君に逢いに行く


 アイスクリームは、この世で最高の食べ物だと思う。
 コンビニのクーラーボックスを覗き込みながら、いつもながらのその感想が浮かんでいた。
 濃厚なバニラの香り。冷たいのにじっくりと染み入ってくる、口溶けの良さ。あの甘さが私の一日の疲れを癒してくれる。
 大人になって自分でお給料を稼ぐようになってなにが良かったかって、毎日アイスクリームを買えるようになったこと。母に嫌味は言われるけれど(自分の分しか買ってこないとか、あんたそれいつまで続ける気? とか)、でもそんなのは気にしない。
 帰りがけに、この家の手前のコンビニでアイスクリームを一個。それが私のささやかな贅沢。太るのは、まあ気にしない方向で。その分、一駅手前で降りて歩いているし。どのくらい効果があるのかは分からないけれど。
 だから今日も真剣に、本日のアイスを選んでいる。十一月の始め、朝晩冷え込むそんな季節。とはいえ昨今のアイス業界にシーズンオフという言葉は見当たらない。昨日買ったのは新発売の「キャラメル」。去年もこの時期に同じようなのが出ていたけれど、キャラメルの味が違っていた。本日はオーソドックスにバニラにしようかな。
「保奈美」
 んー。同じバニラでもメーカーが違うと味も変わる。今日はどれにしよう。
「保ー奈ー美。保奈美さん」
 そこでようやく呼ばれたことに気が付いて、顔を上げた。
「なんだ。直輝か」
 クーラーボックスをはさんで真正面。パーカにジーンズという、いかにも大学生らしいくだけきった格好の男子がこちらを見ている。
「なんだは無いでしょ。久しぶり」
「ああそうね。三ヶ月ぶり、だっけ?」
 あっさりと答えて、それからもう一度アイスに視線を戻す。
 三歳年下のこの学生は、小学校の頃からの弟分。一学年一クラスしかないという、いかにも都会の過疎化が進んだこの地域で、当時小学四年生だった私は一年生だったこいつのお世話係を任命された。上級生は下級生の面倒を見ましょう。っていう情操教育の一環だ。以来、近所なことも手伝って、両家を巻き込んでの姉弟関係が出来上がっているのだけれど。
「保奈美、こっちのキャラメルにしない?」
「しない。昨日食べた」
「でも俺食べていない」
 知るか!
 小さくため息をついて、顔を上げる。
「あんたが食べるんじゃないの。私が食べるの。それに人の名前、呼び捨てにするな」
「いいだろ。一口頂戴よ、保奈美姉ちゃん」
 からかうようなその口調に、瞬間的にかっとなる。
「私はあんたの姉じゃないっ」
「じゃあ、なに?」
 すかさず突っ込まれ、あれ? と思った。
 えっと、弟分ではあるけど、本当の弟なんかじゃないんだから、……いわゆる幼馴染?
 うっかり直輝を見つめ返し、その問いただすような視線に気圧されて、つい目を反らしてしまう。ちょっと負けた気分だ。なんか悔しい。
 おさまりの悪いもやもやとしたものを振り切るように、私は手前のバニラを一つ掴んだ。コンビニのオリジナルブランドよ、君に決めた!
 そのまま直輝を捨て置いて、レジに向かう。会計を済ませ店を出ると、すぐ後ろからまた声がした。
「で、一口は?」
「誰があげるって言った?」
 振り向きざまににらみつけるけれど、直輝にそれが効くはずも無い。奴はにらまれたことも分からないようで、にこにこと微笑んでいた。
「なに、その笑顔」
「保奈美に久しぶりに会えたから」
 言い方が軽い。けど、とてもシンプルだ。なんだか理由も無く苛立っている自分が馬鹿らしくなってきた。
「……まだアイス硬いよ」
「それじゃあ、溶けるまで待っている」
 そう言って店のすぐ斜め前にある、小さな児童公園に入って行く。そしてベンチに座ると、促すようにこちらを見た。
 まるでご主人様を待つ犬みたい。私の年齢から三を引けば直輝も二十二歳になるはずなのに、どこかで五、六歳止まっているように思えてしまう。
 というか、大学だって本当は来年卒業なのに、留まろうとしているっておかしくない?
