二人の会話

第三部  二人の会話


その四

 ぼんやりとしている間に毎日が過ぎて、気が付くと三月になっていた。今日は久しぶりの学校。とはいえ明日がもう卒業式で、今日はそのための打ち合わせ会みたいなものだった。
「美佐ちゃん、帰る?」
 ホームルームが終わってざわめく教室の中、斜め後ろを振り返って聞いてみる。
「あずさは?」
「このまま真っ直ぐ帰るのも、なんか寂しいかな? って」
 そういってうかがう様に見つめたら、美佐ちゃんの口元がにやりと笑った。
「確かに。どこか寄っていく?」
「うんっ」
 やった。美佐ちゃん、確保成功。
 必ず誰かと帰らなくちゃ嫌とかそんな気持ちはないけれど、やっぱり久しぶりの登校。しかもそれも明日でおしまいで、なおかつ今はまだ午前中。こんなに条件が揃っていると、やっぱり一人で帰りたくはなくなってしまう。
「どこ寄る?」
「私、駅の近くの雑貨屋さんに行きたいな。多分もう二度と行かなくなっちゃうし」
「じゃ、そこ行って、帰りにお昼して帰ろうよ」
「うんっ」
「それ、俺混ざっても、いい?」
 横からの声に振り向くと、勝久君が立っていた。
「あ、ごめん。美佐ちゃんと一緒に帰るはずだった?」
「いや、それは無いから」
 慌てて美佐ちゃんを見つめると、思い切り否定された。
「勝久、最後の部活顔出しでしょ? どうしたの」
「いや、これも部活動の一環というかさ」
 中途半端に言葉を切ると、勝久君は困ったような顔で私を見た。
「悪いけどさ、あずさと話がしたいっていう奴がいるんだ。出来れば屋上にこれから行ってもらえると嬉しいんだけどな」
「話がしたい?」
 驚いて繰り返すと、すかさず美佐ちゃんが突っ込んでくれた。
「誰よ、それ」
「ハルカ」
「ハルカ? 一番バッターじゃない。上級生呼び出しするの? しかも勝久、なんで後輩のパシリなんてやってるのよ?」
 心底呆れたような美佐ちゃんの声に、勝久君はははと笑って人の良さそうな顔をこちらに向けた。
「可愛い後輩に頼まれると、弱いんだよ。それに俺、あずさは一度ハルカと話をしたほうが良いと思っていたし」
「私が、清瀬さんと?」
 その言葉の意図がつかめず、またもや繰り返してしまった。勝久君はそんな私に向かって手を合わせる。
「俺と美佐江はここで待っているから。なにかあったらケータイで呼び出してよ。ね?」
 助けを求めようと美佐ちゃんを見てみるけれど、意外にも美佐ちゃんは黙ったきりこちらを眺めていた。
「美佐ちゃん……」
「先輩を使って呼び出すっていうのは気に喰わないけど、でも、確かにいい機会かもね」
 ちょっと待ってよ、美佐ちゃんーっ。
 いくら下級生とはいえ、呼び出しなんて不穏なこと、私からすればかなりとんでもないことだ。それなのに頼るべき人たちが揃ってこれなんだから、逃げようが無い。
「なにかあったら、すぐ来てよ」
 思い切り不安そうな顔でそういうと、二人は交互に私の肩を叩いた。
「大丈夫。勝久を通して呼び出しているんだもん。殴り合いにはならないはずだから」
 その言葉に余計に不安になって勝久君を見つめたら、にっこり笑って言われてしまった。
「大丈夫だよ。ハルカは気は強いけど、暴力に訴えるタイプじゃないからさ」
 ええっと、これから私はただ話しをしにいくだけなんだよね。
 なんだかさらに不安になってきた。


