二人の会話

第三部  二人の会話


その六

 次の日の目覚めは重かった。気持ちはもちろんだけれど、顔のむくみや頭痛だってそれに負けないくらいに、重い。
 腫れ上がったまぶたのお陰でうまく目が開かず、とりあえず水で冷やすように顔を洗い、ようやく体が起き出した。
 台所に行って冷蔵庫を開ける。ちょうど一人分用に、きれいに盛り付けられた唐揚げが入っていた。
 これ、私の卒業祝い用だったのかな。
 昨日は何度かドア越しに、お母さんに呼びかけられたのを覚えている。けれどひたすら部屋にこもって泣いていた。お母さんに悪い事をしてしまった。
 せっかくのご馳走を冷たいままで食べるのは嫌だったので、レンジに入れる。温めている間にテーブルに向かうと、奈緒子お姉ちゃんがテレビを見ていた。
「お母さんは?」
「お父さんと出かけたよ」
 そこでお姉ちゃんはテレビから視線を外すと私をまじまじと見つめ、苦笑した。
「すごい顔だ。やっちゃったねー」
 その言葉に返事も出来ず、鼻をすする。
「お母さんもお父さんも、心配していたよ」
「……ごめんなさい」
「相手は?」
「俊成君」
「なにしたのよ」
「別に。俊成君の進路聞いただけ」
「どこなの? 俊ちゃん」
「地方の大学行くって。新幹線で三時間だって」
「遠いね」
 素直な感想に、つい未練がましく付け足してしまう。
「受かれば、の話だけど」
 言った途端にお姉ちゃんの口元が面白そうに、くっと上がった。その表情にむっとするけど、今は突っかかる気力も無い。
 レンジの電子音が聞こえたのを区切りに、あえてお姉ちゃんを無視し、ご飯をよそって食べ始める。昨日の昼と夜を抜かしただけあって、さすがにお腹が空いていた。しばらく無言で食事を続けていたけれど、その間じっと見詰められていることには気づいていた。
「それで?」
 ご飯を全部食べ終えて、ようやく一息ついた頃を見はからって、お姉ちゃんが聞いてきた。
「それで、って?」
「進路聞いて、それで泣いて帰ってきたの? それだけ?」
 その質問に、何も言えずに黙り込む。
 途中は省略しちゃっているけれど、確かにその通りだ。昨日ずっとずっと俊成君と私のこと考えていたけれど、出来事的には進路聞いて泣いて帰ってきて、結局それだけなんだよね。
「あんまり簡単に、言わないでよ」
 それでもやっぱり素直に認めるのは悔しくて、これには反抗してみた。
「ま、確かにショックだっていうのは分かるけどね。でもそこで止まっていたら、何の進展も無いじゃない」
 頬杖ついて遠慮なく私を見つめ、ずけずけと言ってくる。実の姉だからこそ踏み込んでこられる領域だ。じゃなかったら、とっくに私が逆上している。
「展開ならあった」
「どう?」
「後退した」
 言い切って、また自分の言葉に落ち込んだ。幼馴染特有の「幼い頃の約束」なんて切り札持ち出して詰め寄ったのに、あっさりとそれを却下されてしまったんだ。
 せっかく治まっていた腫れがまた熱を持つみたいに、私の頭がぼうっと痛んだ。ああ、また私、泣いちゃうんだろうか。
 後もうちょっとで涙がこぼれそうになったとき、ことりと音がして目の前にお茶が置かれた。
「俊ちゃんとどんな話になったのか知らないけど、でも、後退はしていないと思うよ。あずさと俊ちゃんの仲は、簡単には壊れないでしょ」
「そんなことないよ」
 壊れるのなんて一瞬だよ。
 そう言いたかったけれど、また自分の放った言葉で自分が傷付きそうで、言えなかった。何でこんなに弱いんだろう。
「今は、ちょっとお互いこんがらがって誤解とか噛み合っていないこととかあって、どうしようもなく感じているだけだよ」
「でも、俊成君が私に黙っていたことは事実だよ。これから最低四年間離れちゃうんだもん。決めるときに相談でも報告でも、一言あったって良かったのに。結局、俊成君にとって私、相談する価値も無い相手だったんだ」
「あずさだから、言えなかったのかもしれない」
「なんで?」
「さあ? それは俊ちゃんに直接聞くしか分からないんじゃないの」
 お姉ちゃんは肩をすくめると、ゆっくりとお茶を飲んだ。しばらく沈黙が続いて、テレビの音だけが騒がしく響いている。私はぼんやりと、テレビの前で気にせず寝ているコロを見つめていた。
「あずさはさ」
 お茶を何口かすすった後、お姉ちゃんが話を再開した。
「泣いて帰ってきて、それっきりにするつもり? このままケンカしたまま、俊ちゃんがどんなこと考えてこうなったのか分からない状態で、俊ちゃんを送り出すの?」
「……そんなの、分からないよ」
 昨日の今日で問い詰められても、動けるはずがない。今の私の状態では、俊成君の顔見た途端に泣いてしまうか、ケンカの続きをまたやってしまうかのどっちかだ。
 抗議するようにふてくされた表情でお姉ちゃんを見つめたら、苦笑されてしまった。
「今は、落ち着くのが先か。入学までまだ日にちはあるしね。それまでに、ちゃんと話し合いなよ」
 素直にうん、って言えずにうつむいた。お姉ちゃんはそんな私を見てお茶を飲みきると、立ち上がる。
「じゃあ、私も出かけるから。留守番よろしく」
 言い置いて、さっさと出かけてしまった。
 もしかして、私が部屋から出てくるの、待っていたのかな。
 さすがにそれは無いだろうと思いながら、でもちょっとだけお姉ちゃんに感謝した。