「直輝、就職しないで院生になるって聞いたんだけれど、本当? なんで?」
 ちょうど良い機会だ。そう決意すると、私もベンチに腰を下ろした。
 今年の春から聞きたくて、タイミングが掴めずにいた質問。親伝いに直輝の話を聞いても、どうも良く分からなかった。
「四年間じゃ足りなかったんだ」
「いや、足りるでしょうよ、普通」
 すかさず突っ込むと、直輝はうーんとうなり、悩んだ表情を見せた。相手に上手く説明しようとして、一生懸命頭の中で組み立てている。そんな表情。
「俺、留学しようと思っているんだ」
 駄目、失敗。なんだそれは。突然なにを言い出すんだ。
「どこへ? いつ?」
 思わずこめかみを押さえつつ、確認する。就職じゃなくて大学院生のコース選ぶって言い出して、なおかつ留学って、どれだけ親のすねかじる気でいるんだろう。
「来年の春。ドイツへ」
「なにしに?」
 すっかり説教モードになって直輝を見つめると、奴はとても嬉しそうな表情で、私を見つめ返した。
「魔法使いになるために」
 なに考えているんだ、こいつは!
 戦いのゴングが鳴ったような気がして、息を吸い込む。ここから一気に説教だ。
「それで保奈美に聞きたいんだけれど」
 うわ、出遅れた。
「なに?」
 曇りの無い、澄み切った瞳。ちょっと緊張したような面持ち。なにかを期待するその気持ちは隠そうとしないで、直輝は言った。
「貯金いくらぐらい、ある?」
 ……固まった。確実に、三秒は固まった。
 それからぶるぶると私の体は震えだし、ものすごい勢いで立ち上がる。
「なに考えているのよ、あんたはーっ!」
 親のすねどころか、近所の姉分のすねまでかじる気かこいつは!
「え? 保奈美、あれ?」
 素直に驚いている直輝を見て、深く深く息を吐き出すと、そのままの勢いで家へと向かった。コンビニをはさんで、右に行けば直輝家のあるマンション。左がうちのマンションの方向だ。ここがちょうど、分かれ道。こんなのと話していても無駄だから、さっさと帰ろう。
「保奈美、アイスは?」
 まだ言うか!
 背後から聞こえる声を無視し、歩くスピードを速めた。この苛立ち、アイス一個じゃ消えてくれそうにない。せっかくの日々の楽しみを直輝のために使ってしまうなんて。そう思うと、余計にむかつく。食べ物の恨みは恐ろしい。

 家に帰るとタイミング良く電話が鳴り、母が受話器を取っていた。
「保奈美、直輝からだけれど」
「出ない」
 短く答えると、二人はなにかを話し出した。
「……それなら、自分でフォローはしなさい。それじゃあね」
 そう言って電話を切る。まるで実の母親と息子との会話のよう。親を巻き込んでの姉弟関係は、こんなところにも現れる。私はアイスを冷蔵庫にしまうと、手を洗い、ご飯をよそった。
「またすごい怒っているわね」
 どこかからかうような口調で母が聞いてくる。
「直輝のせいよ。就職しないで夢みたいなこと言ってて。きちんと将来設計しろって」
「就職しないって、硬いわねー。直輝は直輝なりにきちんと考えているんじゃないの?」
 お母さん、直輝が考えて出した結論は、「魔法使い」で「貯金いくら?」です。
 ふざけんじゃないと思ったけれど、それは母には言えなかった。直輝の言動に呆れるのは私だけで十分だ。
「そういえば、保奈美が直輝に冷たくなったのって、今年の春くらいからよね。理由は、就職しないって分かったから?」
「そういう訳じゃ……」
 反論をしかけたけれど、母の露骨に面白がる表情を見て、口を閉ざした。
 確かに私は直輝の就職にこだわっている。
 でもそれは、大学出たら社会人になるんだよな。とか、直輝だったらどんな職業に就くのかな。とか、世間の当たり前の流れに乗っかった、ぼんやりとしたものだったはずなんだ。
 なのに、直輝はそんな流れに乗っからず、そして私はうろたえた。
「いつの間にか、期待が大きくなっちゃったのかなぁ」
 すっかり直輝の考えていることが、分からない。
「期待って、なによ」
「さあ?」
 母を見つめ、ため息をつく。自分でも良く分からない感情が、ぐるぐると渦巻いていた。