 緊張しながら屋上の扉を開けると、清瀬さんはこちらに背を向け、金網越しに下校する生徒を眺めていた。風に乗って、笑い声や話し声が切れ切れにこちらまで響いてくる。三年生のホームルームは中途半端な時間で終わったけれど、一、二年生も学年末テストだったんだ。下校の時間が重なったようで、結構騒がしい。
 ガタン、と扉の閉まる音に彼女は振り返ると、私の姿を確認して頭を下げた。
「呼び出してしまって、ごめんなさい」
 そのしおらしい姿に少しだけほっとする。冗談で言ったのだろうけれど、あの二人の話でいつ殴りかかられるのかと身構えてしまっていた。
「用って、なに?」
 取っ組み合いのケンカにはならなくても、そうそう友好的な話にもならないだろう。十分警戒しながらの問いかけだったので、愛想はどうしても振りまけない。
 清瀬さんはそんな私をしばらくじっと見つめると、きっぱりとした口調で言い切った。
「私、明日、倉沢先輩に告白します」
 そしてまた、私の反応を確かめるように見つめられた。
「……どうぞ」
 どうやら私が何か言うのを待っているようなので、とりあえずそう言ってみる。清瀬さんはそんな私の態度に不満だったようで、軽く眉をひそめ、金網に寄りかかった。
「倉沢先輩、今まで女の子に告白されて断ったことが無いって聞きました。本当ですか?」
「うん。それは本当」
 谷口さんから始まって、歴代の彼女の顔を思い出した。次が高校入ってからで、俊成君と同じクラスの女の子だった。あの娘とは一年くらい続いたっけ。二年になってクラス替えを機に別れたっぽくて、そこから夏までは大人しかった。けれどそれ以降かな、気が付くと相手が替わっていった。結局、高校生活で彼女の数は四人ほど。決して少なくは無いけれど、節操無いと言い切れる数なのかちょっと判断に困ってしまう。
 ついぼんやりとしてしまったら、かしゃんと音をたて、彼女が金網から離れて一歩近付いた。
「私、独占欲強いんです」
 あ、この眼。
 なんだか妙に冷静になって、思い出していた。
 一番最初に出会ったときの、感情をむき出しにした眼だ。
「告白して付き合うようになったら、倉沢先輩には他の女の子のことなんて見て欲しくないんです。だから、宮崎先輩に先に宣言しておこうと思って」
 清瀬さんはそこで言葉を切ると、真っ直ぐに私を見つめ言い放った。
「もう二度と倉沢先輩と会うのは止めてもらえませんか」
「はい?」
 意味が分からなくて思わず聞き返した。これって普通、浮気しているだんなさんの相手とかに言う台詞なんじゃないのかな。
「二度とって言われても……」
 家が近所で生活圏が重なっていて親同士が仲良くて、それで二度と会うなと言われたって、どうしたら良いんだか困ってしまう。
 けど、どちらにしても彼女はわたしの説明なんて聞く気が無かったようだ。中途半端に口を開いた私にお構いなく、清瀬さんは疑問を口にした。
「宮崎さんは、倉沢先輩のことが好きじゃないんですか?」
「え?」
 そのあまりにもストレートな言い方に、固まってしまう。
「好きだって思ったことないんですか? って、聞いているんです」
 出来の悪い子供に繰り返し尋ねるみたいな、そんな聞き方だった。
「……嫌いなわけ、無いじゃない」
 放った声が低いのに気が付いた。
 なんだろう、むかむかする。この目の前の女の子に対して、ひどくむっとしている自分がいる。でもそれは清瀬さんも同じのようで、私の言葉に苛付いたように言い返してきた。
「嫌いじゃないって、好きとは違いますよね。私、倉沢先輩のことが好きなんです。宮崎さんよりもずっと強い気持ちで。だから、宮崎さんに倉沢先輩の傍にいてもらいたくないんです」
「倉沢と私の間を決めるのは、あなたじゃないでしょ?」
 私にしては珍しく、きつい言い方だった。身内や親しい人たちならともかく、まともに口きくのがはじめての後輩にこんな言い方をするんだ。結構私の頭も血が上っている。
「私じゃないって、じゃあだから我慢しろって言うんですか。私は嫌。好きな人の傍に他の誰かいるなんて、そんなの許せない」
「別に二股かけているとか、そういう話じゃないでしょ。家が近所なら普通に出会うよ」
「家が近所で、幼馴染だから仲が良くて」
 ふいに清瀬さんの声が暗く沈んだ。はっとして彼女を見つめると、何か感情を押さえ込むようにこぶしを握り締め、こちらをきっと睨みつけていた。
「幼馴染ってカードは、そんなに使えるものなんですか? 幼馴染だったら、たとえ相手に彼女がいても、そんなのお構い無しに一緒にいても良いものなの? 二人は幼馴染だからって、それだけで私が倉沢先輩と宮崎さんが楽しくしゃべっているのを横で見ていなくちゃいけないの? 幼馴染って、そんなに偉いものなんですか?」
「清瀬さん……」
「私のほうが誰よりも好きなのに。私のほうが宮崎さんよりも、ずっとずっと倉沢先輩が好きなのにっ」
 彼女の剣幕におされ、私は何も言えずに黙り込んでしまった。清瀬さんはしばらくそんな私を睨んでいたけれど、息を吐き出し気持ちを落ち着かせると、一言「失礼します」とつぶやき、私の横を去っていった。