 食器を片付けてお風呂に入って、ようやく一息ついた気分で部屋に戻る。床に放り出したまま転がっているカバンを見つけ、そこではじめて昨日自分がどんな状態で家に帰り着いたのかを、冷静に思い出すことが出来た。
「あーっ、美佐ちゃん!」
 そういえば、昨日はカラオケの約束が入っていた。それすっぽ抜かしてなおかつ、美佐ちゃんに連絡の一つもしていなかった。慌ててカバンから携帯電話を取り出すと、着信履歴を調べる。画面いっぱいに美佐ちゃんと、それにアクセントを付ける感じでたまに勝久君の名前が並んでいた。
 うっわー、まずい。
 焦りながらボタンを押すと、一回目のコールの途中で美佐ちゃんが出る。
「あずさ?」
「ごめんっ、美佐ちゃん!」
 突っ込みの厳しい美佐ちゃんのことだから、かなりきつい言葉が返ってくるだろう。美佐ちゃん的にはいつものノリでも、今の私にそれを受け止めるだけの余裕は無い。
 お腹を見せて降参のポーズを取るコロみたいな気分で、とにかく第一声で謝った。でもそんな私の予想は外れて、電話の向こう、美佐ちゃんの楽しそうな笑い声が響く。
「いいよ。どうせ倉沢と一緒だったんでしょ?」
「は?」
 一体何の話ですか?
 予想していなかった返答に、言葉が出なくなる。けれど美佐ちゃんはそんな私の反応に誤解をしたようで、明るい口調で話を続けた。
「いくら待ってもあずさはお店に来ないし、最初はちょっと心配していたんだ。でも、倉沢も連絡付かなかったから。結局、バスケ部の打ち上げにも来なかったって言うから、これはもう二人でいるなって思って。どう? どうだったの? 聞かせて」
「俊成君、打ち上げ行かなかったんだ……」
 思わずつぶやいてから、黙ってしまった。
「あずさ?」
 私の口調に、何か感じたらしい。美佐ちゃんの口調も一転して、そっとたずねる様に聞いてくる。
「告白は? 成功したの?」
「その手前で、挫折した。大学、受かったら新幹線で三時間のところに行くって言われて」
「えっ、なにそれ? それで?」
「それで」
 言いよどんで間が空いてしまった。おばあちゃんと俊成君の約束は、臨終に立ち会った倉沢家の人たちなら知っている。でもそれに今更ながら意味を見出しているのは、私だけだ。あの約束を説明するのは、たとえ相手が美佐ちゃんでも今はしたく無かった。
「馬鹿って、怒鳴って帰ってきちゃった」
 仕方が無いので、最後の部分だけを説明する。けれどこれは逆効果だった。美佐ちゃんの「はぁ?」という声が電話の向こうから聞こえ、次にいつもながらの突込みが入った。
「この期に及んで、なんでケンカしてるのっ。告白するんじゃなかったの?」
「だって……」
 確かに美佐ちゃんの言う通りなので、反論したくてもしようがない。仕方が無いのでうじうじと言い訳をひねり出そうとしていたら、先に美佐ちゃんに切れられた。
「あー、もういいっ、今からあずさの家に行くからっ!」
「えっ? 今から?」
 精一杯に焦って、聞き返す。だって美佐ちゃんがうちに来るってことは、つまり、
「もしかして、俊成君の家にも行くってことは?」
「当たり前。新幹線で三時間って、なによそれ? ケンカしちゃったあずさもあずさだけど、それに輪をかけて悪いのは倉沢でしょ。なんでそういう大事なこと秘密にしておくんだかなぁ。行って直接問い正すから」
「でも、勝久君は知っていたような気がするよ」
 でなければ私が二人の進路を聞いたとき、あんな反応はしなかったと思うんだよね。
 いつかの出来事を思い出し、ついそう言ったら、美佐ちゃんの低いうなり声が響いた。
「勝久ー! あいつはっ!」
 勝久君、ごめん!
 美佐ちゃんの迫力に、思わず心の中で謝ってしまった。
 でも結局のところ、勝久君は美佐ちゃんの事をうまくなだめてしまうんだと思う。美佐ちゃんは言うだけ言っちゃうとあとに残さないタイプだし、勝久君はそれを知ってうまくかわす術を心得ているタイプだし。
 過去に何度か繰り返された二人のいさかいの場面とその後を思い出し、つい小さな笑いがこぼれてしまった。
「あずさ、もしかして今笑ってる?」
 私の笑い声に気が付いたようで、美佐ちゃんが聞いてきた。
「うん。なんかさ、いいなーと思って」
 正直言って、今の自分の状態でそんな二人の親密さを感じるのはちょっときついけれど、でもやっぱりいいなって思う。
「どこが。良くないよ」
 さらに文句を言いたそうな口調だ。でも決して本気で嫌になっている訳ではなくって、言葉の端はしに優しさがうかがえる。まるで二人の仲の良さを見せ付けられているようだった。
「……それで、本当に今日はどうする?」
 ひとしきり笑って落ち着いた頃、美佐ちゃんがあらためて聞いてきた。
 このまま一人で落ち込んでいても暗くなるだけだとは分かっているけれど、まだ人に会うほど気力が回復していない。
 どう言えばいいんだろう。言葉を捜しながら、返事をした。
「ありがとう。でもね、今日はちょっと一人で落ち着きたいって思っているんだ。昨日、自分にしては結構頑張ったせいか、その反動っていうか……」
「一人で、大丈夫?」
 その声がとても心配そうで、思いやられているのを感じて胸が詰まった。
「いつも私、美佐ちゃんに助けられているね」
「そんなこと無いって。あずさは、強いよ」
「そうかな」
 美佐ちゃんの励ましを聞きながら、片手を宙に向かって差し出した。
「そうだと、いいな」
 ぐっと手を握ってみるけれど、すぐに力尽きてぱたりと下ろした。