 直輝は昔から、おっとりとした子供だった。欲しいものは、自分がねだる前に人から与えられてしまう、典型的な一人っ子。
 そのぬるま湯につかったような環境に活を入れるべく、姉役として投入されたのが私だった。
 日々行われるおかず争奪戦や、チャンネル権争い。そんな兄姉とのサバイバルを繰り返していた末っ子の私にとって、直輝は鍛えがいのあるペットであり、おもちゃであり、弟だった。
 そんな関係に終止符が打たれたのは、直輝が難関で名高い私立中学校に受かったとき。瞬発力は無いけれど集中力が持続する奴の性格は、受験勉強に遺憾なく発揮された。それまで正直、おっとりどころかぼんやりっ子だと見くびっていた私の彼への評価はひっくり返ってしまった。
 中学から高校へ、そして大学。一つ進学してゆくたびに、直輝は実力を見せ付ける。
 一方の私はといえば、近所の公立の中学高校、そして専門学校と、そこそこな学力でそこそこな人生。
 ひっくり返ったのは直輝への評価なだけで、直輝自身がなにか変わったという訳ではない。でも年々確実に差が開いてゆく人生の道筋に、私はどう接してゆけばよいのか分からなくなっていった。
 せめて同じ社会人という立場になれば、同じラインに立てば、姉役とか弟分が高学歴とかそんな小さなこと気にしないで、お互い向き合えるようになるはず。……って、そう考えていたのかな、私。
 でも直輝はそんな私の小さくて狭い心を知ることも無く、引き続き学生でいることを、それも学生の最高の地位にいることを選択した。
 消化しきれないもやもやを抱え、アイスを一口食べてみる。
 濃厚なバニラの香り。冷たいのにじっくりと染み入ってくる、口溶けの良さ。けれど胸の中のもやもやは、一緒には溶けてはくれない。


 そしてそれから一月半後。世間がクリスマスに浮き立つ頃、近所の商店街で直輝を見かけた。
 隣に立っているのは同じ年くらいの女の子。あ、と思ったと同時に直輝と目が合い、道の向こう側から楽しそうに手を振られた。女の子も私に向かって会釈をしている。
 大学生がこの時期に、商店街でデートかよ。
 つい荒んだ気持ちになったけれど、なんとか意地で手を振り返した。
 そうか、彼女か。直輝だって大学生だしね。いたって全然おかしくない。それなりに顔かたちも良いんだし、もちろん頭もいいし、性格だって時々突拍子も無いけれど基本は素直で優しい子だし。きっと今までだって見たこと無いだけで彼女いたんだろうし。
 ふと自分を振り返ってしまった。私の今年のクリスマスは、女同士の忘年会と決まっている。直輝との距離はますます開いてゆくばかり。
 ……なんでこんな、直輝が絡むと自分の考えって後ろ向きになるんだろう。
 気が付くと、キャラメル味のアイスクリームを買っていた。直輝が一口食べたいと言っていたこの味。
 こういう無意識のうちにしてしまう自分の行動が、嫌。でもなんで嫌なのか深く考えるのが怖くて、とりあえずアイスを食べた。
 味はよく、分からなかった。


 その後、直輝と会ったのは、年も明けた一月の半ばだった。
 いつものようにコンビニでアイスを選んでいたら、目の前に黒い影が現れた。顔を上げたら、直輝だった。
「久しぶり、保奈美」
 相変わらず犬のよう。嬉しさを前面に押し出した表情で、真っ直ぐこちらを見つめている。
 しばらくじっと見返していたら、直輝の表情がちょっと困ったようになった。
「えーっと、保奈美さん?」
「どうしたの? そのスーツ」
 今頃になって就職活動に方向転換したんだろうか。普段見慣れない格好なので、見ているこちらが落ち着かない。
「これ、保奈美の家に挨拶に行くからと思ってさ。留学、決まったんだ」
 なんだ。留学の話、続いていたんだ。
「決まったって、それでなんで挨拶なの?」
「行ったら最低六年はかかるから。関係者各位には顔出しておこうかと」
「六年?」
 馬鹿みたいに口あけて、年数を繰り返していた。
 えーっと、ちょっと待って。普通、留学って一年くらい行って帰ってくるもんじゃないの? 六年って、あれ? 六年って、何年?