 誰よりも、好きなのに。

 清瀬さんの、悲鳴のような台詞が耳に残る。
 胸が、痛い。
 ナイフで切り裂かれるような、そんな鋭い痛みなんかじゃなく、もっと鈍く重い痛み。最悪なことにそれはじわじわと広がっていく。


「あずさ、お帰りー。どうだった?」
 教室に戻ると、美佐ちゃんと勝久君が待っていた。
「明日、告白するんだって。彼女」
 席に座ると、自然に大きなため息が出た。大きな、大きなため息。けれどそんなものでは胸の痛みは和らいではくれない。
「二度と俊成君に会うなって、言われた」
「うっわ、告白する前から彼女気取りだ」
 ちょっと呆れた様子で美佐ちゃんがつぶやいたけれど、それに対して笑うことが出来なかった。だって、
「同じことだよ。どうせ明日告白されたら、俊成君は断らないんだろうし」
 なんだか顔を上げていられなくなって、言った後にうつむいてしまった。
「すごい言われようだけど、俊だって好みはあると思うぞ。必ずしも断らないとは言い切れないんじゃないか?」
 頭上で勝久君のフォローする声が聞こえたけれど、それに反応する気にはなれない。
「いいの? そんなこと言って。ハルカちゃん、可愛い後輩なんでしょ」
「後輩と彼女とは別」
 話が続いているなと思っていたら、ふいに勝久君が問いかけてきた。
「だってあずさ、今まで俊の付き合ってきた女の子と接触したことないだろ?」
「え?」
 意味が分からず顔を上げた。
「俊、彼女が出来るといつも俺たちから離れていっただろ。あれってあずさのこと詮索されるのが嫌だったからだよ」
「……私が、邪魔だったってこと?」
「じゃなくて、その反対。たとえ付き合っている彼女でも、あずさとの間に立ち入ってもらいたくないっていうのが俊の考え。郁恵って、俊が一年の時に付き合っていたのと別れたのも、それが原因。あの頃を覚えている?」
 勝久君は一気に説明すると、当時を思い出させるように言葉を切った。
 一年生のとき、そういえばあの頃はまだ、俊成君に彼女が出来ても彼の毎日の行動に変化はなかった。当たり前のように一緒に毎朝登校して、休み時間とか私たちのクラスに顔出したりして。
「郁恵にしてみればさ、俺とあずさがくっついてそれに俊が混ざっているイメージだったのに、俺が美佐江と付き合いだしただろ。予想が外れて、あらためてあずさの存在を意識するようになったらしいんだわ。で、俊は詰め寄る郁恵にむっとして、それ以来ギクシャクするようになっちゃって駄目になったというわけ」
「私、知らなかったよ、それ」
 それって、私が俊成君と彼女との仲を間接的に壊したようなものじゃないんだろうか。
 今更ながら申し訳ない気持ちになって、うろたえてしまった。けれど勝久君は慌てたように手を振って、それを否定する。
「俊の場合、あずさとか俺とか、自分の友人関係がまずあって次に彼女が来るんだよな。優先順位が普通とは逆なんだよ。だから決してあずさのせいって訳じゃないんだ。俊もその件で学習したらしくって、それから距離置くようになっただろ? 彼女が出来るたびに、下手に勘ぐられないように、あずさや俺たちから離れていった」
「そんな……」
 つぶやいたけれど、後の言葉が続かなくて黙り込む。
 俊成君は彼女が出来ると、いつも私たちからさりげなく離れていった。それは今まで、付き合っている女の子に対して示している誠意なんだと思っていた。示されていたのは、私たちの方だったの?
「なんでだろう。なんで、そんなことするんだろう」
 独り言みたいにつぶやいたのに、勝久君は丁寧にそれに答えてくれる。
「あずさに、嫌な思いさせたくないって言っていたよ」
 その言葉にびくりとして、思わず勝久君を見つめてしまった。

