生って、やだなぁ。


 ちょっと沈みこんだ気分が浮上したのは、放課後のことだった。
「お昼休み、なんの話だったの?」
 帰り道、さっきの出来事を思い出して圭吾に聞いてみる。
「サッカー。昨日やっていただろ? 日本代表の試合」
「やっぱりサッカーだったんだ」
 あまりにも分かりやすい予想だったことが楽しくて、くすくすと笑ってしまった。圭吾はサッカーの話を振られたのが嬉しいらしく、ぱっと顔を輝かせて昨日の試合の解説を始める。
 私達のデートは毎日のこの帰り道。圭吾が月水金曜日、私が火木曜日とお互いの塾の日にちがばらばらで、だから放課後いつまでも一緒にはいられない。圭吾の家は学校を挟んで私とは正反対の方向にあったけれど、毎回うちの近所の公園まで送ってくれた。高校生くらいになればもっと週末に会ったりとかいろんなことが出来るんだろうけれど、中学生のお付き合いはこのくらいが精一杯だ。
「そうだ。今週末、地元の球技場でサッカーの試合があるんだ。ああいうのってやっぱり実際の試合見ないと面白くないし、テレビじゃ分からないことってあるから、あずさも行こうぜ」
 いい事を思いついたという表情で、圭吾が誘った。
「週末って、土曜日?」
「うん。土曜日の十三時に始まるから、その前には会場入りして」
 私は頭の中で予定を思い浮かべながら、うなずいた。
「夕方までに帰れるなら大丈夫だよ」
「なにかあるのか?」
「お父さんのね、誕生日」
「へぇ。祝うんだ」
 驚いたように圭吾がつぶやいて、私はつい苦笑してしまった。
「うちの伝統行事なの。昔は家族一人一人きちんと毎回やっていたんだけど、いつの間にかお父さんのときだけみんなでご飯食べに行くってなってね」
 そういえばこの話し、真由美にもしたら驚かれたな。お父さんの誕生日なんて、祝ったこと無いって。ここ最近、お父さんと口もきいていないとも言っていた。
「普段そんなに話しているつもり無いんだけど、仲いいのかな。うちの家族」
 世間の基準がよく分からなくて、素朴な疑問を口にした。でもこの手の話を同年代の、特に男の子にしても、きちんとした答えが帰ってくるはずも無い。
「どうなんだろうな。とりあえず、うちは何もしないけど。で、どこか行くんだ?」
「うん。っていっても『くら澤』だけど。ホテルのディナーとかって訳じゃないよ」
「倉沢?」
 聞き返されて、あれ? って思った。同じ発音のはずなのに、ニュアンスが違うみたいだ。
 でもすぐにその原因がわかって納得した。『くら澤』で通じるのは同じ小学校出身だったり、商店街のお店を良く知っている子達限定だった。つい、圭吾も知っているつもりで話したけれど、いきなりお店の名前を言っても普通は分からないよね。
「くらさわっていっても、お店のほうね。駅前の商店街にある洋食屋さん」
「じゃあ一組の倉沢とは?」
 引き続き質問してくる圭吾の声が、心もち硬い。
「倉沢のおうちがやっているけど……」
 雰囲気が急に冷えてきたようで、私は不安になって圭吾を見つめた。
「止めなよ」
「え?」
「別に行くことないだろ? 親の誕生日に夕食会なんて」
「そんな……」
 思いもかけないことを言われて、困ってしまった。なんで突然そんなこと言い出すんだろう。
「家族で誕生会って、やっぱり変?」
「変ではないけど」
 そこで言葉を区切ると、圭吾はこちらをちらりと見て短く言った。
「俺が嫌」
「え?」
 意味が分からず聞き返す。けど圭吾はそれ以上を言おうとはせず、目線を落として静かに深くため息をついた。
「圭吾」
「ごめん。今のは流して。とりあえずサッカーは行こう。待ち合わせの時間とか決めなきゃな」
 普通に話をしようとするのだけれど、言葉の端はしに苛立ちがうかがえる。今までがなごやかだった分どうしてよいか分からなくて、自然に私の受け答えも固くなってしまった。『くら澤』に行くって、それだけでこんな雰囲気になってしまうなんて、……どうしよう。


