二人の会話

第三部  二人の会話


その三

 圭吾と再会して数日後の土曜日、久しぶりに俊成君と会った。
 この日は夜から雨が降るんだとかで、朝から空はどんよりと曇っていた。平日しか入れていないバイトはお休みで、午前中はコロの散歩に行っただけ。あとはずっとコタツに入ってごろごろしていた。お母さんが「お昼なににしようかな」なんてつぶやいていて、それとテレビの音を聞きながら少しずつ眠りに落ちていく瞬間だった。
 玄関からピンポンと音が聞こえて、コロが一声吠えて走っていった。
 あの反応の仕方だと、誰か知り合いがきたと思うんだけど。
 ぼんやり思いながら、近くに転がっているクッションを手繰り寄せる。これを枕に本格的に寝ようとしていた。けれど、
「あずさー、俊ちゃんよ」
「えー?」
 回らない頭でとっさに、今日学校あったっけ? とか考えてしまう。ああもうすでに寝ぼけているな、私。
 慌てて頭を振ってはっきりさせると、玄関に向かった。
「どうしたの?」
 気が付けば二週間ぶりくらいだ。今までも夏休みとか、下手すると一月くらい会わないこととかあったのに、なんだかやけに懐かしく感じる。そういえば、学生服じゃない俊成君っていうのも久しぶりだ。
 圭吾とのことがあったせいか、妙に意識してしまっていた。いたって普通の表情の俊成君を前に、平常心であろうと努力をしてみる。
「ばあちゃんの墓参り、誘いに来たんだ」
「墓参り?」
 訳が分からず聞き返したら、あれ? って顔をされた。
「うちの母さんに頼まれたんだけど。あずが行きたがっていたから、誘ってやれって」
「え? ……あ、ああ。そうだ。行くっ。ちょっと待って」
 慌てて自分の部屋に戻り、コートを掴んだ。
 つい先日、おばさんがパンを買いに来たときにそんな話になったんだ。もうおばあちゃんが亡くなって丸三年になるって聞いて、でも親族じゃないからさすがに自分だけじゃお墓参りできないしって私がぼやいて。あんまり考えないでもの言っちゃったんだけど、ちゃんとおばさん気にしてくれていたのか。
「お待たせっ」
 慌てて靴を履いたら、コロが尻尾を振って私の足を前足で引っ掻いた。
「コロも行く?」
 なんの気無しにそう聞いたら、背後で返事があった。
「ただの散歩じゃないんだから、お寺の境内に関係ない犬連れて行くのは止めておきなさい。それよりも、はい、これお花代」
 そうしてお母さんからお金を渡されてしまう。
「おばさん、俺も貰っているから」
 困ったように俊成君が反論すると、お母さんはいい事を思いついたとでもいう表情で、とんでもない発言をした。
「じゃあ、二人でご飯でも食べたら?」
「へ?」
 さっくりと言われて、思わず固まってしまう。高校生の娘に、男の子と二人でご飯食べに行けって、母親がそれでいいの?
「あずさ、お母さん達の分もちゃんとお参りお願いね」
 娘が内心焦っているというのに、無邪気な笑顔で送り出すお母さん。そうでした。この人にとって俊成君と私は、高校生とかなんとかじゃなくて、昔からの幼馴染の二人なんでした。
 一瞬分からなくなって焦ってしまった自分の立ち位置を、教えてもらったような気分だった。ほっとしながら今度こそ、外に出る。