「保奈美っ、外に出よう!」
 焦ったような声の直輝に手を引かれ、慌てて公園まで連れて行かれた。
 なぜだか視界がぼやけている。ベンチに座ってうつむいたら、ぱたぱたと膝の上に涙が落ちてきた。
「……びっくりした」
 自分の反応に驚いてつぶやいたのに、隣で直輝がびくりとした。
「ごめん。俺がきちんと話さなかったから」
 そういう意味ではなかったけれど、本気で反省したような声を出していたので反論はしないことにした。それに、元を正せば直輝の話に反応して泣いてしまったのは事実だし。
 ふと視線を感じ、顔を上げる。直輝がじっとこちらを見ていた。
「確認したいんだけれど、俺が留学する理由、分かっている?」
 私が泣いてしまったせいなのかな。今まで見たこと無いくらい直輝の顔は真剣で、ちょっと怖い。
「魔法使いになるんでしょ」
 言いながらむっとしたら、よりいっそうむっとした顔をされた。
「魔法使いになりたい理由、覚えている?」
 知っている? ではなくて、覚えている? と聞くところが引っかかる。でもそれじゃあ私がなにを覚えているんだというと、残念ながらなにも覚えていない。
 これはちょっとまずいかなと内心焦ったところで、ずいっと直輝に近寄られた。
「俺が魔法使いになれたら結婚してくれるって、保奈美が約束してくれた」
「……はい?」
 今、なんて言った? この目の前の男は。
「小学校一年生の時だった。保奈美姉ちゃんのことが好きだからお嫁さんになってくださいって言ったら、テレビに映っていた魔法使いを指差して、あれになれたら良いよって」
 その言葉に、ようやく思い出す。たまたまテレビでやっていた、なにかのファンタジー映画。もうストーリーも覚えていないけれど、それに出てきた魔法使いの弟子の男の子が、ちょっと直輝に似ていたんだ。
 普段はぼんやりしているけれど、いざというときには魔法を使って局面を打開して、頼りになって。そんな子になって欲しいなって、あの時は純粋に姉役として思っていた。
「魔法使いになるにはどうしたら良いか分からなかったから、とりあえず図書館に行って片っ端から本を読んだ。そこから派生して、魔法使いの定義とか、歴史的存在の意義とか。
 気が付いたら実践よりもそっちの方にすっかりのめりこんじゃって、ドイツの大学で史学の博士課程取ろうとしているとこまで来たけれど、そうなるきっかけは保奈美だよ」
 近すぎる直輝との距離に、そしてその瞳の強さに当てられて心臓がどきどきいっている。けれど忘れてはいけない重要なことを思い出し、はっとした。
「でもだって、直輝は彼女いるでしょ?」
「彼女?」
「クリスマスの時期に、ケーキ屋の前に一緒にいた、あの彼女」
 問い詰めるけれど、直輝は訝しい表情のまま記憶を辿るようにつぶやくだけ。
「結衣なら別に、ケーキ頼んだだけだし」
「ケーキ頼んだ……」
 その言葉で一気に思い出した。商店街のケーキ屋の斉藤さん、店名『ミシェル』の一人娘。直輝と同い年で結衣って名前だった。私は直輝のお世話係だったけれど、一学年一クラスしかないんだ。斉藤結衣ちゃんなら覚えている。そう言われれば、面影があるような。
「誤解は解けた?」
 自分の中の記憶を慌ててたどっていたら、すぐ近くで声がした。反射的に顔を上げ、途端に飛び込む直輝の顔に胸が震える。
「誤解して、嫉妬した?」
「なにを」
「してよ。そのくらい保奈美が俺のこと想っていて欲しい。でなくちゃ、来年保奈美のことさらいに行けなくなるし」
 すぐ触れそうなほどの距離で、直輝は熱のこもった瞳で私を見つめ、きっぱりと言う。けれど私は意味も分からず戸惑うばかりだ。