 その後、美佐ちゃんとは次に会う日の約束をして電話を切った。でも程なくして勝久君からも連絡が入る。どうやら美佐ちゃんにたっぷりと脅されたらしい。
 さすがにこの時期だったら、俊成君の進学先を私も知っているはず。そう勝久君は判断していたらしく、だから美佐ちゃんから話を聞いてかなり慌てていた。
 俊成君にもどういうことなのか電話をしたらしいけれど、でもその結果を私には教えてくれなかった。二人のことは二人で解決するのが一番でしょ、っていうのが勝久君の意見。優しいから何でもしてくれるように思える勝久君だけれど、こういうところは結構シビアだ。

 でも勝久君と美佐ちゃん、二人と話せてよかったな。
 勝久君との電話を切った後、ぼんやりと携帯を見つめながらそう思った。高校は卒業したけれど、こうして二人と電話をしていつものように話しをして、なんだか卒業したって感じがしない。明日になったら俊成君が迎えに来てくれて、一緒の電車に乗って。そんな今までの毎日が、何事もなく続くような感覚におちいってしまう。
 気が付くと、着信履歴を目で追っている自分がいた。
 朝の登校は、俊成君が部活の朝練だったり彼女が出来たりで、私と一緒ではない日も結構多かった。それに対してこちらに毎回報告が来るというのも変な話なので、約束の時間を過ぎたら今日は来ないということにして、私も一人で登校していた。だから、俊成君から私の携帯に連絡することってまず無かったんだ。もちろんお互いに番号は知っているけれど、私も彼に掛けたことって一度くらいしかないし。
 いくら見ても俊成君の名前が現れるはずの無い履歴なのに、それでも一生懸命探している。今まで下手すると一月くらい会わないことだってあったのに。しかも昨日、私のほうからなじって逃げ出した。なのにもう、寂しくなっている。あるはずの無い俊成君からの連絡を、心のどこかで待っている。