「……で、『いずみ亭』はやっぱりカツサンドが売りなんだけれど、結構カレーも侮れないのよ」
 数分後、商店街を通り抜けながら、熱く地元の飲食店について語る私がいた。
「カレー?」
「ニンジンとかジャガイモとかがごろごろしている、普通の一般家庭のようなカレーなんだ。結構美味しいんだよね」
「ふぅん。あ、でも駄目みたいだぞ」
「え?」
「ほら、本日臨時休業」
 そう言って通りの向こう、話題の店を指して俊成君がくすりと笑う。
「やられたー。もういい。ファミレスかファーストフードで良いよ。どっちも最近行ってなかったし」
 唇とがらせてそういうと、俊成君が余計に面白そうに笑い出した。
「あずの幸せは、金で買える」
「なによ、それ」
「飯であっさり釣られるだろ? 分かりやすいよな」
「……否定は出来ないかも」
 しぶしぶ認めながら、どんどんと歩いていった。
 俊成君のおばあちゃんが眠るお墓は、中学校の先、氷川神社の隣の祥竜寺にあった。あのお祭りの日に、みんなで肝試しをしたお寺だ。そういえば最近、うるさい住職が体壊して息子さんが頑張っているって聞いたけど。
「副住職さんってかなりのイイ男だって聞いたんだけれどな」
「どこからそんな話が流れて来るんだよ」
「奈緒子お姉ちゃん。お姉ちゃんが中一のとき、副住職は三年生だったって。凄いもてていたって言っていた。どう思う?」
「自分で確かめれば? 今日はいるんじゃないのか」
「本当にいるの?」
「さあ」
 そんなくだらない話をしながら、お寺の近くの花屋さんに寄った。墓参に来るお客のため、お店の手前には仏花が置いてある。すでに白い紙で包まれているその束をのぞき込んだら、菜の花とかチューリップとか春の花が重ねられていた。
「まだ二月なのに、花は春なんだ」
 ちょっと感心したように、つぶやいた。
「温室栽培だから、実際の気候より早いよ。この後もっとチューリップの種類が増えてくる。あと、小手毬に金鳳花、スイートピー、やっぱり華やかになるな」
 ごく当たり前のように花の名前を口にする俊成君に驚いて、横顔を見つめてしまった。
「くわしいね」
「家に庭あるし」
「あ、そうか。倉沢家の園芸って、俊成君がやっているんだっけ」
「なんで知っているんだ?」
「おじさんがこの間教えてくれたよ」
 言いながら、昔一度だけ見たカンナの花を思い出した。思えば俊成君の園芸歴って、小学生にまで遡れるってことなんだよね。
「親父、あずにそんなこと話したのか?」
 なんとなくほのぼのとしたのに、なぜか俊成君は緊張したように表情をこわばらせた。
「園芸が趣味って、恥ずかしい?」
「違う。その他、なんか言ってなかった?」
「なにを?」
 分からずに聞き返したら、俊成君が私の事を見つめてきた。真剣な顔。でも、なんだろう。どこか悩むように視線が揺れている。
「俊成君……?」
 あまりにじっと見つめられるので、なんだかこちらの居心地の方が悪くなってきた。俊成君を正面から見つめるなんて、皆無に等しい事をしているせいだ。意外と瞳の色が茶色いんだなと思った途端、なぜか自分の鼓動が早まった。まずい、なんか、顔がほてる。
「ごめん、なんでもない」
 たえられなくなってこちらから視線を外そうとした瞬間、俊成君がそう言って動き出した。
 助かった。って、でも何で私そう思うんだろう。
 自分に突っ込みを入れたら、余計に顔がほてってきた。


 花を買ってお店を出て、おばあちゃんのお墓に向かう間中、私たちはなんとなく無言のままだった。特別気まずいというわけでもないんだけれど、俊成君はあれ以降何か考え事をしているようで、自分から話すことはない。私も考えなくてはいけない事を思い出し、そっちに気を取られていた。