「直輝、言っていることがなに一つ分からないんだけど」
「奨学金の制度っていうのが、あるんだ。大学終えた子供にプラス六年間分の学費や生活費、留学費用を援助することが出来る一般家庭なんて、そう無いから。その奨学金制度の試験に受かったから、俺は今年の四月からドイツに行くことが今日決まったの」
「そう」
 六年。その期間の長さに、くらりとする。
 二十二歳の直輝が六年経っても、まだ二十八歳。同じ二十代の出来事で済んでしまうけれど、今二十五歳の私が六年経過したら三十一歳になっているんだ。二十代と三十代。そして世間が見る、男女の差。これは大きい。
 つい遠い目をしたら、まるでそれを引き戻すように直輝に手を握られた。
「長期留学の場合、一年経った時点であらためて面談をされる。このまま留学生活に耐えられるのか、確認されるんだ。その時に家族申請しようと考えているから」
「家族申請?」
「うん。だから来年、保奈美に逢いに戻ってくる。一年後、まだ魔法使いの弟子くらいにしかなれていないけれど、俺と結婚して。籍を入れて家族として、保奈美も一緒にドイツに来て欲しいんだ」
 引き戻されはしたものの、今度は直輝の手によって別の世界に行かされたような気がした。
 私が直輝と結婚して、ドイツに行く?
「生活費は出るから、贅沢は出来ないけれど暮らしていける。でも俺は学生で、貯金無いし。いざとなったとき、保奈美にも協力してもらわなくちゃだと思うし」
 だから私に「貯金いくら?」って聞いたのか。
 ようやく話が繋がって、納得する。しかし、それにしてもだ。
「あの、保奈美?」
 無言のまま、じっと見つめ返す私の瞳に気圧されたように、直輝の表情に不安が混じっていった。
「ドイツに行くの、嫌?」
 緊張して強張った声。私は小さくため息をつくと、きっと直輝をにらみつける。
「直輝は、言葉が足りなすぎる。いきなり結婚とか、ドイツとか。私に彼氏がいたらどうするつもりだったの」
「えっと、それは無いって、保奈美の母さんが言っていたし」
 あんの母親っ。
「うちの母に探りいれる前に、まずは本人でしょ。ドイツとか言う前に、聞くことあるんじゃないの?」
「聞くこと?」
 戸惑うように繰り返すから、にらみつけたままうんとうなづいた。
 直輝は一瞬考え込むと、あ、とつぶやいて私を見つめ返す。不安とか緊張とか戸惑いとかそんな感情をすべて一緒にして、最後に照れくささを加えた、そんな表情。
 直輝はゆっくりと口を開いて、私に聞いた。
「俺のこと、……好き?」
 一番大事なこと。その気持ちが無くては一歩も進めない、最初の大前提。
「好き」
 そうだ。私、直輝のことが好きだったんだ。
 声に出して、初めてそれを実感した。もやもやとしておさまりの付かない気持ちが、ようやく着地点を見つけて降りてきた。
 そうして自覚した自分の気持ちに、一気に顔が火照ってゆく。それでも目が離せずに直輝を見ていたら、小さく笑った後、ふわりと私を抱きしめてくれた。
 直輝の鼓動。早いリズム。二人してどきどきしているのがなんだかおかしくて、でも嬉しい。
「来年必ず迎えに行くから。それまで待っていて」
「うん」
 甘くて幸せな気持ちが、自分の中でじんわりと広がっていった。まるでアイスを食べたときみたい。
 でもこのアイスは溶けることなく、私をしっかりと包み込んでくれていた。

 コンビニをはさんで、右に行けば直輝家のあるマンション。左がうちのマンション。けれどこの道はその先を付きぬけ、海を渡り、真っ直ぐ直輝の行く場所へと続いている。

 そして来年の春、桜の咲く頃。
 私は魔法使いの弟子の元へ、嫁ぎに行く。



■おまけ話:「本場」→