 俊成君に、会いたいなぁ。

 自分から会いに行く勇気は無いくせに、恋しい気持ちだけはつのっていた。


 翌日、駄目押しの俊成君の合格発表の知らせをもってきたのは、お母さんだった。
「帰りがけに倉沢さんの奥さんに会っちゃって。俊ちゃん、受かったんですって。あ、お米は? といでくれた?」
「うん」
 忙しく夕飯の支度に取り掛かるお母さんの後姿を、テーブルに肘付きながらぼんやりと眺めてみる。
「でも、寂しくなっちゃうわよね。最初が良幸君でしょ。お店継ぐ代わりに家を出るって言って一人暮らし始めて、次がお兄ちゃんの和弘君。転勤でいなくなったと思ったら、今度は俊ちゃんまでだもの。良幸君とはお店に行けば会えるけど、でもやっぱり寂しいわ」
「お母さん」
「なに?」
「俊成君、もう帰ってきたの?」
「まだみたいよ。でもそろそろじゃない? 今日はお赤飯作るって奥さん言っていたから。朝発表見に行って、夕飯までには戻れるんだものね。日本も狭くなったわよ。あ、ほら、そこにいるならお皿とってちょうだい」
「じゃ、退く」
「あずさっ」
 だって日本は狭くなったって言うんだもん。
 口をとがらせて不機嫌さを隠そうともしないで、私は少し拗ねていた。
 距離なんかの問題じゃない。いなくなってしまう、その事実の方が問題なんだ。隣町だって、新幹線で三時間だって、ジャングルの奥地だって、私にとっては同じこと。
「そこの戸棚の青いお皿、取ってちょうだい」
「はーい」
 仕方なくのろのろと食器棚に手を伸ばし、青い盛鉢を取り出した。
「あずさ」
「ん?」
「あんたはどうするの?」
 ごく自然に問いかけられて、意味が分からず聞き返す。
「って?」
「俊ちゃん、遠くに行っちゃうのよ。いいの? 倉沢さんの奥さんも、あずさのこと気にしていたし。俊成はなんにも言ってくれないけれど、あずさちゃんとはどうなっているのかしら、って」
「はぁ?」
 まったく予想もしていなかったこの問いかけに私の手が一瞬止まり、危うく盛鉢を落とすところだった。
 えーっと、ちょっと待ってね。これは一体どういう意味を含んでいるって、考えればいいのかな?
「あの、お母さん」
「なに?」
「今の会話って、私と俊成君がまるで付き合っているみたいに聞こえるんですけど」
「あら。そこまで言ってないわよ、お母さんは」
 さらりとかわして、スーパーの袋から魚を取り出す。
「お母さんっ」
 大人って、こういう人の心をかき乱すこと言うだけ言って平気な顔するんだ。
「なんで親が子供の恋愛に口はさんでくるのよ。それに私と俊成君の間には、そんなものはありません。ただの友達なんだから」
 そしてその友達関係ですら、危うくなっているんだから。
 またもや落ち込みそうになる気持ちを抑え、お母さんを睨み付けた。けどやっぱりお母さんには効果は無かったようで、平然と夕飯作りは続いてゆく。
「その割には卒業式の日に泣いて帰ってきて、夕飯も食べないで部屋にこもっちゃったじゃないの。あれ、俊ちゃんの進路聞いたからなんでしょ? お母さん、せっかくあずさのために唐揚げ作ったのになー」
 やっぱり恨んでいたんだ。後でちゃんと謝ったのに。