 ごめんね。
 あずに嫌な思いさせたから。

 遠い昔、おばあちゃんの部屋で仲直りをしたときの事を思い出した。あの夏の日、カンナを見ながらお互いにあやまった。俊成君は昔から、私に気付かれないようにそっと私を思いやる。
 まるですぐ隣に俊成君が立っているような感覚がして、胸の痛みがずうんと重くなっていった。
「だからさ、それだけ自分が気を使っている相手に対して勝手に踏み込んで、二度と会ってくれるな宣言をしたハルカは、後輩としては可愛くても彼女にしたらどうかと思うんだよね、俺的には」
 柔らかい微笑でそういった勝久君の横で、美佐ちゃんが呆れたようにつぶやいた。
「そこまで分かっているくせに。その話し合いのセッティングしたのは、勝久じゃないの」
 ……確かに。
 あやうく自分だけの考えに引きこもりそうになったのに、二人の話に現実に戻った。
 そういえば圭吾と会ったのを俊成君に報告したのも、勝久君だっけ。
「勝久君は、なにを考えているの?」
 なんとなく上目遣いに、うかがうような表情になってしまう。けれど勝久君はそんな私をはぐらかすように、またもや人の良さそうな笑顔を見せた。
「当事者よりもさ、周りで見ているほうがよく見えるときってあるだろ。多分、今、そんなところ」
 それはどういう意味なのか、重ねて聞こうと口を開きかけたら、美佐ちゃんが逆に私に質問してきた。
「あずさは一番バッター、ハルカを見てどう思うの?」
「どうって」
 質問の意図がつかめず繰り返す。
「ハルカって、生意気だし勝久をパシリに使おうとするし色々と難はあるけれど、やっていることははっきりしているのよね」
「はっきり?」
「うん。倉沢のことが好きだって、その一点のみで動いているでしょ。気持ちが真っ直ぐしている」
 苦笑しながら説明する美佐ちゃんの、でも瞳の色は柔らかくって、結構清瀬さんのことは気に入っているのが感じられた。
「あずさを呼び出したのだって、作戦的には失敗だけれど、いいところを突いているよね。倉沢が何を大切にしているのか分かっているんだもん」
 そこで言葉を切ると、美佐ちゃんは私を見つめてもう一度問いかけた。
「ハルカは倉沢が好き。じゃあ、あずさは?」
 じゃあ、私は?
 ぽんと投げかけられた疑問は私の中で跳ね回り、心の中を引っ掻き回した。
「わ、私は、元々家が近所で、幼馴染で」
 慌てて答えようとして、焦りまくる。美佐ちゃんは何も言わずにただ私を見つめ、微笑むだけだ。

 好きだって思ったことないんですか?

 焦れば焦るほどまとまらなくなっている言葉の先、清瀬さんの問いかけがふいに思い出され、私は黙り込んでしまった。
「私は……」

 好きだって思ったことないんですか?

 俊成君を、好き?

 本気で好きになれる相手って、倉沢以外にいるのかな。

「でも、私たち、ただの幼馴染なのに」
 戸惑いは最大限に膨らんで、まるで救いを求めるように美佐ちゃんを見つめた。
「じゃあ、あずさが幼馴染にこだわるのは、なんで?」
 静かに響く、美佐ちゃんの声。
「こだわって? こだわってなんていない」
 首をふって答えるけれど、ふり終わった瞬間に、そんな自分の姿が頑なに見えることに気が付いた。
「怖いの? あずさ。」
 何を? 何に対して?
 聞き返したかったけれど、それは出来なかった。だって、私は答えを知っている。私が怖いのは、俊成君の気持ちだ。
 幼馴染だから、そばにいられる。幼馴染だから、いつまでも一緒に。
 でも、幼馴染じゃなくなったら、ただの友達とか彼女とかそんな存在になったら、いつか飽きられてしまうかもしれない。いつか俊成君は離れていってしまうかもしれない。
 それが、怖い。
「一番バッターのハルカは、明日は倉沢にぶつかろうとしているよ。あずさはどうする? このまま敬遠してマウンドから降りる?」
「美佐ちゃん」
「どうしたいのかちゃんと考えなね、あずさ。私たち、明日で卒業するんだもの」
 美佐ちゃんはもう一度私に微笑むと、隣で机の上に腰掛けている勝久君を見上げ、視線を合わせた。
 普段は正反対の性格をしている二人なのに、時々ふっと同じ表情をする。今まさにその瞬間で、そういう時、二人はいつも柔らかくて優しい表情をしていた。
 二人、一緒にいる。
 目の前の友人達を見つめているうち、焦っていたお陰で忘れかけていた胸の奥の鈍い痛みが、またうずきだした。
 本当はとうに気付いていたのかもしれない。
 私が抱いている俊成君への気持ちは、単純な幼馴染に対する友情ってだけでは足りなくなっていることに。