「ねぇ、お母さん」
 その日の夕飯時、私はそっとお母さんに声をかけた。
 今日は私が塾で奈緒子お姉ちゃんがアルバイト。帰りの遅い娘達を待たずにお母さんは先にご飯を食べ終えて、お茶を飲みながらテレビを見ている。
「今度の土曜日の事なんだけど」
「『くら澤』? お父さんが6時くらいに行こうかって言っていたわよ」
 お母さんは新聞のテレビ欄をチェックして、リモコンを押してゆく。
「あ、お母さん、この時間はドラマ始まっちゃうからそれ駄目」
 一緒にご飯を食べていたお姉ちゃんが、すかさずお母さんに反対した。
「えー、こっちの方が面白そうじゃない。」
「駄目だって。毎週観てるんだもん。お母さんだって好きでしょ? この俳優」
「あのさ、今回は『くら澤』じゃなくて別のお店にするっていうのはどうかな?」
 その瞬間、動作が止まり、二人は一斉に私を見つめた。
「『くら澤』じゃなかったら、どこにするのよ?」
「えーっと、ほら、最近オープンした『いずみ亭』。なんかあそこ良くない?」
 お姉ちゃんの問いかけに一生懸命考えて答えるけれど、聞いた本人は無反応で、リビングに放り出されたままの自分のカバンから何かを探し出してきていた。コロがそんなお姉ちゃんの行動に反応し、尻尾を振って後をつける。
「ちょっと、お姉ちゃん」
「あった。ほら、これ」
 ぽんと放り出されて慌てて受け止める。ブルーのリボンで可愛くラッピングされたクッキーの袋。でもこのクッキー、妙にごつごつとかたいんですけど。
「なに? これ」
 思い切り不審な表情で袋を見つめた。いつの間にコロが近寄って、自分にも見せろと前足で私を引っ掻く。
「今流行のオーガニック・クッキー。有機農法で栽培された小麦で作られた、素朴な味が人気」
「素朴ねぇ」
 だからこんなごついのかな?
 納得しかかった途端に、お姉ちゃんがにやりと笑った。
「の、お犬様用」
「お犬様?」
「家族みんなで祝う食事会なのに、コロだけ行けないでしょ? だから買ってきたの。あずさも行けないって言うんなら、それコロと半分こしても良いわよ。ねー、コロ」
 そういいながらお姉ちゃんはコロを撫で回し、コロは嬉しそうに一声吠えた。
「お姉ちゃん!」
 そのあまりに遠まわしな嫌味にむっとして私が叫ぶと、今度はお母さんが静かにさとしてきた。
「お父さん、『くら澤』のビーフシチュー好きだから、お店をかえることは出来ないわよ」
「うー、駄目かな、やっぱり」
「お父さんの誕生会だからね。お父さんの好きなお店でなくちゃ意味無いでしょ。最近我が家の娘達も年頃のせいか、滅多にお父さんと出かけることも無くなったし、かわいそうなのよ。年に一回くらいは付き合ってあげてちょうだい」
 自分のいない間にこんなこと言われているお父さん。っていうのも十分かわいそうだと思うので、余計に反論できずに黙ってしまった。
「さてと。じゃあお母さんは先にお風呂はいるから。食器はちゃんと洗ってね」
 本当にドラマを観る気は無かったらしく、お母さんは立ち上がるとリビングから出ていった。後に残された私とお姉ちゃんは、とりあえずテレビを見ながら食事を続ける。
「『くら澤』に行きたくないって、原因は圭吾でしょ?」
「……お姉ちゃんまで圭吾って言わないでよ」
 ちょっとふてくされて抗議したら、面白そうに笑われてしまった。
「彼女の幼馴染に嫉妬か。可愛いなぁ」
「やっぱり、嫉妬なの?」
「ほかに『くら澤』になにかあるの?」
「……無いと、思う」
 お茶碗を置いて、ため息をつく。
「俊成君なんて、関係ないのに」
「ずいぶん冷たいこと言うね、この妹は」
 その言葉にお姉ちゃんの顔を見上げると、やっぱりまだ面白そうに笑っていた。
 あきらかに妹の恋愛をネタに楽しんでいる。それが分かっているのにな。気が付くと私はお姉ちゃんに向かって愚痴りだしていた。
「なんで、気にするんだろうね。付き合っている相手の幼馴染なんてさ、この世の中にいくらでもいるよね。しかもあっちだって彼女持ちだよ」
「好きだから、気になるんでしょ。好かれている証拠だよ。いいじゃない、こういうのが恋愛の醍醐味なのよ」
 いかにも無責任な発言なのに、なんだろう、妙に納得させられる。
 恋愛の、醍醐味かぁ。けど、こんな醍醐味は嫌だな。
「お姉ちゃん、今付き合っている人、いる?」
 妹という立場のせいか、自分の話しはしてもお姉ちゃんの話は聞いたことないなと思って、質問してみた。
「いないよ」
「じゃあ、好きな人は?」
「んー」
 お姉ちゃんは返事の代わりに照れたように小さく微笑む。その表情がいつもの「お姉ちゃん」じゃなくて、私や真由美とかと変わらない「女の子」なのに驚いて、ちょっと見入ってしまった。
 今のお姉ちゃん、可愛かったぞ。
「好きな人がいるのってさ、両思いじゃないと一方的に想ってばかりで辛かったりするんだけど、でも、独りじゃないんだよね」
 まだまだ女の子の表情をひきずったお姉ちゃんが、そうつぶやいた。
「ひとりじゃない?」
「自分だけじゃない、って思える人」
「それが好きな人?」
「まあ、そんなところ」
 話せば話すほど意味が分からなくなって、こんがらがってしまう。
 独りじゃないって、自分だけじゃないって、そう思える相手が好きな人って、なんだろう。
 まるで謎かけか禅問答みたいな気がして、あきらめた。
 とりあえず今の私の課題は、圭吾にいかに俊成君の存在を忘れてもらうかだよ。
 食べ終えた食器を手にし、立ち上がる。
「えー、あずさもドラマ観ないの?」
 そう聞くお姉ちゃんの顔は、いつもの表情に戻っていた。


 その週の土曜日は、それでもサッカー初観戦を決行し、圭吾は私を楽しませてくれた。その後の誕生会についてはあえて話題にはしていなかったけれど、帰り際、つい困ったような表情で彼の顔を見つめたら、圭吾も同じようにちょっと困った顔で笑ってくれた。
「じゃあ、ご飯楽しんできて」
「……うん」
 手を振って別れながら、心の中で謝っていた。
 ごめんね、圭吾。もうお父さんの誕生会以外で『くら澤』には行かないようにするから。

 子供っぽい決心かもしれないけれど、私は本気でそう心に誓っていた。