 ちゃんと考えろよ。

 そういって歩き出す圭吾を思い出す。
 私が本気で好きになる人。その人だけを見つめて、その人のことしか考えられなくなって。
 私が圭吾にそうならなかったのは、俊成君がいるからだと圭吾は判断した。でも私だけじゃない。俊成君だって毎回女の子の気持ちを受け止めきれず、結局いつも別れている。多分俊成君も、そういう本気が出せない人なんだろう。
 だからこそ余計に、私たち二人の間に恋愛って要素は入れなくていいと思うんだ。お互い、幼馴染として大切に思っている。それで十分だよ。清瀬さんの存在とか美佐ちゃんや圭吾の言葉にあおられて、今は妙に俊成君を意識してしまっているけど、多分春になって新しい生活が始まれば元に戻る。卒業して、学校が離れてもそれは変わらないはず。あらためて恋愛感情に走らなくても良いんじゃないのかな。
「着いた」
 俊成君の言葉にはっとして、顔を上げた。
 倉沢家のお墓はつい先日がおばあちゃんの命日だったせいか、両脇に生けられた花がしおれもせずに残っている。俊成君は肩にかけていたリュックを地面に置くと、手桶を取りに水場まで行った。私はちょっと悩んでから、自分達の買ってきた仏花とまだ残っている花を一緒にする。駄目そうなのは外して束を作り直したら、なかなか豪華な感じになった。
 簡単に掃除をした後、墓石に水をかけ、俊成君がお線香に火をつけた。
「風が吹くと百円ライターごときじゃ、つかないんだよな」
 ぼやきに応えるように、風上に立ってみる。
「変わらない?」
「でもさっきよりは、ましかな」
 黙々と作業を続ける俊成君に、思いついて聞いてみた。
「でもなんで、墓参りしようってことになったの?」
 確かにおばさんとの世間話で、行きたいなとはつぶやいた。けど、まさかこんな早くに誘われるとは思っていなかったんだ。
 俊成君はちらりと横目でこちらを見ると、つまらなさそうに肩をすくめた。
「受験生なら神様と仏様とばあちゃんに拝んで来いって、家を叩き出された。息子の実力を根本的に信用していないんだよ、あの母は」
「ってことは、この後って?」
「氷川さんにも賽銭投げに行くぞ」
 その言葉に笑ってしまった。さすがに息子三人を産み育て、なおかつ店を切り盛りしているだけあって、おばさんは威勢がいい。息子を家から叩き出すくらい、訳も無いんだろうな。
「いいけどね。たまには外に出ないと煮詰まってくるし」
 独り言みたいにつぶやくその言葉に、何も返答できずにいた。そういえば私立の入学試験はもう始まっている。国公立志望とはいえ、俊成君だって何校か受けているんだろう。
「俊成君、どこ受けてるの?」
 そういえば以前、この手の質問をして答えを聞きそびれていた。
 俊成君は一瞬眉を寄せて考え込むけど、すぐに私を真っ直ぐに見つめた。
「さっき、園芸が趣味って言っただろ」
「え?うん」
 真剣な表情で先ほどの話を蒸し返してきたので戸惑ってしまう。なに話すんだろう、俊成君。
「あれ、結構当たっているんだ。そのまま園芸ではないけれど、環境整備とか緑地化とかそういうのに興味があって。だから大学もそっち方面を受けている」
「そうなんだ」
 はじめて聞く話に驚きつつも、なんだか俊成君らしくて納得した。
「受かると良いね」
「……うん」
 素直な気持ちで言ったのに、なぜか俊成君の表情は浮かなかった。まだ何か言いたそうに私を見つめ、でも結局何も言わずに手元のお線香に視線を戻す。
「はい。あずの分」
「ありがとう」
 受け取って、お墓に捧げる。俊成君が何を言いたかったのかは分からなかったけれど、こちらからは聞くのは止めようと思った。あんなに迷う顔しているってことは、本当に話したいことなら多分いつかは話してくれるだろうし。そのかわり、おばあちゃんに向かって心の中で語りかける。
 おばあちゃん、俊成君を合格させてくださいね。
 手を合わせて祈ってから、隣に立つ俊成君を見上げた。
 北風の吹く曇天と墓石の列の中、お墓に供えた花と俊成君だけが暖かい色彩をまとっている。
「よし。ばあちゃんと仏様、終了」
 気が済んだのか、俊成君からさっきまでのあやふやな表情は消えていた。
「じゃ、次は神様か」
 私もなんとなくほっとして歩き出す。
 墓地を抜け、神社の裏手に通じる庭園に差し掛かると、俊成君がふと思いついたように前方の石碑に向かって進んでいった。
「どうしたの?」
「あの石碑さ、昔に蹴飛ばしたことあるんだよ。その時土台の部分が欠けたんだけど、あれ、どうなったかなと思って」
 石碑の前まで辿り着くと、俊成君は慎重に見つめながら、ぐるりと周りを回る。
「これだ」
 一緒になってその欠けた土台を見つめながら、私は記憶をよみがえらせた。
「これって、あのときのでしょ? 中学三年のお祭りのとき」