「だからあれはごめんなさいって言ったでしょ。俊成君の話、突然聞いて動揺したのと、卒業でみんなと別れるのが寂しかったのとが一緒になっちゃっただけなの」
「ふーん」
 さも興味なさそうにうなずくと、お母さんはコンロの火を消して温めていた鍋の蓋を開けた。昨日作ったカボチャの煮物。二日目の今日は味が染みてより美味しそうに見える。それを見越していたのか昨日はちょっとしか夕飯に出してくれず、まだまだ鍋には大量にカボチャが残っていた。
「本当に、それでいいの」
「なにがよ」
「別にあずさがいいって言うならいいけれど」
「だからただの幼馴染だって言っているでしょ」
「桜の下で」
「へ?」
 青い鉢に煮物を盛ってゆく手を止めて、お母さんは唐突につぶやいた。その横顔はとても優しくて、まるで何か昔の情景を思い出しているかのようだ。
「桜の下、なに?」
 中途半端に言葉を切られて、意味が通じず繰り返す。
 でもお母さんはそれに答えることなく作業を再開すると、盛り付け終わった鉢にラップをかけ、私の目の前にずいっと差し出した。
「今のあんたになにを言っても無駄でしょう。さ、これ倉沢さんちへ持って行ってちょうだい。お母さんの自信作。お祝いにもならないですが、箸休めにどうぞって」
「なんで私が」
「だってお母さん、夕飯作るのに忙しいんだもん」
 だもん。って、ねぇ。
 しばらく無言でカボチャの煮物を見つめてしまった。この情景にはおぼえがある。あれは小学生五年生のとき。気まずい私と俊成君の仲を変えようと思って、そのとき手にしていたのはお稲荷さんだった。
 けど、あれから七年たった今、私はカボチャを前に途方にくれている。俊成君に会いたいけれど、会いたくない。今のこの状態で会ったとしても、あのときみたいに素直にごめんねって俊成君に言えない。
「なにためらっているのか知らないけれど、俊ちゃんならさすがにまだ帰っていないと思うわよ。かわりに奥さんが家にいるはずだから」
 その言葉に顔を上げると、お母さんはグリルで魚を焼き始めていた。
「行けない? 友達なんでしょ。お使いくらいなんてこと」
「無いわよ。行くってば」
 挑戦するようにお母さんの後姿に向かって言い放ち、私は盛鉢を抱えた。
 みんなに気を使ってもらっているのに、一歩も動けない自分が嫌。でもやっぱりまだ、俊成君に直接会う勇気は無い。「ごめんなさい」も「おめでとう」も言えないのに、会うことなんて出来ない。
 それならせめて、おばさんにこのカボチャ渡すくらいのことはしたい。おばさんにだったら「おめでとうございます」って言えるから。きっと、多分。

 勢いつけて外に出たけれど、玄関出てすぐに考えを改めて引き返した。久しぶりに天気が逆戻りしたような寒さだ。マフラーまではしなかったけれど、コートを羽織って出直す。小走りで倉沢家まで行くと、中にいるだろうおばさんに向かって呼びかけた。
「すみませーん」
 台所にいれば私の声は聞こえるはずなのに、おばさんからの返事が無い。あれ? って思いながら引き戸に手をかけると鍵は掛かっておらず、留守ではないようだった。中まで入ってもう一度声をかける。
「ごめんくださーい」
「はい」
 だけど、予想に反して二階から下りてきたのは、俊成君だった。