「え?」
「谷口さんに、告白されたんだよね」
 そういって、私は俊成君を見上げた。
「……ああ、そうだっけ」
 もうちょっと反応あるかと思ったのに、俊成君の返答は素っ気なかった。なんだかこの石碑についての思い出は、蹴飛ばして欠けちゃったのがメインで、告白されたことなんかどうでもいいことみたいだ。
 この人にとって、女の子ってどんな存在なんだろう。
 素朴な疑問が沸いてしまった。
 俊成君は彼女が出来ると、いつもさりげなく私たちから離れていった。勝久君と私、そして美佐ちゃんとの四人で行動をすることを止めてしまう。でも、その間その彼女とべたついているかというと、決してそうではないみたい。淡々と、求められたらそのときだけ相手をする。女の子からしてみれば、付き合えば付き合うほど不安になるパターンだ。だからいつも駄目になっちゃうんだけど。
 自分から動くことって無いのかな。
「いつも告白されてばかりだけれど、俊成君って自分から告白したことあるの?」
 気が付くと、そんな問いを口にしていた。
「告白?」
「あ、いい。ごめん、別にいいよ」
 なんだか妙に焦って手を振る。今更こんな恋愛がらみの話をあらためて聞くのは、こちらの方が恥ずかしくてやってられなくなる。
「あるよ」
「え?」
 でも俊成君の落ち着き払った返事に、思わず聞き返してしまった。今、あるって言ったんだよね?
「どうなったの?」
「どうにも。本気にされなかった」
 うわ。それは辛い、かも。
 こちらを真っ直ぐ見て答える俊成君を、逆にどうなぐさめて良いんだか分からなくてもてあます。最近の話じゃなければ良いんだけどなぁ。
「いつの話?」
 困った顔して質問を続けたら、俊成君にくすりと笑われてしまった。
「教えない」
「えー」
 一応抗議をしながら、それでもなんとなく助かったって思った。自分で振った話のくせに、逆に俊成君に気を使わせてしまった。駄目だな、私。
 表面上はなんてこと無い振りして、もうこの話は止めにしようと思っていたのに、心は結構動揺していたみたいだ。意味の無い笑顔を浮かべながら歩き出そうとしたら、いきなり石碑につまづいてしまった。
「わっ」
「あず」
 慌てて腕を掴まれて、後ろに引かれる。前のめりに転ぶことはなくなったけれど、今度は逆に後ろに倒れこむようになってしまった。
「大丈夫か?」
 ばふっと背中に柔らかい衝撃があって、俊成君の声が耳元で聞こえた。
 て、あれ?
 前に回された俊成君の腕をぼんやりと眺めていた。ちょっと待って。この体勢、私今、俊成君にすっぽり抱きかかえられてますか?
「ご、ごめんっ。あの、ありがとうっ」
 慌てて離れようとしたのに、意に反して私の体はびくともしなかった。俊成君の腕が、体が、さっきよりも強い力で私を抱きしめてきたからだ。
「……俊成君?」
「あず、小林と会ったって、本当?」
「え?」
 耳元でまた声がして、私の体がぴくりと身じろいだ。俊成君の声、ちょっと硬くて怖い。
「なんで、知ってるの?」
「勝久。小林から聞いたって、わざわざ俺に報告くれた」
 そう言いながら、俊成君は自分のおでこを私の肩に乗せた。その仕草に、余計に私の胸がどきどきする。
 これって、どういう意味なんだろう。なんで私、俊成君に抱きしめられているんだろう?
 って、ああ、そうか。
「圭吾とは、あらためて友達になったんだ。……もう大丈夫だよ」
 三年前のちょうど今頃の、圭吾にふられた直後を思い出した。あの時は俊成君に心配をさせた。多分俊成君の中に、あの弱っていた私が残っているんだと思う。だからこうやって抱きしめてくるんだ。
「心配してくれて、ありがとうね」
 緊張のあまり強張らせていた体から力を抜き、肩越しの俊成君の頭をぽんぽんとなでた。そうすると、不思議とコロに後ろから抱きつかれたような、とてもたわいもないようなことに思えてくる。
 俊成君は大きく息を吐き出すと、私の体に回していた腕をゆっくりと外した。
「行こ」
「ん」
 そっと声をかけると、俊成君が歩き出す。続いて歩こうとしたら手を取られ、握られた。
 なに? なんで?
 疑問がいっぱい広がりすぎて、声に出せない。黙って俊成君を見上げたら、一瞬だけ目が合った。
「転倒防止。これ以上転ぶなよ」
 なんだか不機嫌そうな表情でそれだけ言うと、俊成君はもう私を見ようとはせず歩いていく。
「……うん」
 でも単純に握られるだけだった手はすぐに指と指が絡みあい、より深くつながれた。
 心臓が、ぎゅって握られたような感じだ。
 もはや顔を上げることも出来ず、ただ黙って後を付いてゆく。恋愛じゃないって結論付けたのに、まるで私、恋人と一緒に歩いているようだった。

 私と俊成君、ただの幼馴染なだけなのに。